真ん中の私たち 私が「殺してきた」かもしれない価値観

私が気づいたのは、パリの空港で入国審査の列に並んでいたときだった。
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SHIORI CLARK

少し遠回りして始めたい。

20年ちょっと前、大学生最後の年、私は近現代史のゼミに入った。

ゼミの初日、担当教員が自己紹介をした。このゼミを長く担当していた大学の教授がこの年、長期のサバティカルに入ったとかで、代わりに自分がゼミを担当することになった、という。

小柄で華奢で、こけしのような面立ち。中性的な雰囲気で、物静かなたたずまいなのに、不思議な存在感があった。

その教員は、ゼミのほかに近代史の講義も担当していたのだが、これまた不思議な質問を学生たちに投げかけていた。たしか、こんなやりとりだったと記憶している。

「あなたは、日本の国民だと思いますか?」

「ええ」

「なぜだと思いますか」

「親が2人とも日本人だから」

「あなたは自分を日本人だと、何で証明するのですか」

「パスポートで...」

「日本人って何ですかね、そもそも」

「...」

なぜそんな自明なことをいま聞く? 私を含め、戸惑う教室の空気はよく覚えている。

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そのやりとりを久しぶりに思い出したのは2年ほど前、パリのシャルル・ド・ゴール空港のパスポートチェックの長い列にいたときだった。

夫の実家がある西フランスの小さな村に里帰りするため、日本から飛行機で到着したばかりだった。

空港に到着すると、入国審査の列に並ぶ。家族はそこで、「EU住民」と「非EU住民」の列に分かれる。夫はフランス国籍、私は日本国籍だからだ。

アメリカで生まれた息子は、日仏米の3つの国籍を持っているので、こういうときはフランス人として、「EU」の列に行く。「EU」の列の方が断然短く、従って待ち時間も短いからだ。

息子が3歳の夏、フランスに里帰りしたときのことだ。いつものように、私は「非EU」の長い列に並び、夫が息子を抱いて「EU」のレーンをすいすいと進んだ。

息子が、夫の背中越しに、私をじっと見つめたまま、遠ざかっていく。

目が言っている。

「なんで?なんでママは一緒に行かないの? なんでそこにいるの?」

だって、私は日本人だから。

心の中で言った後、あ、と思い直した。

だって、私たちは○○人である前に、家族だよ?

家族の間で日頃問い合わないような、「日本人」「フランス人」という大きな看板がいきなり現れて、わたしたちの前にドーンと立ちはだかり、勝手に家族を分断して、それぞれの国に寄せていく、感じ。

まるで、私たちは家族である前に、どこかの国民に所属していることが優先されているような、感じ。

あの不思議な質問の記憶が、むくりと起き上がった。自明なものをなぜ?といぶかしんだことに、20年後、違和感を抱くようになるとは。

そういえば、あの教員は、○○人、○○の国民という概念そのものが作られたものだと言っていた。

私はあのとき、「自明」という思い込みから、なにも見ようとしなかった。

「○○人」という意識の前に、自分の家族を対峙させて初めて、自分がその概念の枠にとらわれていたことに気づいたのだった。

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日本国民、日本人だと思う理由を学生にただした教員は、明治時代の民衆史が専門の歴史学者だった。

名前を牧原憲夫さんという。

学生たちに質問を投げかけてから1年余りたった1998年、牧原さんは「客分と国民のあいだ―近代民衆の政治意識」(吉川弘文館)という本を出した。

本の中で、それまで政治に対して「客分」というスタンスをとっていた民衆が、明治になって、いかに「国民」という意識を主体的に持つようになっていったのか、「国民」はどのような形で作られていったのか、その経緯を自由民権運動など、明治期の人々が遭遇した出来事を通じて読み解いた。

牧原さんは、「客分と国民のあいだ」の「おわりに」でこう唱える。

現前する国民国家の共同性に眼をつむることなく、しかもそこから不断に乖離するように努める、いいかえれば自らの存在非拘束性に対峙しつづける、そんな自覚的・自律的な客分であることが求められているように思われる。

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長くなったが、自分の置かれた状況とこうしたいきさつから、自明であるかのように語られる「日本人」なるものに、なんらか問いかける企画をしたい。そう思った。

夏ごろから編集部の有志と、企画の趣旨を練り始め、10月から約1カ月余、#真ん中の私たち という、当事者によるライフストーリー特集を手がけた。

当事者でしか分からない世界、見えない風景なのだから、当事者に書いてもらおうというのが、企画で最もこだわったことだった。20人を超す人たちが、自身の「真ん中」の物語を寄稿してくれた。

誰かの物語が、別の誰かの物語を呼んだ。

寄稿者の多くは、「帰国子女」「ハーフ」「在日コリアン」「日系人」「バイリンガル」「外国人」などと、それぞれのルーツやバックグラウンドをひとくくりにして語られ、「日本人らしさ」を値踏みされ、時には「日本人」から除外された経験を持つ人たちだった。

寄せられた物語は、そんな枠にまったく収まらないほどの様々な言葉で、それぞれに異なる豊かな世界観が紡がれ、だが何かでしっかりとつながった、パッチワークのような企画に仕上がった。

一つ一つの物語に圧倒されながら、20年記者をしてきた自分を省みずにはいられなかった。こうした豊かな世界観や当事者の言葉を、私は分かりやすさや読みやすさ、そして自分のフィルターという「枠」の中にはめ込むために「殺してきた」こともあったのだ、と。

この企画で、牧原さんの言葉とつながるような寄稿と出会った。

そう、ぼくに決定的に欠けているものは、国に対するまじめさ、つまり国民としての意識なのだろう。なぜならぼくは、あてがわれた概念に対して責任を持つなんて馬鹿げているとつねづね思ってきたからだ。そして、その責任を押し付けるものからいつも逃れようとしている。

「真ん中」という言葉を見つけ、企画の題名にしたいと提案してきたのは、編集部のビデオエディター、坪池順だ。作家の温又柔さんの小説「真ん中の子どもたち」の本を読んで、「いろんな世界が交わっているという感じをうまく言い当てている。この言葉が自分には一番しっくりくる」と言ってきた。

坪池自身、「真ん中」に立っている。日本人の両親が移住したアメリカで生まれ育ち、大学を卒業した後、日本で働き始めて2年目になる。

#真ん中の私たち のバナーを手がけてくれた、クラーク志織さんも「真ん中」に立つ。彼女も、思うところがあった、と、冒頭の「Be Nice」のイラストデザインと一緒にメッセージを送ってくれた。

最後に、クラークさんの動画とともに紹介して、締めくくりたい。

イギリスと日本のハーフとして日本で生まれ育った私は、「自分は一体何人なのだろう」とずっと悩んで育ってきた。

6年前にロンドンに移住した。

住んでみて驚いた。ハーフなんて珍しくもなんともなかった。

みんなどこかのハーフなんじゃないかってくらい、多国籍だった。

とたんに今までの悩みがどうでもよくなった。

私はみんなと同じただの人間だと気づいた。

たったそれだけの事だった。

そして「Be Nice」が私の人生のモットーになった。

当たり前だけど、"何人"以前にみんな同じ人間だ。

だから目の前にいる人に常にナイスに振る舞う。困っていたら助け合う。

そんな人間でいたいと、強く思うようになった。

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Shiori Clark
HuffPost Japan