医療過誤事件から考えるべきこと -卒後研修医教育制度の改革と、医療事故

最近、ある医療過誤による事件によって、我が国の医療における2つの大きな問題点について考えさせられた。

最近、ある医療過誤による事件によって、我が国の医療における2つの大きな問題点について考えさせられた。その問題点とは、まず研修医の卒後教育制度の問題点と、次に医療過誤事件に対する社会の対応についてである。昨年2014年4月16日、国立国際医療研究センター病院 (東京都新宿区)で、整形外科の後期研修医が78歳の女性患者の脊髄造影検査をした際、誤って尿路や胆管などの造影に使用する造影剤ウログラフィンを脊髄内に投与し、女性は急性呼吸不全により死亡に至った。その医師は、同年12月3日、業務上過失致死容疑で書類送検され、翌2015年3月9日に在宅起訴処分となった。そして、5月に2回の公判が東京地裁で開かれた。

患者が亡くなったのは、ウログラフィンを脊髄内に誤投与したためであることは、鑑定書や供述調書からもおそらく明らかである。ウログラフィンは、浸透圧が高いため、脊髄造影には禁忌とされており、赤字で「脊髄造影には禁忌」と記載されている。本邦でも、1963年以降、今回と同様の造影剤誤投与による7例の死亡事故が報告されている。もちろんその原因に、単純なヒューマン・エラーによる要因があったことには異論はない。しかし、事故を単なる個人の過誤によるものだと簡単に片付けず、この事故が起きた背景と今後起きないようにするための対策、そして医療過誤に対する適切な病院や社会の対応について考えていく。

まず初めに考えなければならないのは、初期および後期研修医の卒後教育システムについてである。今回の事故が起きた国立国際医療研究センター病院は、診療科が約40科、入院ベッド数は800床を超え、450人以上の医師が勤務する、我が国を代表する先端医療機関である。特に感染症や糖尿病の高度医療で知られ、それぞれには研究センターも併設しており、昨年はエボラ出血熱が疑われた患者が搬送され、大きく報道もされた。2010年から2013年まで研修医マッチング人気病院全国第一位(大学病院以外)、研修医は学年約45人を受け入れており、大学病院以外では最大級の初期研修医教育病院として位置づけられている。初期研修の後は専門医になるための後期研修を受けるが、今回起訴された医師は初期研修を他院で行い、当院で後期研修医として勤務している1人だった。

では、このような病院でなぜ事故が起きたのか、病院の指導体制には問題がなかったのだろうか。初公判では、この後期研修医は、「指導医の立ち会いの下、脊髄造影検査を問題なくこなしていたことから、技術的には十分だと自信があった」「検査部位によって、使用する造影剤が異なることを知らなかった」と供述している。つまり、過去に上級医の指導の下、脊髄造影検査を施行した経験があり、手技自体には習熟していたが、これまでは造影剤は上級医が用意していたということである。また、看護師や放射線技師の同席はなく、薬剤のダブルチェックはなされてなかったとも報道されている。

研修医に対する指導は、指導医講習会を受講した指導医と、研修医より経験豊富な上級医とが担当する。国立国際医療研究センターは、糖尿病・感染症の拠点病院であると同時に、臨床研修の拠点病院でもある。多くの患者を診療しながら、若い医師を教育する義務がある。必要なのは指導医である。ただ、今の教育システムには、指導医をどの診療科に最低何人を配置せねばならないかという最低限の指導医数、そして初期および後期研修医を単科にそれぞれ何人まで同時に受け入れて良いのかという研修医の上限数に関しては、明確な基準があるわけではない。指導医を十分に有する科も多くあるが、事故が起きた整形外科には病院長を含めて指導医は3人しかいなかった。差が生じるのは、それぞれの病院が強みとする診療科には経験豊富な医師が多くそろう一方、そうではない診察科もあるからである。各病院がそれぞれ特定の診療科を「売り」にするほどこうした傾向は強まる。ところが、臨床研修指定病院では、研修医が必須である全ての診療科を均等に回るのであり、指導体制が不均衡になるのは良くない。このように研修医を育てる環境に構造的な問題があり、これが今回の最大の原因であると考えられる。

では、研修医側の実状はどうなのか。病院には2学年分の約80人の初期研修医が、各科をローテートしている。どの病棟にも、どの検査室にも、その科を回っている初期研修医が常にいる。医師は本来、医師免許がなければできない仕事のみを優先してすべきである。こうすることで、業務が特化できるため、医師しかできない業務に集中でき効率よくこなすことができる。研修医に限らず日本の医師は、医師免許を持たなくてもできる業務、煩雑な書類業務、外来予約などの患者の電話対応、検体および患者などの搬送などを勤務時間で割くことが多く、結果、残業が増え、勤務時間は延長する傾向にある。まさに当センターにおいても、本来看護師や看護助手が行なう仕事、患者の搬送補助や薬剤の準備などを研修医が行なっていることも多く、誰にでも使い易い研修医は医師と看護師・放射線技師・薬剤師などコメディカルの中間的存在となっていた可能性がある。

これでは、病院は十分に指導をしていないのに、安価な労働力として研修医を雇用していると言われても仕方ない。研修医が行うため、看護師や技師が、処置や検査のために医師から指示のあった薬剤を準備せず、薬剤や処置手技に対するダブルチェックが十分なされてない事態も生じていた。このことは、看護師・薬剤師・放射線技師などコメディカルの病院全体としてのレベル低下につながる可能性もある。これを受けてかどうかは定かではないが、当センターは今年度からの研修医の受け入れ人数を削減した。また侵襲的な検査をする際には、ダブルチェックを義務付けた。アメリカでは、研修医の労働時間は週80時間に規制されている。

過去の日本の研修教育制度では、しばしば指導医の数の不足、指導技能不足、研修医の教育へのあいまいな管理と評価が問題となっていた。これに対して、厚生労働省は、2004年から新しい卒後研修教育制度を制定し、初期研修医の2年間の臨床研修制度が必修となった。以前は、卒後すぐに希望の科に所属でき、他の科へのローテーションは必須ではなかった。この革新的な制度改革により、決められた教育プログラムが遂行できる臨床研修指定病院が制定されるに至った。 しかし、最近の初期および後期研修医の医療過誤は、依然として残存し、全ての解決には至ってはいない。今でも研修医は、初期研修医の研修期間中であってさえ、自らの医療行為に対する刑事的な責任は自ら負わねばならない。

今回は初期・後期研修医の数と指導医のバランスの不均衡の問題が浮き彫りになったが、一つの解決策は、各病院がそれぞれの専門性を生かしながら、研修医教育を行なってく病院間連携教育システムだろう。外科の症例件数と指導医が豊富な病院には、その病院に外科研修医としてローテーションし、また産科の症例件数と指導医が多い病院には、その病院に産科研修医としてローテーションする。臨床教育指定病院の使命は、マッチングを通して優秀な研修医を預かり、十分な指導体制の下で、十分な教育を行うことである。教育病院の医療とは、患者の安全と人権だけではなく、初期および後期研修医自身の安全と人権の確保を保持しつつ行われなければならない。

では、医療過誤に対する適切な病院や社会の対応について考えていく。

改めてこのケースのような単純な医療過誤による事故に対する対応について考えなければならない。果たして、今回のように刑事訴追、業務上過失致死容疑を適応するのが妥当であって、それによってこのような死亡事故の悲劇は減少するのだろうか。前回でも述べたように、1963年から7例の同様のウログラフィンによる死亡事故が本邦では起きている。このほとんどは若手の医師が関与した単純なエラーによる事故であるが、結果、全例で刑事告訴されている。この結果を言い換えれば、刑事告訴しても、同様の事故は繰り返されているのであって、刑事告訴すること自体に事故の再発抑制効果はないと考えられる。

日本の近年の傾向としては、医療事故に対する刑事告訴例は、2005年あたりでピークアウトし、その後減少傾向ではあるものの、1990年代より徐々に増加の一途をたどっていた。しかし、海外においても同様の誤投与による事故が報告されてもいるが、一般に単純エラーによる医療過誤に対して刑事告訴される割合は多くない。

この後期研修医は、事故の後、すぐに病院の業務を離れ、センターからは辞職することとなった。これが本人の意思によるものか、病院側からの指示によるものかどうかはわからない。少なくとも現状で刑事的な罪に問われているのは、当医師の個人のみである。初期および後期研修医の医療過誤に対して処罰することは、処罰を恐れるあまり過誤を隠蔽しやすくなるという傾向をもたらし、処罰された後には、所属科を変更したり、場合によっては医師を辞めたり、最悪の結果は、自殺に至るといった報告もある。

処罰によるこの悪い影響を鑑みると、とくに現在の不均衡な研修医教育制度の下では、過誤に対して単純に業務上過失致死もしくは傷害罪を適用したとしても、これは医療過誤の防止にはならない。今回の例でもこの後期研修医は、初公判において、「間違いありません」と事実と罪を認めた。しかし、認めているのは起訴事実であって、自らが業務上過失致死罪に相当するということを認めたわけではないと解釈する。 死亡に至った事実関係に異論はないが、それを業務上過失致死罪として刑を科すことが妥当であるとは思えない。これは、患者の安全向上の改善をもたらす結果にはならないであろう。

アメリカでは、ダナファーバー研究所病院での抗がん剤過剰投与事故の後、医療事故の原因調査分析と再発防止に巨額の費用が投資された。また、研修医の労働時間を週80時間以下にするよう労働時間の規制が行われた。またその原因調査分析の結果「過誤を罰しない」との決定がなされ、その後は過誤報告が10~20倍に増加したとのことである。事故の再発防止や原因究明のために、過誤の報告ほど貴重なものはないだろう。医師もしくは看護師が過誤を申告することにより、刑事訴追され、結果、免許を剥奪される可能性がある場合、過誤報告そのものが妨げられる原因になる。

日本でも、2015年秋を目標に、第三機関による医療事故調査組織の発足が検討されている。これは、「WHOガイドライン」と世界の動きに準拠し、日本でも、「非懲罰性」「秘匿性」「独立性」を軸とした体制となる。ただ、院内調査報告書の「遺族への交付義務化」を行うかどうかに関しては、報告書が実際に裁判に使われてきた案件も多いことから、その論点は刑事追訴の可能性を残すかどうかに帰結され、これは各方面でまさに論議がなされている。

もちろん個人が自らの事故については反省すべきである。しかし、これに業務上過失致死罪事故が適応されてしまった場合、事故を起こした現場となった病院管理者側の罪は問われなくてもよいのだろうかということに帰結する。管理者側が罪に問われないとすれば、今後この国立国際医療センター病院は、この研修医を守る方向に動いていくのだろうか。個人を責めず、リスク・マネジメントを含めたシステムの改善が、国立国際医療センター病院には求められると同時に、患者の人権だけでなく、研修医の人権を守れる日本の研修教育制度の改善も早急に求められる。今後の病院がとる動きに注目したい。

(2015年8月6日「MRIC by 医療ガバナンス学会」より前編後編を転載しました)