地方創生というと、「ふるさと納税」や「ゆるキャラグランプリ」など、国や自治体が莫大な税金を投入している町おこしばかりが注目されがちだが、財政赤字に陥る自治体も出てくるなど事態はかなり深刻だ。
18年間、全国各地で「稼ぐ事業」の仕事をした経験をもとに『地方創生大全』を書いた木下斉さんに聞く、地方が生き残るために本当に必要な処方箋とは?
——木下さんの著書『地方創生大全』の冒頭には、国の地方創生政策による予算で立ち上げた地方事業で、国が先進的であると認めたもののうち、2016年6月時点で目標を達成したのは4割に満たないとあり驚きました。
地方創生事業の計画を担当した人に、「それはたとえば、500万円、5000万円、5億円のどの規模の売上げを出すための事業にするか最初に設計していますか?」と聞くと、そういう発想ではないわけですね。
むしろ5000万円の予算をもらうために、事業を設計しているのです。5000万円をもらうためには、この程度の経費構造にして、試作品にいくら、必要機材にいくら、コンサルタントにいくら、といったように「出て行くお金」ばかりを積み上げて予算を構成するわけです。予算がもらえるようにそれっぽいシナリオを作り、関係者を集めて協議会などを作り、何の裏付けもない数値目標をなんとなく作って提出する。
例えば、「農作物を加工して、こういう商品をつくりたい」といったことが計画にあったりするわけですが、「そもそも客は誰で、どのようにその人たちに営業し、いくらで買ってもらえるのですか?」と聞くと、「それは作った後に考える」と言うので、「いやいや、それは今考えることですよ。今決めないと、その5000万円が回収不能になりますよ」とアドバイスするわけですが、そういう意識にならない。
例えば、「地域ぐるみで取り組む〜」などと計画は立てていても、その内容が漠然とした定性的過ぎるものばかりだったりするので、「ちゃんと数値化して定量的に考えましょう」と言うと、「数字に弱いので」といって逃げ込んでしまう人もいます。数字は、強いも弱いもなくて、複雑な計算もいらなくて、自分たちで決めれば済む話が沢山あるのに、それさえもちゃんと考えていなかったりします。。
一方で成果が挙がっているものは、ちゃんと自分たちで営業を先まわりで行っているものばかりです。お茶や栗製品の製造販売を行う高知県四万十町の株式会社四万十ドラマも、もともとお茶や栗ペーストなど原材料を販売する会社からスタートしたものの、取引先から「せっかくの四万十の栗なのにペーストに出すと、他の国産などと混ざってしまうから価値が下がってしまう。四万十の栗で加工販売してくれると、高値で売れる」という取引先からの提案を受けて商品開発を進め、今に至っています。
お茶にしても、「茶葉では売れないから、四万十のお茶のペットボトルを出して欲しい」という需要に対応して製品開発して販売されています。思いつきの商品開発ではなく、もともと地味に事業に取り組みつつ、需要を確定して新たな商品開発に繋げているわけです。もちろん分厚いストーリーもあるので魅力的ですが、実際には営業先回りに基づく経営的なプロセスがあることに注目しなくてはならないです。
数字を考えられない人は事業に関わらないほうがいいし、事業の計画なんて立てるべきじゃないのに、ワードに書いた適当な文書と予算配分書で話を進めて、結果、民間の誰も投資しない、金融機関も融資しないような"なんちゃって事業"に、膨大な税金を垂れ流す作業を「仕事」になってしまっています。
貴重な税金のみならず、このリターンなき事業に、ただでさえ不足している地域の労働力を無駄遣いするわけですから、これでは地方創生どころか地方衰退を加速させるだけになってしまいます。
——予算をもらうための事業計画になってしまっているんですね。
先のように、このような構造に問題意識を抱いて、自ら組織を飛び出して挑戦を始める人はとても大切です。しかし、いきなりそうならずとも、今いる組織内でも変えられることは少なからずあるわけですし、また組織を辞めずとも、組織外で貢献できることもあるわけです。
地方創生予算をみても、結局「できない」とか「仕方ない」と、間違っていると気付きながらも変化することを諦めるのが一番問題だと思います。
——木下さんは、公共事業が民間と連携して地域再生をするための人材育成もされていますね。
僕が理事を務めている公民連携事業機構では東北芸術工科大学と提携して「公民連携プロフェッショナルスクール」を開校しています。
個別コンサルなどはしたくないので、一括して皆で集まって互いに切磋琢磨して学びつつ、公民連携事業に取り組むようにするよう進めています。今年で年3目に入りすでに約120人が卒業、今年も60名を迎え入れました。卒業生は、経済性と社会性を兼ね備えた面白いプロジェクトたくさん進めています。
ある市の職員は、赤字垂れ流しで人もこなかった砂浜に、夏だけで元々10万人を切っていた地域に20万人以上を集め、港湾施設を所有する県と市に800万円以上(の収入)が入る事業を立ち上げた人もいます。
赤字続きの動物園の改革をしている人、高齢者の運動増進を地域の100箇所以上の拠点で展開し、結果として財政負担を軽くする取り組み実現している人などもいます。実は民間だけでなく、役所の人間だって公共資産を効果的に活用することで、自分たちで高いできる道も多々あるわけです。
数百万円規模から数億円規模のものまで、1期生だけで30ほど具体的なプロジェクトが動いています。みなさん、基本的には私費で参加されている方がほとんどで、その熱意は具体プロジェクトの立ち上がりスピードみれば一目瞭然です。本気の人は、官民の隔たりなく、仲間と協力しながら突破していくのだと思います。
——すごい熱意とスピード感ですね。
「税金で運営している公共施設だからお金儲けなんかするべきじゃない」という考え方は、もはや通用しなくなっています。
綺麗ごとの「べき論」を言っていても、財政が苦しい中では、そもそも(施設を)閉鎖するしかない、建て替えられない時代になっています。出来る限り、その公共施設、サービスが維持できる環境を整えるためには、適切に稼ぎを作り、公共を支えていくことも大切なのです。
お金をもらう、稼ぐ、儲けるというと、誰か悪い人が私腹を肥やすためにやっている、という人がいますが、それは違います。儲けること自体が悪いことに繋がるのではなく、儲けをどのように使うかが、が問われているんです。むしろ稼ぎ、そしてそれを効果的に使うことができれば、地方にとっては新たな可能性を独自に作り出せるチャンスになります。
同時に、決まった収入でやりくりする、という感覚が会社員・公務員家庭では一般的すぎて、世の中の様々な課題解決も「節約」でどうにかしようとする節があります。
お金がないから縮小するという考えも、結局は「今ある資源をいかに活用して収入を増やそう」とならずに、「節約して耐えよう」になってしまうわけです。そうではなくて、節約するのにそんな労力使うくらいならば、稼ぐ方策を考え、公共サービスの充実を目指しましょうよ、ということです。
地方を取り巻く問題を見ていくと、一番の問題は、日本では「お金」が共通言語じゃないということです。経済についてしっかり勉強する機会が与えられていないですから。
——確かに、義務教育に経済の授業はないですからね。アメリカでもイギリスでも、小中学生の頃から経済や金融についての教育を受けています。
海外もまちまちですが、少なくとも日本の義務教育で、生きた経済を学ぶ機会はありません。だから、日本人はお金の話になると個人差が激しくて、知識がゼロに等しい人もいれば、とてつもなく詳しい人がいて、一定水準がないんです。
大切なのはお金じゃないと言う人がいますけど、もちろんお金ではない大切なものもあります。しかしながら、現実として物々交換ですべてを済ませるわけでもなく、何をするにも一定のお金は必要です。人の命を助けるのにも、手術にも治療費にもお金が必要であって、だから皆でお金を出し合う社会保障のモデルが存在するわけです。
大きな社会問題となっている貧困格差を是正するためにも、子どもたちに対するお金の教育はとても大事ですが、教育改革の議論でもそういう話がなかなか出ない。証券業界が急に「株式教育を子どもたちに」みたいなことはあっても、商品・サービスを提供して、対価を受け取る、みたいな原理原則の経験など積ませてくれない。
——子どもの頃に、生きた経済を学ぶ機会はないですね。
私が高校生の時に、そういう機会がなさすぎるので、商店街の中学生の修学旅行受け入れ事業で、販売体験事業を仲間と立ち上げました。修学旅行生に地元の名産を持ってきてもらって、早稲田商店会で販売してもらう企画だったのですが、最初は先生の一部が「儲けが出ると困る」といってタダで地方物産を配ろうというのです。
学校側に「八百屋の前でりんご配ったらどうなるかわかっているのか」と話した上で、中学生たちに儲けがいくのが困るというのであれば、それを寄付するところまで教育プログラムにしましょう、ということにしました。
事前にインターネットで中学生たちが調べて、東京に本部がある様々な非営利組織の中から「寄付したい」ところを決めてアポをとり、販売体験での利益をそれら非営利組織に寄付するという仕掛けにして、ようやく認められました。今でもこの販売体験プログラムは、より進化したかたちで早稲田商店会で続いています。
その他、都立農芸高校が授業時間中に、商店街で自分たちで作ったものを販売する際に、「商品を売るのを授業としては認められない」と当初、ストップがかかったのですが、関係者一同で説明して実現しました。それ以降、授業の一貫で、自分たちが実習でつくった商品を様々なところで売れるようになりました。
——貴重な経験になりますね。
私が学生時代から、このようにお金に関わることを学校でやろうとすると、本当にたくさんのハードルがありました。お金の経験ばかりしろとは言いませんが、あまりに(教育には経済の視点が)欠落していて、日銭に触れることが少なすぎることが、問題解決能力をも低下させているように思います。
誰かを助けたい、救いたいという気持ちを行動に移す上で、稼ぎを作り出すスキルや経験は決してマイナスになりません。先立つものを作り出す稼ぐ力は、想いをカタチにする力になると思っています。
いざとなったら、個々人がどうにか自分で生計は成り立たせられる、と思えることも、人生の選択の幅を広げると思います。私は実家がもともと魚屋をやっていたこともあって、高校時代に早稲田商店会に関わり、まわりに普通に自営業者や会社経営者、しかも中小零細から上場企業まで幅広い大人に接していたことは本当によかったです。
高校時代からあらゆる企画でちゃんと収支をあわせる努力を求められたことも、今に繋がる力になっています。私が通っていた早稲田大学高等学院の校長先生などが大いに支援してくださったのはラッキーでした。
こういう経験がある方が、あまり経済に触れる機会がないままに大人になって、初めて組織で働くよりも、小さくても世の中の様々な問題を解決していけるのではないか、と思います。
——「地方は人口減少で消滅する」という思い込みは幻想だと、著書でその理由を説明されていて、ハッと目が覚める読者は多いのではないかと思いました。
人が減ったから何もできないと言う人が本当に多いんですね。でもそれは、人が多かったときのやり方が通用しないだけで、人が減った場合のやり方を考えてやれば、どうにかなることも多数あります。
人々の生活をみていけば、人が減ったといっても、集落単位を統合したり、人が減っても売上が上がったりすれば、一人あたりの生活は豊かになる場合もあります。
過去にやってきたことが失敗しても何もせず、「人が減ってるから」といっていたら、本当に地域は消滅するでしょう。それは人口減少で消滅するのではなく、人口減少を言い訳に何もしないから消滅するのです。
——人口減少が進む自治体経営はどうすればいいですか?
自治体という単位でどうこうしようというのをまずやめることだと思います。
従来の都道府県、市町村単位という過去の人間が決めてきた単位を維持することに、右往左往することを辞めて、経済単位である都市圏などを基礎として自治体単位を再編すれば、十分に生活が維持できる地域は多くあると思います。
インフラ維持の基準も、かつて定めた高い水準から現実的なラインに落とすこともできるでしょうし、自治体それぞれでやっていたことを広域化して、単位あたりコストを引き下げることもできます。水道一つとっても、自治体が管理するとコストが高くて維持が困難かもしれませんが、地域での組合水道方式で維持続ける可能性もあります。
前述のように稼ぎを作って、従来の仕組みで維持できないものを維持できる可能性は山ほどあります。なぜならば、従来は税金使わずできることさえも、全て税金を使って、税金で維持するのを基本に、稼ぐことを忌み嫌ってきたことが多数あるからです。そういう意味では可能性の宝庫です。
その上で、民間が中心となって新たな稼ぎを生み出そうと思えば、できることは多数あり、既に始まっています。
——例えば、どんな取り組みが始まっていますか。
従来は工業が強かったから、農林水産業なんてほっとけばいいと言わんばかりの適当な政策が展開されてきましたが、農業も、林業も、水産業も、従来からの業界構造が限界を迎えています。これはピンチのように見えて、逆に今の現実的な取り組みへと変えるチャンスでもあります。
農業でも、産直取引や都市近郊農業で成果を上げる取り組みが増加し、林業も従来の森林組合の大規模林業方式ではなく、中国・四国地方で小規模な自伐林業が発展して農機具メーカーも注目しています。水産業も地方空港からの都市部、海外への輸送を中心として魚価を高め、乱獲に近かった漁獲高を低くして水産資源につなげる試みも進んできています。
地方では、造船会社やアウトドアメーカーが自ら観光開発に乗り出すことも出てきて、サービス産業によって稼ぎを作り出すという動きも活発になっています。ものづくりで外貨を稼ぐというのではなく、一次産業や三次産業を中心とした次の一手が出てきています。
人口減少によって過去の組織や枠組みが維持できないからといって、闇雲に未来を悲観的に見るのは問題を放置する理由を与えるように思います。特に、「高齢世代ほど未来が(ない)」と言われるのは、なかなか困りますね。
私は30代ですが、10代、20代の中には、新たな時代に対応して、社会性と事業性を合わせた取り組みを積極的に立ち上げている若者も出てきています。未来のことは、未来ある若者の判断に任せたほうがよいと思っています。そう考えれば、明治維新以降の構造が変わる、大きなチャンスと捉えるべきと思います。
すでに自治体だって保有している資産を活用して、自ら稼ぐこともできるわけですから、その変化は始まっています。かつて予算がなかった時代に、公園などを作ろうとして役人たちは工夫をして、レンタルボートや公会堂、野音、そして民間テナントなどを入れて公園を造園したりしていました。日比谷公園にも松本楼のような店があるのはその名残です。
だから人が減るからダメだ、予算がないから出来ない、なんてところで思考を止めてしまうのではなく、その先に向けた取り組みをすればいいわけです。そして、それは各地で若い方々を中心に始まっています。
私の高校の校長を務めていたである伴一憲先生が、「未来のことについては、若者が全てにおいて正しい」と言っていたことを今となって思い出します。そして高校一年の時に関わった商店会でも「若いくせに発言するな」とかは一切言われず、一緒にプロジェクトに関わった大企業から中小企業までの会社経営者、大学教授やら学生まで幅広い自分より年齢が上の人たちとフェアに付き合わせてもらいました。
最近、仲間とともに10〜15歳の若者たちと小さな勉強会を始めています。実際に社会の一線で挑戦する人たちと対等に議論し、実践を通じて学んでいますが、私達からしても本当に想像もしない視点を持つことが多数できます。
社会との接点を持ち、様々な専門家や実業家とフェアに関係を築くことになれることは、将来役立つためではなく、10代から行動して活躍し、社会にとって有益な実績をあげていくことに繋がると思っています。早すぎるということは全くない。この取組みについては全国各地でも賛同者が多く、今後、全国にそのような大人と若者の隔たりなき学びの場を繋ぎ、広げていこうとしています。
そして、それが日本の抱える様々な問題解決に繋がるのではないかな、と思っています。
木下斉(きのした・ひとし)
1982年、1982年東京都生まれ。エリア・イノベーション・アライアンス代表理事など。まちビジネス事業家、地域経済評論家。経営とまちづくりが専門。98年早稲田商店会の取り組みに関わり、00年から各地の事業型まち会社へ投資、経営などに携わる。著書に、『地方創生大全』『稼ぐまちが地方を変える』『まちで闘う方法論』、『まちづくりの経営力養成講座』などがある。
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