東京女子医大医療事故 未然に防げなかった要因は「日本の社会」

もし、現状の制度・医療文化に問題がないとするなら、患者はどのように身を守ればよいのでしょうか。
|

一昨年、東京女子医科大学病院において、抗てんかん薬の過量投与による死亡事故が起きていたと各メディアが報じています。

非常に痛ましい事故であり、ご遺族の心境を想像すると残念でなりません。

また、医療者の一人として、この事故が未然に防止されることなく、実際に発生してしまったことについて、忸怩たる思いがあります。

報道では、処方箋の調剤を担当した院外薬局から「量がかなり多い」として疑義照会があったとされています。残念ながら、薬局からの働きかけにより処方内容が見直されることはありませんでした。

この事例を調査した「日本医療安全調査機構」は処方内容について、「最良の選択肢とは言い難く、あえて選択するなら必要性やリスクを本人や家族に十分に説明して同意を得るのが望ましい」と指摘しています。

現時点では、「患者の希望に沿って確実な効果を期待した。リスクについて説明している」とする病院側と、「副作用の説明はなかった。あれば処方は受けなかった」とする遺族側の主張は食い違っていると報じられています。

この事故は未然に防ぐことができたはずだと、私は考えています。

そしてそれが実現していない理由は、医療制度設計を担当する厚生労働省や日本医師会、日本薬剤師会による不作為、そしてそれを十分に追及できていない日本のジャーナリズム、現状を容認し続ける日本の社会にあると思っています。

私自身の薬剤師としての経験に照らせば、受け取った処方箋の内容について、疑念を抱くケースは実際に存在します。薬剤師法は

24条 疑義照会義務 処方せん中に疑わしい点があるときは、その処方せんを交付した医師、歯科医師又は獣医師に問い合わせて、その疑わしい点を確かめた後でなければ、これによって調剤してはならない。

と規定しており、薬剤師はその疑義について、処方箋を発行した医師に照会を実施します。 もし、照会によっても疑義が解消されない場合には、薬剤師は処方せんを調剤することができません。患者側に必要な注意喚起を行ったうえ、他医受診などの対応について説明すべき、とされています。

果たして、日本の薬剤師は、こうした本来の職責を十分に果たせる環境にあるでしょうか。

実際問題、疑義照会に対して医師が処方を変更しない場合、「そのままで」という回答が最も多く、その理由を自発的に説明する医師は少ないと私は感じます。

そして、自発的に説明しない医師に対して処方の理由を問う際、不機嫌にならない医師もそう多くはないと感じています。薬剤師業界の情報・書籍を眺めれば、「医師に聞き入れられやすい、疑義照会の方法」といった記事が溢れています。医師の機嫌を損ねると患者利益は実現されないというのが、医療業界のコンセンサスなのでしょうか。

ごく稀に、医師の処方内容・治療方針に納得することができず、他の医師に相談するよう患者に勧めることがあります。処方した医師からクレームが入り、その病院からの患者が激減したこともあります。

医師の皆さん、そして患者の皆さんは、私の行動を歓迎するでしょうか。

私と同様の言動を選択する薬剤師は、医学・薬学的に正しいとされる判断に留意しさえすれば、勤務する薬局に居づらくなったり、転勤させられるといった心配、医師が激高して処方箋発行を停止する恐れなく、業務を続けることができるでしょうか。

地域の患者さんは、「病院に近い薬局が良い薬局だ。院内処方であればなお望ましい。医師が処方したのだから薬剤師の能力など関係ない」とせず、責務を忠実に果たそうとする薬剤師・薬局を選択してくれるでしょうか。

医薬分業制度、すなわち処方箋を発行する病院と調剤を実施する薬局とを立場的・経営的に分離する仕組みが存在するのは、医師と薬剤師が各々の専門性を「患者に対して」発揮するという目的のためです。

制度自体は欧米など先進国の事例を取り入れたものですが、「日本型の医薬分業」とも呼ばれる幾つかの特徴があり、その代表が「医師による任意分業」です。これは薬剤師による介入が必要かどうかを医師が判断するという、職能間のヒエラルキーを是認する価値観を反映しており、保険医療における薬剤師の業務全般に通底しています。

こうした日本特有の分業制度が発するのは「医師が必要と考える範囲において、患者のために専門性を発揮せよ」というメッセージです。誠実で良心的な医師に働きかけ、処方内容の改善を図ることはできても、そうではない医師に対する抑止力にはなりません。

日本医師会が主張し、医療制度の前提となっている「清廉で高邁な医師」しか存在しないのであれば、日本の医薬分業制度に何ら問題はありません。しかし現実はそうではないと皆が知っています。

西村高宏氏は論文「日本における『医師の職業倫理』の現状とその課題」において、諸外国と比較して日本の「医師の職業倫理」徹底化には問題があり、その理由の一つとして、日本には任意加入の職能利益集団しかないことを指摘しています。

諸外国の医師会は、日本のように繰り返し医薬分業を攻撃し、制度を後退させようとはしていません。その事実は、日本の医療制度に関する議論がつまるところ「金と権力」の争奪戦であり、患者利益を最優先にしていないことを証明しています。医療倫理は脇に置かれたままです。

そして日本薬剤師会も、医薬分業制度の問題点について声高に主張することはありません。医師会・薬剤師会の政治的なパワーバランスを考慮すれば、「それが得策ではなく、現状の分業政策を進めることが妥当だ」と考えるからでしょう。しかし、当事者である薬剤師自らが制度の問題点について説明しなければ、国民に伝わることはなく、患者自身が警戒することすらできません。

あるいは、「時機が来れば、言うべきことは言う」とするのかもしれません。過去数十年間そのようなタイミングはなく、今後数十年パワーバランスが逆転する見込みもありません。つまりは自らの薬剤師人生において「自分からは言わない」という選択をしたのです。医薬品・薬物治療を司る専門職集団として誠実な姿勢であるとは思えません。

また、こうした医療業界の姿勢に対し厚生労働省も、追認することはあっても力関係に見合わない制度を導入することはないと指摘されています。政治家からの働きかけがある他、医系官僚・薬系官僚などといった派閥が存在し、退官後は業界に天下りする関係上、互いのメンツをつぶすことができないとされます。

ジャーナリズムもまた、医療事故を報じることはあっても、引き続きその根底に存在する業界の暗部について、強く批判することは稀です。国民は疑念を抱えつつ、医療制度の複雑さのために、それを受け入れる以外の選択肢を持ちません。

なぜ、薬剤師が職業倫理に従って処方内容について医師に指摘し、患者に対して注意喚起を行うという単純な行為に、これ程の困難を伴うのでしょうか。現状の制度・医療文化に問題がないとするなら、患者はどのように身を守ればよいのでしょうか。

憤りを感じます。