この記事「Content Used to Be King. Now It's the Joker」を読んでわかったが、「コンテンツ(Content)」という言葉は、「コンテンツマーケティング」という言葉で使われる意味での狭義の「コンテンツ」を指すことも多くなっているようだ。
なんのこっちゃ?
っていうのが、普通の感覚だと思うが、マーケティングの世界では、「顧客視点に立った情報をテキストや動画などのツールでまとめたもの」を「コンテンツ」と言い、それこそがマス広告が効果を失っている時代に有効な顧客アプローチの手段であるとされている。
たぶん、まだ、なんのこっちゃ?ですね。
ほら、新聞にどこかの企業のトップのインタビュー記事が載っていて、普通に読んでいたらページの隅にPRって書いてあるのがあるでしょ。
記事広告などと言うんだけど、記事っぽい体裁をとった宣伝。
もちろん、その企業の都合の良いことしか書かれていないもので、企業側はそれに費用を払う。
新聞だとそういうものが広告であることはまだわかりやすいけど、ウェブ上でそういうものが記事として出てくると、それが宣伝なのか、純粋な記事なのか、わかりにくい。
たとえば、僕が寄稿させていただいたこの記事は、リクナビネクストジャーナルさんの自社メディアに掲載されたもので、リクナビネクストジャーナルさんのために書いたものだ。
この記事がはてなブックマークのトップページにインデックスされたときにはPRという文字がついていた。
まさに、これは「コンテンツ」と言える。
こういうことが、ごく一般的になって、僕らの情報収集のなかにさまざまな濃淡を帯びて自然に入ってきているということだ。
上記の記事によれば、欧米企業は最近ますます「コンテンツ」の重要性、有効性に興味を持っており、その潤沢な資金を「コンテンツ」作成にかけているという。
筆者は独立系のプロフェッショナル・ライターだが、その記事でこんなことを告白している。
*2011年の6月から2013年の4月まで、Forbes.comのための仕事をしていた。
*原稿料は安く、1記事あたり50ドル、プラスボーナス(30,000ユニークページビューを超えたら500ドル、さらに30,000以上はユニークページビューあたり1ペニー)だった
*去年は6本以上の記事を、何人かの企業経営者のゴーストライターとしてForbes.comに書いた(いわゆる「コンテンツ」)
*その収入は、以前の10倍(企業からの報酬)だったが、Forbes.comからはゼロだった
もちろん、「コンテンツ」は本来のジャーナリズムの仕事ではない。
卑近な言葉をあえて使えばそれは「提灯記事」であって、ジャーナリズムの本質とは相容れないものであろう。
だが、実際は彼女の体験が示すように、乱立するメディアはより安い経費でより多くのPVを稼げる記事を求めており、それにともなって、ジャーナリストへの報酬はどんどん下がっている。
逆に「コンテンツ」の欲しい企業側は、その潤沢な資金をマス広告から「コンテンツ」にシフトしており、お金が必要なジャーナリストたちがそれに手を出さざるを得ない状況になってきつつある。
彼女が教えてくれるのは、そういうジャーナリズムを取り巻く現在の環境である。
真のジャーナリストとして生きることを決めた彼女の場合は、企業側に立ったいわゆる「コンテンツ」の受注はやめることにした。逆に、真のジャーナリストに必要な報酬を与えることができる道を自らのプロジェクトで模索しているそうだ。
日本でも、自社でメディアをつくり「コンテンツ」を配信し、ソーシャルとの連動で見込顧客を集める方法(オウンドメディア)の有効性が注目されている。
日本でもこれほどまでに「コンテンツ」が求められれば、今後、さらに多くのブロガーなどに寄稿の依頼が増えてくるだろう。
ただし、リクナビネクストジャーナルさんとの今回の仕事は、僕にとってもとても良い体験だった。
リクナビネクストジャーナルさんのようなメディアに書かせていただけたことを感謝している。
先方さんからいただいた「仕事」なので、自分ひとりで書いているより、より内容や完成度にエネルギーを払い、それが記事にも良い影響を与えてくれたと思う。
まったく自由に書かせていただけたし、逆にいただいたアドバイスで記事の完成度があがった。
今回の仕事は、先方の求めるものと、僕が書きたいものが、ほぼ完全に合致しており、自分は「コンテンツ」をつくっているのか、「心底誰かに伝えたいと思っていること」を書いているのか、と悩むことはなかった。
が、これからさき、僕も含め多くのブロガーさんは、彼女のような岐路に立たされるかもしれないなと思った。
オウンドメディアがますます増えて、ブロガーにはますます寄稿の依頼などが増えていくだろう。
そのときに、内容によっては、自分の思いと違う「コンテンツ」を書いてまで収入を得るのか、自分が真に書きたいことだけを書き続けるのかの選択を迫られるかもしれない。
それは、遠い先の未来ではない気がする。
photo by Mario Calvo