2012年、福岡市が「スタートアップ都市宣言」を行い、2014年にはスタートアップを目指す人たちが交流するためのスペースとしてスタートアップカフェが立ち上がった。大阪では今年の11月に阪急電鉄がスタートアップに向けたビジネス創出を支援する会員制オフィス「GVH #5」を開設するなど、地方からスタートアップを生み出そうという動きが各地で見られるようになってきた。それに伴って、起業する際の拠点を東京以外にしようという動きも増えてきている。
宮崎を拠点に、ネットショップの立ち上げから、運営の効率化まで、ECに関わるすべての業務をワンストップでサポートするITベンチャー、アラタナ。
月間1,600万PVを誇る国内最大級のファッションウェブメディア「honeyee.com」を運営するハニカム、セキュリティー事業を手がけるゲヒルンなど、東京の企業を買収し、宮崎から存在感を発揮する注目のITベンチャーを経営する濵渦伸次氏に、地方拠点のITベンチャーのリアルについて聞いた。
「宮崎はエンジニアの採用がしやすい」
東京ではどのITベンチャーもエンジニアを探しており、慢性的に供給不足な状態が続いている。一方で、地方に目を向けると事情が変わってくる。濱渦氏も「宮崎はエンジニアの採用がしやすい」と語る。
「エンジニアの採用において、宮崎には競合が少ないのが大きいです。都内にはアラタナと同じような給与水準の会社はたくさんありますが、宮崎にはあまりない。またエンジニアが求められる現場も歯車の1つになって受託開発を行うといった所が多い中、アラタナのように自社でサービスを開発している企業は非常に魅力的に映るようです。それもあって優秀なエンジニアを採用することができています」
地方だとエンジニアの採用がしやすいというのは、最初から狙っていたことだと濱渦氏は語る。
なぜわざわざ東京の営業所をなくしたのか?
アラタナもかつては東京に拠点を設けていたが、現在は、宮崎だけに拠点を集中させている。拠点をなくした際にも、売上が下がることはなく、成長は多少鈍化したけれども、それもしばらくしてまた伸び始めたそうだ。
東京に拠点を出した当時は、東京に進出することへの憧れのような思いがあったという。だが、次第に社内の足並みが乱れ始めた。
「東京案件、宮崎案件という言い方をし始めたり、東京で採用した人たちは宮崎への愛がなかったりと、業績は伸びたけれど、社内に『歪み』がでてきていたんです」
宮崎に来られる人は来てほしい、そう考えて濱渦氏は一度東京の拠点をなくし、メンバーに宮崎に来てもらったという。それにより、宮崎のDNAと宮崎の本社にあるアラタナらしさを、メンバーにも持ってもらうことを重視した。
今ではSkypeやハングアウトを使って会議を行い、電話やメールなどの連絡手段で全国の顧客とのコミュニケーションをとっている。数千万円規模の案件でも一度も会うことなく仕事を進め、納品し終わった後に初めて挨拶をすることもある。
「時間をとって実際に会いに行くことは、お客さんにとっても負担がかかります。会わないほうが互いのコストを減らせるのであれば、リモートで完結させられるほうがいいですよね」
リモートで仕事が完結するのであれば、働く場所はたしかに東京でも宮崎でも変わりはない。
市場が整い、地方への移住がポジティブな選択肢に
クラウドソーシングなど、場所を選ばない働き方が広まってきており、ラップトップと自分の身体があれば、どこでも仕事ができるようになってきている。
「東京じゃなくても、大きい仕事がとれる環境、技術を伸ばせる環境があることが徐々に浸透してきて、市場の環境が整ってきていいます」
以前は東京でしかできなかったことが、宮崎でも可能になってきていると濱渦氏は語る。東北の震災後はネガティブな理由での移住が多かったが、最近はポジティブに移住を検討する人が増えてきているという。
よく語られることだが、地方は東京と比較して生活コストが低い。アラタナの社員も、東京で一人暮らしをするぐらいの家賃で、オフィスの近くに家族で住むことができる。そのため通勤時間も節約でき、浮いた時間を家族と過ごす時間に充てたり、勉強の時間に充てられる。
生活コストが低いことで、さまざまな会社のランニングコストも下げることができる。人件費もそうだし、交通費や福利厚生などもそうだ。アラタナでは交通費や家賃補助にかかる費用を抑えることができたため、部署をまたいでくじ引きでランチ相手を決めてランチをする「シャッフルランチ」の時間を設けたり、部活動を奨励したりと、社内交流を活発にするような制度にお金を出している。
「東京では当たり前にかかるコストを削減して、会社が生き生きすることのためにお金をかけられるのが地方の利点ですね」
地方のデメリットは"潰れない"こと
地方に拠点を構えることで原価を抑えることができる。だが、濱渦氏は売値を下げることはしないという。
「よく地方に拠点を持つ企業は、原価から価格を決めてしまいがちです。東京の会社は提供価値から価格を決める。アラタナもそうしています」
売値を下げずに勝負できるのは、Eコマースに特化したからこそ可能になったこと。特化して取り組むことで市場の基準より高いクオリティーのサービスを提供できているためだ。
地方は会社も社員の生活もランニングコストが下げられる。そのため、チャレンジしなくても存続できてしまう。濱渦氏は、チャレンジしなくても存続できてしまう環境が、地方に拠点を構えるベンチャーのデメリットだと考えているという。
「アラタナは、Eコマースを専門としているテクノロジーの会社です。年々技術は進歩していくため、それに伴ってEコマースのシステムも進化させていく必要があります。アラタナはエンジニアが長く働きやすい環境を作り、エンジニアが経験を蓄積できていることが、この業界で仕事を続ける上での強みとなっています。また、Eコマースに特化したことで業界のスタンダードよりも高い価値を提供でき、おかげで売値を下げずに勝負ができていますし、出資も受けられています。
地方ITベンチャーのファイナンス
アラタナも資本が蓄積されるまでは苦労があった。現在では、アラタナは資金調達を行え、開発に注力する余裕を確保できたが、地方にはまだまだ資金調達に関する情報が少ない。
地方ITベンチャーにとって資金調達のハードルが高い理由の1つは、ベンチャーキャピタルとのつながりがなく、きっかけがないこと。もう1つは、受託をしながらサービス開発をしている状態では、ベンチャーキャピタルからの出資を受けにくいことがある。受託の仕事をしながらではサービスにフルコミットすることは難しく、フルコミットしない状態ではサービスを大きく成長させていくことはできない。投資家は大きく成長しない事業への出資には積極的にならない。
アラタナはエクイティとデットとの組み合わせで10億円ほどの資金調達をしている。最初は宮崎太陽キャピタルからエクイティで3,000万円を調達した。この資金で受託よりもサービス開発を強化。この段階でベンチャーキャピタルに出資話を切り出す余裕ができた。
次に、九州を中心に活動しているDOGANからデットで6,000万円を資金調達している。初期に出資しているのは宮崎や九州を拠点にしている金融機関。アラタナの拠点が宮崎であることや、将来的に1,000人の雇用を生み出すことを目標としていたことが、出資に有利に働いたと考えられる。
2社の地元金融機関から資金を調達して、会社の基盤を作り、ユーザー数を拡大した後、GMOやジャフコなど大手ベンチャーキャピタルへ出資依頼を始めたという。
アラタナは投資と融資のハイブリッドで資金調達を実施している。濱渦氏は、サービスを大きくする上では、投資を受けることが重要だと考えている。
「融資だと堅実さが求められ、大きなチャレンジがしづらいですが、投資だとベンチャーキャピタルから良いプレッシャーがかかってきます。サービスを大きくしていくためにプレッシャーは重要ですね」
地元の金融機関から資金調達を行ってサービスを開発し、サービスが大きくなってきたタイミングで大手ベンチャーキャピタルに出資をしてもらう。融資だけでサービスが回りそうになっても、あえて投資を受けることでチャレンジしようという気持ちを奮い立たせることも、地方発のベンチャーにとっては重要になるだろう。
子会社がグループのスパイスに
南国やリゾートのイメージが強い宮崎だが、宮崎だから楽しいとか楽だというのではなく、「たのくるしい」くらいがちょうどいいとアラタナでは考えているという。
宮崎を拠点にしていると、周りにベンチャー企業もほとんど存在せず、社員にベンチャーとしての意識を持ち続けてもらうのは簡単なことではないだろう。アラタナでは買収した子会社との交流によって社員に刺激を与えている。
アラタナが買収したハニカムとゲヒルン。ハニカムの買収目的はその編集部。BASEやStores.jpの登場により、今後コマースサイトの立ち上げは無料化していく。その流れの中で、重要になってくるのは「ECをメディア化することでファンを獲得していくこと」だ。これを機械化することは難しいため、優秀な編集メンバーがいるハニカムと協働してサービスを開発している。
ゲヒルンを買収したのは、ホスティングとセキュリティーが目的だった。ゲヒルンは社内がハッカーばかりの、平均年齢は約20歳という会社。案件実績の中には、銀行のセキュリティーシステムも担当している、高い技術力を持った会社だ。
アラタナは、Eコマースに必要だけど足りないものはM&Aで補っていく方針を持っている。買収する企業は、アラタナの延長線上にそのスキルがあるかどうかを軸に判断している。編集やセキュリティーといったものはアラタナが持つスキルの延長線上にないものだったのだ。
こうした特徴的な会社を子会社にし、グループ全体で人材を交流させ、宮崎をコアとしながらも、ダイバーシティのあるグループを作っていこうとしている。
小さくまとまらないこと
「今、地方が活性化しているといわれていますが、その多くは、大企業の工場などのコストセンターが、ただ増えているだけだと捉えています。この状況が変わっていけばいいなと思います」
そう濱渦氏は語る。こうした状況が変わっていくためには、地方を拠点としたITベンチャーが生まれ、成長していくことが必要だ。
アラタナのスタンスやアプローチは、これから地方でITベンチャーを立ち上げようとしている人たちにとって参考になる部分が多いはずだ。
アラタナは現在、フィリピンに開発拠点を作り、アジアへの進出を視野に入れている。地方を拠点にしながらも、東京だけでなく、世界を視野に入れて挑戦するアラタナの後に続くベンチャーの登場に期待したい。
(2014年12月3日「HRナビ」より転載)