東京都議会のセクハラ野次や、兵庫県県議の野々村議員の常識を超えた行動は、皮肉なカタチで地方議会に注目が集まりました。自治体にもよるのでしょうが、地方議会の議員さんは、よほどの関係者でもないかぎり、選挙の時以外には、通りすがりに事務所の看板を見る程度で、ほとんど存在を感じることもできず、地元の少数の人たちの口利きをする人というイメージしかありません。
無理もないと感じるのは、地方の自治体との関係は、住民票や印鑑証明をもらうために、市役所の窓口に訪れたり、運転免許証の更新で警察署や免許の更新センターに行くぐらいで、あまり接点がないからです。住民税も給料から天引きされる特別徴収なので、地方自治体に収めているという実感は乏しくなってしまいます。
引っ越しをすると、自治体によって、ゴミの分別ルールが違うとか、収集の頻度が違うことに驚かされたことがありますが、それはそれで慣れればいいだけとなってしまいます。
野々村議員の選挙区である西宮市で、住まいは西宮でも、勤め先は大阪市で地元には、夜と休日しかいないという人が多いことも、地方自治体がとの関係を希薄にしている原因のひとつでしょうが、その行政サービスのあり方や質を左右するのは市長や知事だというのが多くの人の実感ではないでしょうか。
そして野々村議員問題ではからずもわかったことは、議員さんは暇だということです。出張先で訪問した先がなく、メモすら残っていないので、ほぼカラ出張だったようですが、それで年間190回も出張している、あるいは出張したと申請できるということは、ほとんどは議員としては働いていないということです。
それならなにも常勤でなくともいいということになります。
いやむしろ、常勤とするから職業化するわけで、そこには利権が発生してきます。働いている日数からすれば、ボランティアで日当制で十分です。条例をつくる仕事をしたければ、その案を作成するために要した時間を計上すればいいのではないでしょうか。
むしろボランティアにしたほうが、より住民に近い人が選ばれてくる可能性のほうが高いのではないかと感じます。
地方が主役となる時代を実現するには、抜本的に地方議会制度を改革しなければならない、地方議会でのあまりにもお寒い状況はそう強いシグナルを鳴らしているのだと思います。