天皇陛下の背後に映ったのは益子焼? 疎開した陛下と益子町の知られざるエピソード

ハフポスト日本版では、栃木県の益子陶芸美術館に問い合わせてみた。
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天皇陛下が、生前退位への考えを強く示唆する「お気持ち」を表明したビデオメッセージの映像について、陛下の後ろに映り込んでいた大皿について注目が集まっている。

ネット上でこの大皿の「作家では?」と噂になっているのはのは益子焼の作家で人間国宝の陶芸家島岡達三氏(故人)の作品だ。ハフポスト日本版では、栃木県の益子陶芸美術館の学芸員、横堀聡副館長に見解を問い合わせた。

――島岡達三先生のお皿が映っていたのでは?と話題ですが

本物を見たわけではないので100%とは言えません。裏を見ればわかるのですが。でも、島岡達三の大皿でほぼ間違いないと思います。学芸員仲間ともおよそ見解が一致しました。

――なぜそうわかるのでしょうか?寄贈されたとか

そういう記録があるわけではないのですが、あのお皿は、縄目の模様がありましたよね、あれは縄文象嵌(じょうもんぞうがん)と言って、島岡達三によって考案されたものだからです。作品に縄目を施して色の違う土をはめ込む(象嵌する)技法です。また、真ん中は柿釉(かきゆう)で、益子焼の特徴ですから。島岡はあのスタイルの大皿をいくつも制作しています。

――横堀さんはビデオをご覧になりましたか

はい、でも実は一度目に見た時は気づかなかったんですよ。そのあとで学芸員仲間から問い合わせがありまして、驚きました。写真で見たら確かにそうだなと。こういう形で陛下が手元に置いてくださっているというのは、驚きで、光栄ですね。

――島岡達三と天皇陛下にご交流はあったのでしょうか?

師匠の濱田庄司の元を天皇陛下が訪問されています。詳しくはわかりませんが、そうしたご縁から、島岡とも交流があったかもしれません。

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島岡氏の著作。縄文象嵌の美の世界が紹介されている。

■天皇陛下と益子焼、知られざるエピソード

島岡達三氏と現在の天皇陛下に直接の交流があったかどうかはわからなかったが、栃木県益子町には、陛下ゆかりの場所「平成館」がある。

元々は日光市に建っていた「南間(なんま)ホテル」を移築したもので、太平洋戦争終結を伝える昭和天皇の「玉音放送」を、皇太子だった陛下が聞いた部屋だ。朝日新聞によると、「しっかり握りしめられた両手はかすかにふるえ、目がしらには涙があふれ光っていた」と、学習院軍事教官として立ち会った高杉善治さんが著書に残している。

1996年に天皇・皇后両陛下は益子焼などの地方産業視察のために益子町を訪れ、この部屋で昼食をとった。天皇陛下は疎開当時を非常に懐かしがったという。

宮内庁総務課によると、ビデオメッセージを収録したのは御所の応接室。大皿などは普段からこの部屋に置かれているものだが、詳細な品名や作者などは「分からない」との回答だった。

しかし、読み上げられた「お気持ち」の冒頭は「戦後70年」で始まっていた。益子焼は陛下にとって戦争終結と関わりのある思い出の品なのかもしれない。

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