ロンドン国会議事堂テロ、容疑者は単独犯か過激派か ISは「戦闘員」と呼んだが...

どの程度関係していたのかは不明だ。
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A union flag flies over Parliament at half-mast the morning after an attack by a man driving a car and weilding a knife left five people dead and dozens injured, in London, Britain, March 23, 2017. REUTERS/Neil Hall
Neil Hall / Reuters

・イギリス・ロンドン中心部の国会議事堂とその周辺で4人が死亡した3月22日のテロ事件で、イギリス警察は23日、射殺した襲撃犯をハリド・マスード容疑者(52)と特定した。

・イスラム過激派組織IS(「イスラム国」)は、マスード容疑者を「戦闘員」と呼んだが、イギリス警察は容疑者の単独行動だったと思われる、と述べた。

・犠牲者は教師、警察官、アメリカ人観光客、75歳の男性だった。

ロンドン市民たちは23日、団結を呼びかけ、いつも通りの生活を送っているというメッセージをシェアした。

警察によると、マスード容疑者は、過去に複数の事件で有罪判決を受けていたが、テロ行為に関係したことはなかった。マスード容疑者はケント州出身のイギリス国民で、近年の捜査対象には入っていなかった。警察は、容疑者が最後に住んでいたのはウェスト・ミッドランズ州だったとしている。

マスード容疑者は22日、車でウェストミンスター橋を暴走し歩行者をはね、2人が死亡、少なくとも40人がけがをした。その後近くの議会議事堂への突入を試みた。容疑者は議事堂の門で警備にあたっていた警官1人を刺殺し、その後警察に射殺された。ウェストミンスター橋ではねられて重体になっていた75歳の男性も、23日死亡した。

警察は、このテロ事件に関する詳しい情報を求め、イギリス全土で家宅捜索し、3人の女性と5人の男性をテロ準備容疑で逮捕した。警察は、カーマーゼンシャー、バーミンガム、ロンドンで捜査を続けているという。

ISは同日犯行声明を出し、マスード容疑者を武装グループの「戦闘員」と呼んだが、どの程度関係していたのかは不明だ。警察は23日午前、マスード容疑者が海外でのテロに触発され、単独の行動だったと考えられると語った。テリーザ・メイ首相は、容疑者は以前、過激思想のため取り調べを受けていると明らかにした。「彼はテロの周辺人物でした。歴史に残る事例となりましたが、容疑者は現在の監視対象ではありませんでした」

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テロ現場の見取り図。1. ウエストミンスター橋(左上)から車が通行人を次々とはね、2. 国会議事堂のゲートに衝突。3.警察が襲撃犯を射殺

犠牲者の1人、カート・コクランさんはアメリカ・ユタ州在住の観光客だった。家族の代理人がBBCに語った。妻は重傷を負ったが、命に別状はないとみられる。この夫婦は結婚25周年のお祝いでヨーロッパを訪れていた。

アメリカのドナルド・トランプ大統領は23日、コクランさんの家族に哀悼の意を表した。

素晴らしいアメリカ人、カート・コクランさんがロンドンのテロ攻撃で殺害された。家族と友人の方々には、心よりお悔やみを申し上げる。

3月23日の晩、ロンドンの人たちがトラファルガー広場に集まり、連帯の言葉が書かれたプラカード、花束、そしてイギリス国旗を掲げて追悼した。彼らは1分間起立して黙祷を捧げ、犠牲者のためにろうそくに火を灯した。ロンドン市長のサディク・カーン氏は参加者に向かい、群衆に向かい、我々は「明確なメッセージを送る」ためにここに集まった、と述べた

#PrayForLondon #TrafalgarSquare 23日の追悼集会前の様子

ユニオンジャックのトレーナーを着て国旗を掲げる男性が、トラファルガー広場の追悼集会でろうそくに火を灯す

「ロンドンの人たちは、テロに屈しません」とカーン市長は言った。「私たちが共有する生き方を破壊しようとする邪悪で心の曲がった人たちは必ず失敗します。私たちは彼らを非難します」

22日のテロ発生後、何時間も国会議事堂に閉じ込められた議員たちは23日午前9時33分、犠牲者のために黙祷を捧げた。この9時33分という時刻は、パーマー氏の警官バッジ番号の933番に対応していた。

「私たちは恐れません。テロに直面しても私たちの決意は揺らぎません」と、メイ首相は語った。彼女は攻撃の時間に国会議事堂にいたが、被害はなかった。

メイ首相は病院に収容された負傷者を見舞った、と首相官邸は発表した

テロの現場からわずか4軒先に住んでいるスチュアート・ベイリーさん(25)は友人と酒を飲みに行こうとしていたが、武装警官にその場を離れるよう指示された。

「通りや道には大勢の武装警官がいて、私の前にも3〜4人いるのがわかりました」とベイリーさんはBBCに語った。

「彼らは黒ずくめでMP5(機関銃)のようなもので武装していました。1人は弾倉を脚に6つ巻きつけていました」

「私たちは恐れません」 昨日のウェストミンスター(#Westminster)襲撃の後、イギリス議会に向かって演説するテリーザ・メイ首相

ISは系列メディア「アマク通信」を通じてテロ攻撃の犯行声明を出すことが多い。しかしその場合でも「ISが必ずしもテロの計画や実行に直接関与しているとは限らない。自分たちへの忠誠を公的に誓ったテロリストなら誰でもISの一員と認める」と主張する。そのためテロ攻撃は、ISに触発されたものと、ISが直接手を下したものに分けられる。

市内の病院では29人がまだ治療を受けており、そのうち5人が重体だった。メイ首相によると、負傷者の出身国はルーマニア・韓国・ポーランド・ドイツ・アイルランド・アメリカなどで、ほかにも表彰式から帰る途中だった警官3人やフランス人の学生も数人いた。

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死傷者を出したテロ事件の翌日、ロンドン中心部の国会議事堂の非常線近くには献花が見られる。

公共交通機関は23日朝ほぼ通常通りに回復した。事件が発生した市内の一部区域だけが依然閉鎖されていた。事件現場近くには犠牲者を追悼する花やメッセージが添えられた。

ロンドン郊外から市内へ毎日電車で通うトレーシー・アレドさん(34)はハフィントンポストUK版に、「(23日朝の通勤は)普段と何も変わりませんでした」と話した。

「もし昨日ニュースを見ていなかったら、何かが起きたなんて考えもしなかったでしょうね」と、国会議事堂近くで働くアレドさんは話した。「電車や地下鉄に乗っている人はみんな、ただ普段の生活を続けています」

マーケティング会社に勤めるジェーン・マッカリオンさんによると、22日遅くにはすでに現場付近は通常通りに戻っていたという。

「ナチスが毎晩爆弾を落としてもロンドンは陥落しなかった。たった1人のテロで、ロンドンの人たちが動じることなんてない」と、マッカリオンさんはツイートした。

22日のテロ攻撃は、ロンドンで2005年7月7日に52人が死亡、数百人以上が負傷した同時多発テロ事件以来の惨事となった。そして22日は、32人が死亡したベルギーの首都ブリュッセルの爆弾テロからちょうど1年にあたる日だった。

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