『君の名は。』新海誠監督の人生を変えたのは、宮崎駿さんの『天空の城ラピュタ』だった

ゲーム会社の社員だった新海監督が、なぜ自主制作のアニメーションを作るようになったのか。「ポスト宮﨑駿」という評価も出ているが、新海監督自身は、宮﨑駿さんをどう見ているのか。詳しい話を聞いた。
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『君の名は。』の新海誠監督

『君の名は。』が空前の大ヒットとなった新海誠(しんかい・まこと)さん(43)は、その異色の経歴でも知られる。アニメーションの監督になるのは、アニメ会社で動画や原画などアニメーターしての修行を積むケースが多いが、新海さんはTVゲームソフト会社「日本ファルコム」で、ゲーム用のオープニングムービーなどを担当していた。2000年に自主制作した短編アニメ『彼女と彼女の猫』が第12回CGアニメコンテストでグランプリを受賞する。ファルコム退社後、2002年に『ほしのこえ』で商業作品デビューをした。

『君の名は。』の制作経緯を聞いたインタビュー前編に続いて、新海監督にアニメーション業界に入った経緯と、「ポスト宮崎駿」という評価も出ていることについて、新海監督自身はどう思っているのかを聞いた。

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■「『自分の日常を肯定したい』という気持ちがあった」

新海さんが2000年に自主制作した短編アニメ『彼女と彼女の猫』

――新海監督はゲーム会社に勤めながらアニメを自主制作し、その後アニメ監督になりました。アニメーターから監督になることが一般的なアニメ業界では特殊な経歴ですが、なぜアニメを作りたいと思ったんですか?

もちろんアニメが好きだったというのが大きいんですが、「自分が今生活している世界」のことを描きたいと思ったんですよね。ゲームはゲームで創作物だし、小説や映画と同じように感動することができるんですが、僕が勤めていたゲーム会社は、ファンタジー系のロールプレイングを作る会社だったんですよ。

現代物が当時なかったので、剣と魔法の世界を描くゲームを、会社で毎日ひたすら作っていました。それはそれですごく楽しかったんですが、それを作っている自分は毎日、満員電車に乗って、朝6時に起き、スーツを着てネクタイを締め、会社に行って、終電で帰っていました。

当時の自宅の最寄り駅であるJR武蔵浦和駅から自転車に乗って、家の途中のコンビニで晩御飯を買って、夜中の1時か2時ぐらいにコンビニ弁当食べて、ちょっと本読む......という生活でした。自分が作っているものと、自分の生活があまりに違う。

自分の生活......。たとえばマンションの鉄の階段とか、コンビニの看板とか、そういうものが出てくる作品を作りたいという気持ちがどんどん強くなっていきました。勤務先のゲーム会社の方向性と、どうしてもずれてきたので、自分の日常に近いものが出てくるアニメーションを自主制作で作り始めました。「自分の日常を肯定したい」という気持ちがあったんだと思います。

――ではアニメという媒体をやりたかったというより、身の回りの日常を自分なりに咀嚼して描きたかったと?

でもアニメを選んだのは、単純に絵が好きだったんだと思いますね。あと絵で表現されるもの、人の目で一度解釈されたものを見るのが好きだというのもあると思います。僕は中学一年生のころに、宮崎駿監督の『天空の城ラピュタ』を映画館で見たときの衝撃がすごく大きくて、今でも強く覚えています。

『ラピュタ』を見て「雲ってなんてきれいなんだろう」と思ったんです。『ラピュタ』の背景美術を通じて、雲の美しさを突きつけられました。『ラピュタ』を見たあとに現実の空を見たら、こんなに複雑で美しいものだったんだと、作品を通じて教えられたような感覚がありました。絵って、世界の見方を人に教えてくれるものだと思うんですよね。だからこそ絵画っていうものがずっとあるわけで。だから絵そのもののそういう魅力が、好きだったんでしょうね。

■「宮崎駿さんは最後の国民的作家かもしれない」

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『天空の城ラピュタ』のポスター(部分)

――『君の名は。』の興行収入は宮崎監督の『もののけ姫』にも迫る勢いです。(編註:11月27日までに『もののけ姫』を超えている)。新海監督をポスト宮崎駿と見る声も出ています。宮崎駿監督は新海監督にとって、どういう存在でしょうか?

もう何もかも違います。僕は、まだお会いしたこともありません。宮崎駿さんは、映画監督が国民的作家であり得た、もしかしたら日本で最後の人かもしれないと思っています。

夏目漱石や村上春樹など、日本の誰もが知っていて、誰もが一度は作品を目にしたことがある人が国民的作家だと思います。でも、そういう存在が失われつつある気がします。価値感が多様化していき、ネットでいくらでも作品を楽しめる状況では、一つの映画を繰り返し見ることが減っていくと思うんですよ。

みんなが、それぞれ違うものを別々に楽しむ。そうなると、国民的作家は登場しにくくなります。宮崎駿さんはそれができていた。彼の圧倒的な才能と能力がそれを可能にしていた部分もあるし、時代が可能にしていた部分もあると思います。だから、これから先、ああいう人は現れないんじゃないかなと思います。

――新海監督ご自身は、そういった国民的作家になりたいという気持ちは?

ないです。今回の『君の名は。』に関して言えば、観客数でいえば1400万人行きましたから、作品自体は、たまたまこの世の中にリンクしたと思うんですよ。やっぱり『君の名は。』というのは、そこまで届いた作品だと思います。

でも宮崎駿さんは、彼の人生そのものが、日本の社会とリンクし続けた人です。そういう人って滅多に現れないと思うんです。作ったものが1作、2作がたまたま世の中とリンクするということは稀に起きると思うし、『君の名は。』はそういうことが、自分の身に起こった作品だと思います。ただそれが、今後もやり続けられるとは全く思っていません。

――では今後、どういう作品を作りたいですか?

それも分かりません。その都度、テーマを見つけて単純にベストを尽くすだけだと思います。

あと自分に何かアイデンティティがあるとしたら「観客と繋がっている」と思っていたい。「観客のために物を作るんだ」と思い続けたいですね。「こういうものが見たかったんだ」って観客の皆さんに思ってもらいたいんです。「見たいものを作る」だと、ある種予想ができます。でも、何か自分では気づかなかったけど「これが見たかったんだ」と、作品を見るたびに思ってもらえたら幸せですよね。

■ものづくりは「人が生きるのを助ける仕事」

新海誠監督の出世作となった『君の名は。』の予告編映像

――新海監督は異色のキャリアでアニメ監督になり、ある意味で夢を叶えたと思います。世の中には、夢を叶えられなくてモヤモヤしている人も多いと思いますが、そういう人々へのメッセージがあれば。

あまりポジティブなメッセージは届けられないんです。「頑張って続ければ、いつか届くよ」みたいなことが言えるわけではないです。それって分からないじゃないですか。

僕だって『君の名は。』がヒットしなかった自分もいるかもしれないと思っているし、商業デビュー作の『ほしのこえ』が当たらなかった自分というのは今でもいるような気がしています。だから映画監督なり、アニメーターなり、ものづくりを目指す人に何か言えるとしたら、ものづくりは「誰かを少し助ける仕事」だと思うんですよね。たとえば医者や警官など、社会の中で明快な有用な役割がある仕事とは少し違うように見えるけど、でもやっぱり「人が生きるのを助ける仕事」だと思います。

自分たちも、創作物に助けられてここまで生きてきたはずですよね。漫画やゲームやアニメ、小説に助けられて生きてきたはずだから、自分もそのサイクルの一部だと思ってもらえたらうれしいですね。自分が誰かを助けていて、自分も誰かに助けられている。「作品を作る」とはそういう行為だと思ってもらえたら、ヒットするヒットしないとは別の水準で、自分のやっていることに誇りが持てると思うんです。

■新海誠さんのプロフィール

1973年生まれ、長野県小海町出身。中央大学文学部を卒業後、5年間のゲーム開発会社勤務を経て、2002年に、個人で制作した短編アニメ『ほしのこえ』で映画監督としてデビューした。以後は『秒速5センチメートル』(07年)、『言の葉の庭』(13年)など作品を手がけた。2016年8月公開の『君の名は。』が、日本国内の興行収入が200億円を突破。世界92カ国・地域に配給が決定している。

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