富田勝氏、死去 "法政三羽ガラス"田淵幸一氏「あいつは本当の親友」

富田勝氏が肺がんのため死去した。田淵幸一氏、山本浩二氏と共に「法政三羽ガラス」と呼ばれ活躍。富田市の訃報に田淵氏や山本氏は…
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南海(現ソフトバンク)などで内野手として活躍した富田勝(とみた・まさる)氏が5月26日、肺がんのため大阪市の病院で死去した。68歳。日刊スポーツなどが報じた

富田氏は1946年、大阪生まれ。法政大では田淵幸一氏(阪神→西武)、山本浩二氏(広島)と共に「法政三羽ガラス」と呼ばれ、リーグ屈指の内野手として活躍した。

スポニチによると田淵氏は「あいつは本当の親友。病状を聞いて気になっていただけに、本当に残念。言葉もない。ガッツのある本当のファイターで、私が大学で主将の時も何度も助けてくれた」とコメント。山本浩二氏は「こんなにつらいことはない。50年の付き合いだからね。三羽がらすと言われたが、ブチ(田淵)の前後を打つために当時の監督の松永さんにものすごく鍛えられた。あいつがいたから頑張れた。良きライバルであり、私生活でも2人だから成長できた」と話したという。

1968年度のドラフトでは、憧れの阪神ではなく、南海から1位指名を受けた。当初は渋る富田氏を新山滋球団社長が自ら説得。なんとか口説き落としたという。1970年には本塁打23本を放つ活躍を見せた

その後、1973年から巨人、1976年から日本ハムで、1981年は中日でプレーし1982年に引退。プロ13年で通算1087安打を放った。