年末以来、福島県広野町の高野病院の存続が世間の注目を集めている。唯一の常勤医が死亡したため、代わりの院長を確保しなければならなくなった。高齢者人口が減少する、この地域では民間病院が自力で存続することは難しく、公的資金の投入が不可欠だ。落としどころは公設民営化だろう。
ただ、福島県が高野病院を支援することは、我々が考えるほど簡単ではない。それは、高野病院を支援することは、他の財源を回すことを意味するからだ。つまり、予算を削られ、雇用が無くなる人が出てくる。
福島県浜通りでは、原発から約10キロの富岡町に急性期病院の建設が計画されている。総工費は26億円だ。この病院は県立病院が再開するため、5年で壊すという。それなら、クリニックを整備し、重症患者は救急車でもよりの病院に送ればいい。無駄遣いといっていいだろう。ところが、こちらは、順調に進んでいる。
それは、この事業のように県が直轄事業を実施すれば、役人やOBの権限は増え、さらに関係する業者から地元の議員に政治献金がわたるからだ。公共事業として地元経済が活性化する。閉じた世界で誰もが利益を得る。これが公共事業に依存する地方経済の実態だ。
文科省の天下り斡旋が露見し、事務次官が辞職した。役所が組織的に天下りを斡旋していることは公然の秘密だ。その際、中心的な役割を果たす大臣官房の人事課長も、好きでやっているわけではないだろう。知人の官僚は「省内では、先輩の雇用を守るために汚れ仕事をしていると考えられている」と言う。官僚たちは「70才まで雇用をまもる」という約束で国家公務員になった。官僚も生活がある。企業が社員を容易に解雇できないように、官僚機構も雇用は守らねばならない。
勿論、このやり方は時代にそぐわない。ただ、官僚たちが自発的に利権を手放すことはない。おかしいと思う人は自ら去って行くだけだ。役所に頼らず、京都大学に転職した元厚労省の事務次官もいた。立派な方だ。
結局、この仕組みを変えるのは世論の外圧しかない。世論が問題を認識するには、メディアが報じなければならない。ところが、それが難しい。
勿論、福島のメディア関係者は、利権の構造を熟知している。しかし、報じられなかった。同調圧力が強いからだ。
最近、状況が変わった。福島民友が、1月18日の福島県・広野町・高野病院の会議を受けて、翌日の朝刊の一面トップで「高野病院、無償提供の用意 病院側診療継続が条件」と打ったのだ。
福島県には二つの地元紙がある。もう一方の福島民報は二面に「高野病院に常勤医派遣 4月以降県と福医大が検討」と小さく報じただけだった。
両者の報道姿勢の違いは明らかだ。高野病院は年末から無償譲渡を申し入れていた。しかるに、福島県はこれを無視し、福島民友・福島民報も報じなかった。その理由は、高野病院を無償で譲渡されると、彼らが準備している「公共事業」の目算が狂うからだろう。
今回、福島民友は報道姿勢を転換した。現場の記者は勿論だが、トップが腹を据えて、方針を決めたのだろう。
彼らの方針転換には、高野病院事件をきっかけに、福島の利権と無関係なメディアやジャーナリストが入ってきたことが大きいだろう。彼らは公共事業の大盤振る舞いをみて、「不祥事がありそうですね。サンズイ(汚職のこと)の噂は聞きませんか?」と質問してくる。
福島民友が「真相」を報じ始めた以上、この問題はやがて落ち着くところに、落ち着くだろう。これこそ、日本の医療政策決定の現場だ。
高齢化・人口減少が進む我が国は、急速に貧しくなりつつある。政治の役割は「負の再分配」だ。経済成長を謳歌した高度成長期や、新興国とは違う。
どうやって、皆に負担を受け入れて貰うか。迂遠かもしれないが、問題解決には社会的合意形成が必須だ。我々に必要なのは、そのノウハウを蓄積することだ。そのためには、同調圧力にめげない医師とメディアが連携することが欠かせない。今後、福島民友が高野病院をどう報じるか、目が離せない。
*本稿は「医療タイムス」に掲載された文章に加筆したものです。