「セクハラを取材するけど”自分は別”ではいられない」女性記者たちの#MeToo メッセージ

前財務次官のセクハラ問題を受けて設立された「メディアで働く女性ネットワーク」の会見で紹介された。

新聞社やテレビ局などで働く女性記者ら86人で5月に設立された「メディアで働く女性ネットワーク」は5月15日に開いた設立会見で、セクハラを受けた経験のある女性記者19人からの声を紹介した。寄せられた声からは、メディア業界の女性たちが置かれた現状が浮き彫りになった。一部を紹介する。

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■「頑張ろう」という気持ちにつけ込まれた

福田事務次官の事件の以降、取材先(多くは警察官!)に手を握られたり、抱きつかれたりといったセクハラを受けた経験は「女性記者あるある」になりました。私自身もそうでした。大学を出てすぐ、社会人と関わった経験もほとんどない世間知らずの若い小娘は、ただ「記者として頑張ろう」という大きな気持ちだけは持っていました。そこにつけ込まれた。思い出したくない過去を無理矢理引き出せば、そういうことだったのだろうと思います。

もう終わったことだと蓋をして過ごすことのほうが楽です。けれど、この職業に希望を持って記者になった若い後輩たちに同じ経験をしてほしくない。そして、社会のあちこちにでセクハラに傷つき苦しむ人たちに対して「取材」はするけれど「自分は別」という態度でいることは耐えられない。その思いで声をあげることにしました。

一方で、セクハラをなくすことがゴールだと思っていません。その先には、現在は男性がほとんどを占めているメディア業界の重要なポジションに女性が増えることで、ジャーナリズムの風通しを良くし、さまざまな思い、考えが反映される社会を作りたいと思っています。

今回、「女性記者あるある」を共有したことで、過去の傷を思い出して辛かったことと同時に、「私だけじゃない」ことに勇気づけられました。まだ業界で少数派である私たちにはシスターフッドが必要だったんだ、と。みなで思いを共有し、励まし合い、ジャーナリズムの世界で声をあげていきたい。それは自分たちのためでもあり、偉そうに聞こえてしまうかもしれませんが社会のためだと本気で思っています。

また、会員のほとんどが匿名で参加していることに対して反論もあると思います。日頃は「実名報道」を掲げているくせに、自分たちは名乗れないのかと。批判は当然です。しかし、セクハラ被害を告発したテレビ朝日の女性記者に対する心ないバッシングはもちろんのこと、男性優位のメディア業界から冷たい視線を浴びるのではないかといった不安、署名記事が炎上したり嫌がらせとしか思えない裁判を起こされた苦い経験などから、今後の取材活動と自身の生活を守るためには名前を出すことに躊躇せざるを得ません。

そんなに心配なら、黙っていれば良いじゃないか。そうじゃない、それじゃいけないと、リスクをギリギリのところで回避しながら、自分たちのため、後輩たちのため、社会のために、一歩を踏み出すことにしました。私たちが当たり前ように顔と名前を出して活動できるのがあるべき社会の姿であり、いつか実現させたいと思っています。多くの方に共感いただけることを願っています。(新聞・通信社、30代)

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Time's up campaign
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■足元の問題に向き合わずにきた

福田前財務事務次官のセクハラ報道に接した時、「うわ、これはひどいな。気持ちわる」とひどく不快な気持ちにはなった。けれど、正直なところ、今までセクハラ事件の多くがそう扱われてきたように、「下品な官僚のスキャンダル」として流されていくのだろう、としか受け止められなかった。

 でも、音源が公開されても否定し続ける福田氏や、彼をかばい続ける麻生財務大臣の卑劣さに、胃がせり上がるような嫌悪感と怒りが湧いてきた。そして、テレビ朝日の女性が告発に込めた強い思いを知った時、これは、私の問題なのだと突きつけられた。

取材先からのセクシャルハラスメントや、見下されたような態度に遭っても、自分の力量が足りないからだ、と思ってきた。自分たちが作る新聞では日々、「人権を守る」「差別を許さない」と声高に叫んでいるのに、社内では男女問わず多くが、「この業界で女性差別なんて過去の話」「自分たちのように世の中をよく知る記者たちはハラスメントなんてしないものだ」という風に振る舞い、足元の問題に向き合わぬまま過ごしてきた。

でも今、私たち自身も傷ついた体験を持つ者だと声を上げるところから一歩を踏み出したい。組織の枠を超えて思いを同じくする人たちと繋がり、人が人を見下し、差別的に扱う社会を必ず変える、との決意を込めて。(新聞・通信社 40代)

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Equal Rights Now
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■上司はハラスメントに無自覚

「無自覚な罪にNO!」。テレビ朝日の女性記者に対する福田淳一前事務次官の行為は権力犯罪だ。女性記者に起きたセクハラ被害は他人事ではない。記者になって20年余、取材先や職場の上司に手を握られたり、体を触られたり、顔を近づいてこられたり、卑猥なことを言われたり・・・。このようなセクハラ被害は駆け出しのころも、キャリアを積んだ今も、年齢には関係なく、相手次第で起きるものだ。新聞社は圧倒的な男性中心社会。

女性記者は増えてきたとはいえ、私の職場には一人のみ。管理職は極端に少ない。上司は女性同僚に対し「一段と低く」見る傾向が強く、「なんで女が働くのか」「結婚しないのか」「あの子は美人だ」とか、時代錯誤で差別的なことを平気で言う。でも上司はこれがハラスメントだと理解してない。

女性の尊厳を傷つける罪に無自覚すぎる者たちから発信される記事がまともであるはずがない。ハラスメントを受けて、自分の本来の力を発揮できず悩んでいる人。無力にさせられている人は大勢いる。すべての女性が安心して働けるようこのセクハラの根絶を目指し、当事者としてかかわり、発信していきたい。(新聞・通信社、50代)

■メディアに限った話ではない

今回の事件は、見えにくい日本社会の現実と課題を可視化しただけです。

メディアで働く女性は、日々、ともに男性優位の取材先、社内でセクハラ、ジェンダー差別にあいながらも、必死でキャリアを積み重ねています。ただ、これは、メディアに限った話ではありません。働く女性が少なからず、日々、向き合ってきた現実です。 セクハラ防止が法で定められて20年以上が経過し、女性活躍推進法も施行されています。その一方、働く女性を取り巻く日本社会には、まだまだ大きな課題があります。形式的な対策ではなく、抜本的な変革につながる措置をとってください。(新聞・通信社、30代)

■平成の30年間の進歩は、なかったのか

福田財務次官の週刊誌報道があった時は、ひどいとは思いましたが、同時に、容易に想像がつくとも感じました。似たような話を知っているからです。驚いたのは、財務省をはじめとした政府の反応の鈍さでした。ここまで表沙汰になった以上、当然、調査し処分するだろうと思っていたら、麻生財務相は「調査も処分も必要ない」とおっしゃいました。耳を疑いました。

その後も、被害を矮小化し、被害者を侮辱する麻生氏をはじめとした政治家の発言が続きました。自分自身、非常に傷つきましたし、あの人はどんな気持ちでこれを聞いているのだろう、と、同僚や先輩、そしてこれまで取材で知り合ったセクシュアル・ハラスメントや性暴力被害者らの顔が浮かび、本当に憤りを感じました。

平成の30年間の進歩は、この政権にはなかったのか、と愕然としました。こんな暴言を許してしまえば、再び女性たちは沈黙を強いられる時代に逆戻りさせられます。女を使い倒すだけの「女性活躍」は、到底許すわけにはいかないと強く感じています。(新聞・通信社、40代)

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■潮目を簡単に消そうとする人もいる

潮目が変わった今、経験者が声を上げることにこそ意味がある―。今回の財務省セクハラ事件を受け、今まで胸にしまってきた様々な暗い思い出が甦ってきました。少しでも外に出して、今までの経験を新たな一歩につなげなければと強く思っていますが、一方でメディアの体質だからそんなに簡単に変わらない、むしろ動くことで現場が取材しづらくなるなどと、潮目を簡単に消そうとする人もいます。それは実態や被害者の本当の気持ちを分かってない人の浅はかな考えです。そういった人を一人でもなくし、胸の中の、もやもやを少しでも出したいと思っている現場の仲間の代弁者となり、環境改善につながるよう活動していきます。(新聞・通信社、30代)

■若者たちは、差別的な報道という職場を選ばなくなっている

テレビ朝日の女性記者が前財務事務次官によるセクシュアル・ハラスメントを告発したと知ったとき、ひどい目に遭っているのは自分だけではなかったのだと思いました。セクシュアル・ハラスメントは「言葉遊び」ではなく、明らかな人権侵害です。真実を知り、市民に情報を届けようと思って必死に働いているときに、あのような言葉を浴びせられる者の怒り、悲しみを想像してみてください。最大級の侮辱により、心がズタズタになるのです。

しかし、あまりにもひどい言動に耐えかねて訴え出れば、社内外からの批判や嘲笑、悪意の噂などの二次被害に遭う。日本社会は、真面目に働こうとしている女性たちを、どれだけ痛めつければ気が済むのでしょうか。私たちは、採用の場面から差別されてきました。女というだけで人数を制限され、狭き門をくぐらされてきたのです。今も社の幹部のほとんどは男性です。それは右から左まで、どのメディアでもほとんど同じです。事態はなかなか変わらない。優秀な若者たちは、この差別的な報道という職場を選ばなくなっています。民主主義の危機です。(新聞・通信社、50代)

■弔い合戦を始めたい

テレ朝社員の女性が録音したというテープの男の声がテレビで繰り返し流された時、吐き気を覚え、いまだこんなことが、とあきれた。それを麻生大臣が「はめられた可能性もある」と言い放った瞬間、堪忍袋の緒が切れた。テープを週刊誌経由で公表したことにテレ朝幹部が批判した時、何を馬鹿なことを言っているんだと体が震えるほどの怒りを覚えた。

 私は入社後まもなく警察幹部に無理やりキスをされて「君が悪い」と言われた。数年後、県庁幹部を取材中、ホテルに連れ込まれた。中間管理職になった40代、上司から犯罪まがいの性的暴力を受けて拒むと「別の部署に飛ばす」と脅された。そんなことまでして私が働き続けてきたのは、ジャーナリズムの現場で声なき人の声を代弁し、社会を良くするためだ。でも、時代は変わった。

現場では、たくさんの素晴らしい男性たちが働いている。にもかかわらず「はめられた可能性がある」という麻生氏の発言や「胸触ってもいい?」と執拗に繰り返す人物の声は、権力を持つ男性たちの中に、その権力を傘に着て、あるいは無意識に、女性たちと疑似恋愛を繰り返しているケースがあるという実態を明るみにした。女性たちは、それを「セクシュアル・ハラスメント」と呼ぶ。今この瞬間、相手を不快にさせないよう魂を殺してセクハラを受け入れている全ての女性たち、そして過去の自分自身のために、「弔い合戦」を始めたいと思う。(新聞・通信社、40代)

■20年、誰にも打ち明けてこなかった

自治体幹部に、無理矢理キスをされました。警察署長との懇親会をたった一度別の仕事で断ったら、二度と会見に呼ばないと脅されました。地方議員に口説かれ、断ったら翌日から取材拒否にあいました。県庁幹部にチークダンスを強要されました。

記者20年、さまざまなセクハラにあってきましたが、どれも、誰にも打ち明けていません。会社では、男性の同僚が、女は寝てネタを取れるからいい、と話していますし、男性の先輩たちには、私が気に入られれば仕事がしやすいと言われてきたからです。この仕事に就くことに反対した家族にも言えませんでしたし、女性の先輩には、あなたに隙があるからだと言われるのではないかと思い相談できませんでした。

けれど、ある日、我慢できずに1人の女性先輩に打ち明けました。誰よりも強く社内でも闘っているような先輩でしたが、私と同じような目にあっていたと知り愕然としました。彼女は、自分の尊厳を傷つけた相手からの取材などしなくていいと言ったただ1人の記者でした。

いったい、何年、何十年もこの呪いを続けるのか。もうそろそろ終わりにしましょう。私に続く女性記者には、こんな思いをさせたくありません。そのために声をあげます。 (新聞・通信社)

■感覚が麻痺していたことに気づいた

今回の問題、最初は前事務次官の発言を「よくあること」と受け止めていました。感覚がマヒしていた―。そのことにようやく私自身が気づいたのは、テレビ朝日の記者の決死の覚悟が報じられたあとのことです。

取材先は圧倒的な男性社会。女性記者がまず身につけるべきは「自分の身を守ったうえで情報をとるテクニック」だと入社直後から聞かされ、自分自身もそれを実践してきましたし、後輩にもそう教えてきました。

私たち自身がそのような意識だったから、社会が一向に変わらなかったのではないか、つらい思いをする仲間を増やしてきたのではないかと、今回の問題を受け猛省しています。

そして今、私たちが声をあげることで「取材がしにくくなる」と感じる女性記者がいるかもしれないと危惧しています。何よりも実績や成果が求められる現実。こうして声をあげることに葛藤がないわけではありません。

しかしジャーナリストとしておかしいことをおかしいと指摘することができない社会こそ憂うべき。これは人権の問題であり、報道の自由の問題であると考えて目をそらずに向き合っていきたいと考えています。(放送、40代)

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会見で、女性記者からの声を紹介する「メディアで働く女性ネットワーク」の松元千枝さん(左)と林美子さん=厚生労働省
MASAKO KINKOZAN/HUFFPOST JAPAN

■メディア界はセクハラへの対処が遅れている

前財務省事務次官のセクハラ問題では、財務省の対応と「女性記者にはめられた可能性が否定できない」などと言い続けた麻生財務相の二次被害を生む発言に憤りを覚えたのは言うまでもありません。一方で、メディアのセクハラに対する認識の低さも改めて痛感しました。

先日、企業のセクハラ対応について取材をした時、ある会社の担当者から事務次官のセクハラ問題に話題が及び、「まずテレビ朝日が社員の訴えを聞くべきだった」と指摘され、はっとさせられました。今まで私は「財務省という大きな取材相手に対して、一人の女性記者が声を挙げても会社が話を聞くわけがない。女性を異動させる程度で終わるのがおち。だから週刊新潮に訴えたのは正解だ」と思っていました。

今民間企業はグローバルに展開している事業所を中心に、社長以下社員全員がセクハラ研修とテストを受け、部下がセクハラで不祥事を起こしたら上司も監督責任を問われるなど、かなり対処をしています。それに比べ、メディア界はどうでしょうか。社員研修すらやっていない会社もあり、酒席では女性の後輩に卑猥な言葉を浴びせたり、いまだに身体的なセクハラを行う社員がいるなど、非常に遅れているように感じます。

私自身、「セクハラをされてもやり過ごしてこそ一人前」と刷り込まれてきた思いがあります。昔、男性上司が「あの女性記者は取材相手と寝てネタを取ってるに違いない」と根拠もなく言っていました。知人の女性記者は「『お前も寝てネタを取ってこい』と昔先輩から言われたことがある」と言っていた人もおり、今でも程度の差こそあれ、ジェンダーに関しては時代遅れの感覚が蔓延している職場だと感じます。

私は自らを反省し、仲間と共にメディア内部の意識改革、研修や防止措置、被害が起きた後の適切な対応などを求めていきたいと思います。メディア自体が古い体質から脱却しなければ、時代の流れに敏感になり、真実を追求し、権力を監視するジャーナリズムの使命は果たせない、読者も離れていくと思っています。(新聞・通信社、50代)

■対等と見なしていないからセクハラをする

新聞記者はだいたい地方支局を数カ所周り、本社にあがる。支局勤務でまずはじめにやるのが、警察署の署回り取材だ。私の場合は、ほかの多くの女性記者と同じく、駆け出しの支局員時代に、取材先の警察幹部からのセクハラを何回か受けた。初めて夜回り行った先の警察幹部に、「それならば車の中で話を聞こう」と言われ、私の車の助手席に幹部を座らせると、途端に抱きつかれ、キスをしようとしてきた。

突然の行為に驚き、その場では拒否するのに精一杯だったが、翌日までに一晩、考えた上で「やはり許せない」と思い、県警キャップの男性記者に打ち明けて「警察の広報に被害を訴えたい」と相談した。キャップは「もう二度とその幹部の所には行かなくてよいから」と言うと同時に、「訴えた場合、相手も傷つくが、お前自身も『取材先を売るのか』と警察に言われ、傷つくことになるぞ」と言われ、結局、訴えることは断念した。

私は訴えられなかったことがやはり悔しくて、翌日にその幹部の所にもう一度行き、「ふざけるな!」と自分の怒りを思いっきり伝えた。すると相手が予想に反して「本当に申し訳なかった」と丁寧に謝ってきた。以降、その幹部が私にセクハラを行うことは完全になくなった。

この時の経験から、やはりセクハラをやる側は自分が有利な立場にいることがわかって、相手を対等とみなしてないからこそ、やるのだなというようにも感じた。

他の省庁でも、女性記者に対しての、抱きつきや卑猥発言などのセクハラがあるだけでなく、男性記者にも腹芸を強いたり、頭をパカパカ叩いたり、パワハラとも言える態様を酔った席でやっていた幹部を以前みた。本人は悪ふざけなのかもしれないし、心を許している証?なのかもなと思いつつ、女性だけでなく、男性も取材でのネタ欲しさに、幹部のパワハラに敢えて耐えているようにみえた。悲しかった。

そもそも取材先と記者の関係は、相手がこちらが欲しい情報を持っているが故に、対等とはなかなかできず、男性記者も女性記者も数多たるセクハラ・パワハラをじっと耐え、忘れ去るしかないという感覚で、私も含めて多くの記者たちが沈黙してきたのだと思う。

しかし、伊藤詩織さんへの性的暴行疑惑や、テレビ朝日の女性記者の福田前次官のセクハラ告発以降、日本の社会の男女のパワハラ・セクハラの意識は、新たなフェイズに移行しなければ、もうダメだと痛切に感じるようになった。沈黙を破り、声を上げて、社会の規範意識を変えるべく、男女がともに立ち上がらなければならないと思う。

いかなる相手にも怯むことなく、声を上げ、日本社会に蔓延るパワハラ・セクハラの当事者意識を自分も含めて喚起し、男女が話し合い、少しずつ歩み寄り、男女ともに働きやすい環境にしていかなければならないと思う。これからを担っていく若い世代のためにも。(新聞・通信社、40代)