僕が今回の本を出させていただいた時、鬼上司Gさんには、とても連絡ができなかった。
未熟な僕ごときが、後輩の組織人のために何か知った風なことを書く。
それを本にして世に出す。
僕の上司だったかたがたの多くはネット世代ではないので、ブログに書く分には先輩たちの目に触れることはあまり心配しないですんだ。
しかし、本となり、日経新聞に広告が出たりしたら、そういう訳にもいかない。
何人かの、とくにお世話になった元上司の顔を思い出し怖気づく。
とても、その先輩がたに、会社員時代のことを書いた本を出したなどと連絡する勇気はわかない。
なかでも、鬼上司Gさんが、僕のブログ記事やその本のことをどう感じられるのか、それを考えると背中に震えが来そうである。
発売からすでに一か月以上経ったが、連絡できないままでいた。
あの本を出すことが良かったのか悪かったのか、僕の中では相変わらずせめぎあいがある。
見知らぬ読者からいただいたメッセージは、すべて僕を勇気づけてくださる内容だった。
増版も決まり、韓国の出版社から翻訳の引き合いが来たり、次の本についての打ち合わせも始まる。
そういう意味では大成功だったと思うのだが、もちろん、皆が皆、本についてポジティブな意見を持ってくれているわけではなく、知人・友人のネガティブな声もいくつか耳に入ってくる。
友人・知人のそういう声に、肯定的な気分はかんたんにひっくり返される。
そうなると僕はますます、Gさんに連絡できなくなった。
もし、Gさんにこの本のことを否定されたら、僕はどうしたらいいだろう。
ひょっとしたら、もうこの本のことを肯定的に考えることはできなくなるかもしれない。
しかし、パーティのこともある。
Gさんにはパーティにぜひ来ていただきたいし、本の内容よりも、連絡をしないことがひどく礼を失することに気がつく。
覚悟を決めて、電話をした。
Gさんは僕が本を出したことは知っていてくださった。
日経新聞の広告を何度も目にして気がついておられたし、すでに本を読んでくれた何人かの知人から本についての感想も聞いておられた。
ご自身でも本屋に買いに行ってくださったそうだが、品切れ中だったということだった。
僕はGさんに、本を出したことについての肯定的な気持ちと否定的な気持ちの間でいまも揺らぐことがある、とついつい弱音を吐いた。
「本を出してから、ビビんなや」
電話の向こうで笑いながらGさんが言う。
「まあ、ビビりながらでも自分の道、行ったらええねんけどな。いつでも、いろいろと言うやつはおるで。本っていうのは、編集とかの都合もある。お前の考えが足りないところだってあるかもしれん。でも、その時その時、信じることを書いたらいいやないか。グチャグチャ言うやつがおったら、そんならお前が書いてみろって言うたれや」
あくまで、僕のやることを後ろから強力に支えてくださり、さらに進軍ラッパを吹いてくれる、Gさんであった。
泣きそうです、僕はそう言って、取り急ぎ、本を送らせていただくこと、もし、それを読んで気持ちが変わらない限り、ぜひ、パーティに来てくださいとお願いした。
こうやって、会社をやめてからも、なにかに大きく迷うとき、いつも最終的に僕を支えて前に押し出してくださるのは、Gさんであった。
Kimonoアーカイブをやるべきかどうか悩んだ時も、Gさんの「やれ!」が僕の最終決断の契機になった。
僕の人生の最高の幸運は、本を出せたということでなく、Gさんという生涯の師をもてたことだとしみじみと思った。
photo by David Blackwell.
(2015年3月26日「ICHIROYAのブログ」より転載)