「全米プロ」松山英樹「乱調」での72ホール奮闘記--舩越園子

「美しかったスイングを失った」
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USA Today Sports / Reuters

 今年の「全米プロゴルフ選手権」最終日(8月12日)は手に汗握る展開だった。昨年と今年の「全米オープン」を連覇したブルックス・ケプカと、2013年以来の復活優勝とメジャー15勝目を目指すタイガー・ウッズの優勝争いに、世界中のゴルフファンが釘付けになったことだろう。

 勝利を掴んだのはケプカ。ウッズは2打差で勝利を逃した。「僕はギャラリーにとって、アゲンストの存在だった」とケプカ自身が振り返ったように、世の中の大多数がウッズの勝利を望んでいたことは想像に難くない。

 だが、勝敗が決した途端、ウッズを応援していた人々がみな、勝者ケプカを温かく祝福したこと、そして何より敗北したウッズがケプカの優勝を誰よりもうれしそうに讃えていた場面が印象的だった。それが、スポーツの良さ、ゴルフの魅力なのだと感じさせられた。

 とは言え、記録に残るのは勝者。それ以外の選手がその大会の歴史に刻まれることはない。35位で去っていった松山英樹も、然り。

 それが、勝負の世界の厳しさであり、勝者になることを何度も経験してきた松山だからこそ、敗者が味わう悔しさ、情けなさも強く感じ取るのだと思う。

「それが今の僕の実力なんで......」

 そんな言葉を絞り出した苦戦続きの今の松山にとって、今年の全米プロはしかし、大きな意義と意味のある大会になったはずである。彼が懸命に走った4日間は、ゴルフヒストリーには残らずとも、日本のゴルフファンの記憶には留めてあげてほしい。そう願って、敢えてケプカでもウッズでもなく松山について書いた。

「美しかったスイングを失った」

 昨年は最後まで熱い優勝争いを演じ、土壇場で惜敗して珍しい悔し涙を流した思い出深い全米プロ。だが、今年は「無理です。もたないですから。予選落ちすると思うんで、36ホール完走を目指します」

 開幕前からそう言っていた松山が、その36ホールで、一体どんな走り方を見せるのか。そこに秘かに期待していた。

 今年2月に左手を故障して以来、復帰後もトップ10入りが1度もなく、成績がなかなか上がらない昨今の松山。36ホールしか走れないと思うのなら、その36ホールを最大限に活かし、立派に全力で走ってみてほしいと、私は秘かに願っていた。

 新しいことを試すもよし、好調だったころの何かを再び採り入れてみるもよし。気持ちの持ち方、メンタルコントロールを心掛けてみるもよし。なりふり構わず全力疾走してみたら、その先に道が開けるかもしれないではないか。

 そんなことを願っていたら、いざ初日を迎えた松山のスイングを始動する際のプレショット・ルーティーンが大きく変わっていて、たいそう驚かされた。

 テークバックの軌道を確認しながらクラブを腰の高さぐらいまで一旦引き上げ、元に戻し、それからスイングするという新たな試み。

 米ツアーで「ヒデキ・マツヤマ」と言えば、まるで静止画面のように「静」からテークバックが始動され、トップで手とクラブが再び静止画面のように止まり、そこから一気にインパクトへ向かって勢いよくクラブが振り下ろされていくスイングの持ち主。「静」と「動」の絶妙なコンビネーションが「ゴージャス」「ビューティフル」と言われてきた。

 だからこそ、大型のワッグル(ヘッドを左右に動かす)のような動作を加えた松山のプレショット・ルーティーンは、多くの人々の目に少々異様な姿に映ったのだろう。ギャラリーの合間から聞こえてきたのは「マツヤマはスイングをためらっている」という声。米国のTV解説者は「マツヤマはこれまでの美しかったあのスイングを失ってしまった」と皮肉交じり。

 しかし、そうした外野の声をモノともせず、松山は初日2アンダーの好発進。雷雨中断の影響で2日目と3日目にまたがった第2ラウンドでもフェアウエイを捉え続け、17番のバーディーで通算5アンダーまで伸ばした。

 しかし、これなら予選通過はもちろんのこと、決勝ラウンドでは優勝争いにも絡んでいけると思われた矢先、36ホール目でダブルボギーを喫した。

 フェアウエイからの2打目をグリーン右手前のバンカーに入れ、次打は「ライは良かった」にも関わらず、グリーンをオーバーさせ、4打目も寄せ損ない、小さなミスにミスを重ねてダブルボギー。それはスコア以上に精神的に痛かったのだと思う。

 ほんの2時間足らずの休憩をはさみ、すぐにスタートした第3ラウンドは、出だしからティショットが曲がり続け、3オーバー、73とスコアを落とし、あれよあれよという間に63位まで後退した。

スイングを元に戻した最終日

 36ホール目のダブルボギーが、松山の快走を止めてしまったのだと思った。と言うより、彼自身が言っていたように、やっぱり36ホールしか「もたない」「無理」だったのかもしれないと思い始めていた。が、そうではないとわかったのは、下位ゆえに早朝スタートとなった最終日の昼下がりだった。

 腰の高さまでクラブを一旦上げて戻すあの"大型ワッグル"を松山は初日から3日間、ずっと行っていたのだが、最終日はほんの数十センチだけ引いて戻す"小型ワッグル"に変え、ときには"ノーワッグル"でスイングを始動することもあった。

 すると、この日はフェアウエイを捉える場面が格段に増え、アイアンショットもピンに絡み始めた。それでもなお2ボギー、1ダブルボギーを叩いたが、それ以上に1イーグル、6バーディーを奪い取って4つ伸ばし、66でホールアウト。ようやく笑みがこぼれた。

「来週からトップ争いを」

「36ホール完走を目指す」と言った松山は、メジャーの舞台でいきなりルーティーンを変えるという冒険に挑み、好奇の視線を向けられようとも、なりふり構わず懸命に走った。

 そして、36ホール目のダブルボギーで彼の走りは終わってしまったのかもしれないと思われたが、走りが多少乱れようとも、諦めることなく、松山は懸命に走り続けた。

 1度は世界2位まで上り詰めたトッププレーヤーにとって、35位というポジションは下位に終わった悔しい結果だ。

「こんなところで回っていたくない。どうせ通るなら(最終組がスタートしていく)今ぐらいの時間にスタートしたい。それが今できてないのは、すごく悔しい」

 だが、苦しみながら走ったせいか、ほんの少しでも前進できれば、それを評価するという前向きさが今までより格段に顕著になった。

「なかなか状態が上がらない中で、初日のようないいプレーができた」

「悪い中で、いいものも出始めている」

 そうやって、小さな兆しが見えてきたことが、彼に希望をもたらしている。

「来週から、早くトップ争いができるところへ戻りたい。ポイントランキングがかなり下。ポイントを稼がないと最終戦に行けないので、最終戦に行くのが目標かな」

 なるほど。松山の走りは決して36ホールで終わってはいなかった。途中でペースが乱れたり狂ったりはしたものの、彼は彼なりに最後まで懸命に走り続け、72ホールを完走し、すでに新たに走り出そうとしている。

 ちょっぴりシャイな松山は「72ホール完走しました」などと声にして言ったりはしないのだが、もしも誰かから「結局、松山は何ホールを走ったんですか?」と問われたら、私は迷うことなく「72ホール完走しました」と答えたい。

 そして松山は72ホールで得た手ごたえを「よし!」と感じ取り、「さあ!」と次なる一歩を踏み出していくはず。そんな彼の走り方を、是非ともみなさんの記憶に留めておいてあげてほしい。

舩越園子 在米ゴルフジャーナリスト。1993年に渡米し、米ツアー選手や関係者たちと直に接しながらの取材を重ねてきた唯一の日本人ゴルフジャーナリスト。長年の取材実績と独特の表現力で、ユニークなアングルから米国ゴルフの本質を語る。ツアー選手たちからの信頼も厚く、人間模様や心情から選手像を浮かび上がらせる人物の取材、独特の表現方法に定評がある。『 がんと命とセックスと医者』(幻冬舎ルネッサンス)、『タイガー・ウッズの不可能を可能にする「5ステップ・ドリル.』(講談社)、『転身!―デパガからゴルフジャーナリストへ』(文芸社)、『ペイン!―20世紀最後のプロゴルファー』(ゴルフダイジェスト社)、『ザ・タイガーマジック』(同)、『ザ タイガー・ウッズ ウェイ』(同)など著書多数。

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(2018年8月13日
より転載)