デザイナーの広林依子と申します。私は現在29歳の、ごく普通の女性で、独身です。友達とカフェでワイワイ話したり、おしゃれを楽しんだり、ときには海外旅行に出かけたりしている普通の生活を送っています。他の人と違うのは、3年前の26歳のときに乳がんを宣告され、そのときすでに骨に転移しており、それからステージ4のがん患者人生を送っていることです。
このブログでは、デザイナーの私が考えた、【ステージ4のがん患者のライフデザイン】の1例を紹介していきます。今回は、がん患者のマイノリティ性とその意義について書いてみます。
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若年性乳がんは全乳がん患者の約2.7%、ステージ4はさらに少ない
2人に1人が、がんにかかる時代。誰にでもかかる可能性があり、珍しいものではありません。しかし、35歳未満の女性がかかる「若年性乳がん」というカテゴリーに限れば、全乳がん患者の約2.7%しかいません。(ソース:http://www.jakunen.com/html/tokucho/yogo.html#02)ステージ4まで進行している人はさらに少ないです。
こう書くと、若くしてステージ4の乳がんである私は、非常に希少な存在と言えます。29歳という年齢では本当にいない。事実、自分と同じ乳がんのステージ4のがん患者さんに実際に1人しかお会いしたことがありません。「実は...」とカミングアウトしてくれた若い友人もいましたが、その後疎遠になってしまいました。
ステージ4まで進行すると、いくら患者会の場であっても言いにくい空気になるようで、本当の病状を言わない人も沢山いると感じます。私もそんな一人でした。ステージが違うと治療の種類や医療費などの悩みも全然違うので、同じ悩みをリアルで未だに共有できていない辛さがあります。
でも本当は、若年性のがん患者でステージ4の人もちゃんと存在しているはずです。目の前の治療や恐怖と向き合うだけで精一杯かもしれませんが、できればブログでもTwitterでもいいので、声を大きくして「ここにいるよ」と言ってほしいなぁと思っています。
私と同じように、ステージ4のがんになる可能性は誰にでもある。ちゃんと存在を知ってもらうことで、多くの方に、そうなる前に検査に行ってほしいと切に願います。
・若年性乳がんは、貴重なマイノリティである
若年性のがん患者は全乳がん患者の約2.7%。この事実をふまえて、私は「若年性乳がんは貴重なマイノリティな存在である」と捉えるようになりました。若年性乳がんという病気を経験した自分の存在は、それだけでもう奇跡的な存在ではないでしょうか。マイノリティとは、人種や国籍、女性や障害者やLGBTなどだけに限ったものではないと思います。
そして、それぞれのマイノリティ性には価値があると考えています。他の人にはない経験をしている、それってすごいことだと思うのです。それを実感したきっかけは、NYを旅行したときでした。
NYでは様々な人種の人たちが、自分なりのスタイルやメイクをして堂々と歩いていました。一人ひとりが自分らしい。その様を見せつけられて、とても「かっこいい!」と思えたのです。自分もそんな存在になりたいと心から思いました。
NYの地ではアジア人の女性である私もマイノリティの一人。女性というだけで貼られるレッテルや差別もあります。さらに若年性のがん患者として生きる私は、その存在の希少性を思うと、とても尊い存在のように思えました。"人と違う"ということは、意外にすぐそばで起こりうるのだと知りました。今まで当たり前だと思っていたことは実はそうではなくて、様々な奇跡の上で成り立っていた----。そんな事実を、マイノリティになったことで実感しました。
私はデザイナーでもあります。デザイナーという職業は、一般的な職種よりは珍しい方だと思っていましたが、ステージ4のがんになった後では、前の自分は「普通の人間だったんだな」と思い知らされることばかりでした。普通に息切れしないで歩けて、十分に食べられて、ある程度時間を自由に使える。なんて素晴らしい普通のことなんでしょう。
こうして、自分はマイノリティだと自覚したことは、がん患者以外のマイノリティに関心を持つきっかけになりました。そのおかげで、世の中にたくさん起きている社会問題に目を向けることができ、生きることについて今まで以上に熟考するようになりました。
・マイノリティの視点で、街や社会を見られるように
今ではマイノリティの視点で街や社会を見られるようになりました。例えば、背骨を骨折したときは、駅でスロープやエレベーターなどのバリアフリーや手すりをひたすら探して、出来る限り痛みなく移動できるように気を使いました。
電車に乗った時は、肺の疾患があるとずっと立っていると息切れがしてきますが、あるとき「ヘルプマーク」を持っていれば席を代わってもらえるかもしれないのに、と気づきました。
「ヘルプマーク」とは内臓疾患や難病の方、義足や人工関節を使用している方など、外見からは分からなくても援助や配慮を必要としている方のためのマークで、周りの方々からなるべく支援が得られるようにと東京都の取り組みから生まれたマークです。
https://www.huffingtonpost.jp/2016/03/28/do-you-know-help-mark-tokyo_n_9555386.html
日本グラフィックデザイナー協会が協力しているそうで、こんなところにもデザインの力があったんだなという発見がありましたが、まだまだ認知度が低いのが現状です。実は、がん患者さんもヘルプマークを付け始めている方がいますが、やはり気づいてもらえない、席を譲ったりしてもらえないという声を聞きます。けれど、配慮を必要とする人がヘルプマークをマークに付けられて、それに気づいた人が自然にサポートできる社会になっていくことが大切です。
もし心理的な抵抗がある人は、電車に乗るときや人ごみを歩くときなど、必要なときだけかばんの見える場所に出すなど、工夫して使ってみることをオススメしたいです。この経験をきっかけに、私もヘルプマークのような、デザインの力で人助けになるようなものを作ってみたいなぁと思うようになりました。
ヘルプマークは都や区が運営している場所で貰えるので、(リンク:http://www.fukushihoken.metro.tokyo.jp/shougai/shougai_shisaku/helpmark.html)必要な方は貰ってみて下さい。
働き方に関するニュースも、終電まで働いていた昔とは違う視点が捉えるようになりました。最近は副業など多様な働き方が注目されていますが、やはり「ダイバーシティ」(多様性)を大切にしている企業に関心があります。
企業における「ダイバーシティ」とは、多様な人材を活かす考え方のことです。もともとは、社会的マイノリティの就業機会の拡大を意図して使われることが多かったですが、現在は、性別や人種の違いだけでなく、年齢、性格、学歴、価値観などの多様性を受け入れ、広く人材を活用することで生産性を高めるマネジメントのことを指すそうです。
多様な人たちを雇用することで、今まで気づけなかったような目線を獲得することができ、結果として良い商品やサービスを提供でき、生産性が高まる。私もマイノリティの経験を活かして活躍できればいいなと思う反面、病気を抱えているハンデとどう折り合いをつければ良いのか。課題は沢山あると感じます。
・病気になって気づいた、アタリマエのこと
こんな言葉があります。「人はそれぞれ事情をかかえ、平然と生きている」(伊集院静)。目に見えないだけで、人はそれぞれ多くの事情を抱えて生きている。そんなアタリマエのことに、病気になって始めて気付かされました。
私は病気になって「諦念の心」というものを学びました。「諦念」とは、森鴎外の作品などにも描かれていますが、人生をあきらめるという意味ではなく、「今生きているのは、社会全体に生かされているおかげである」と考えること。家族、職場、友人などを含め、森羅万象と自分が関係しているからこそ、生きていられるという縁を大切にすることを自覚することという考え方です。
この考え方は、私を含め、便利な世の中で「自分で何でもできる」と勘違いしがちな現代社会を生きる私たち一人ひとりに喝を与えてくれます。病気になる前の、仕事も人生も「何でも自分でできる」と思いこんでいた幼稚な私のままだったら、きっと知らない間に人を傷つけてしまっていたことでしょう。「何事も絶対はなく、不完全な存在である」と認識できたことは、今後の人生を生きる上でとても大きな学びになりました。
こうやって自分の病気のことを、ブログやイラストなどの生産活動を通じて発表する機会をいただけて、20代でステージ4のがんを患ったことで興味を持ってもらえる、そんな私の考えを知りたいと思う人がいるという新しい発見。だから今、自分はマイノリティになって良かったと思えます。身体が思うように動かないなら、頭を使えばいい。文章を書いて、絵を描いて、デザインをすればいい。不完全であっても、出来ることは沢山あると思っています。