7月13日に死去した中国の人権活動家、劉暁波(リウシアオポー)氏の「遺稿」とされる文書を、香港のインターネットメディア「端メディア(Initium Media)」が7月14日に報じた。
この文書は、妻で芸術家・写真家の劉霞(リウシア)さん(56)が出版を予定している写真集の序文として書かれたもの。写真集の編集を手がける劉夫妻の親友が仲介人を通じて病床の劉氏と連絡を取り、序文を依頼していたという。
文書は入院先の病院で書かれたものと思われ、末尾には「2017.7.5」と記されている。この日、病院は「(劉氏は)腹水が明らかに増加しており、肝機能が悪化している」と発表。それから8日後の13日、劉氏はこの世を去った。
文書は3ページの手書きで500字あまり。末期がんによる衰弱のせいか、筆跡はかなり乱れている。
文書には、劉霞さんとの結婚生活の思い出や、劉霞さんへの親愛の情が書き記されていた。また、劉霞さんの個展を開いてあげられなかったことへの無念さも綴られている。
「遺稿」とされる文書の全文は以下の通り。
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私からの賞賛は、許しがたい毒薬のようなものかもしれない。
スタンドライトの薄明かり、君が初めてくれたこの壊れかかったパソコンは、ペンティアム586だったろうか。
あの粗末な部屋は、いつも私たちの愛の眼差しで満ち溢れていた。
私が「シアミィ(※1:妻の劉霞さん)」のわがままぶりを描いたあの短い詩を、あなたはきっと読んだことがあるだろう。
彼女は私にお粥をつくってくれる代わりに、360秒以内に世界が驚くような私を褒める詩をつくるようにねだった。
スタンドライトの薄明かり、粗末な部屋、表面が剥がれたコーヒーテーブル、シアミィのわがままな命令、それらが溶け合って、まるで石ころとお星様とが初めて出会った時の驚きのような、そんな天真爛漫な二人の生活。
それ以来、賛美が私の人生の宿命になった。まるで、降り積もった雪の中で冬眠を本能として享受するホッキョクグマのように。
鳥が一羽また一羽と私の見守る中通り過ぎていく。
その人の美へのまなざしを強く捉え、彼の生命のなかを一生かけて通り過ぎていく。
シアミィの詩は、氷と黒との交差から生まれる。彼女の写真が詩の黒と白を撮り下ろしたように。
狂気、苦難に立ち向かう冷静さ。
惨めな少女たちが胸をはだけタバコの煙を吐く。
黒いベールをかぶった木偶人形は、イエス復活を目撃した寡婦なのか、
はたまたシェイクスピアの『マクベス』に出てくる魔女か。
いや、いや、みな違う。あれはシアミィの描いた荒野の中のたった一本の枝。
ほのかな地平線に塵にまみれて咲く一輪の白百合。――亡霊に捧げる。
シアミィの書は初めの一作が完成しただけで、永久に完成しない悲しい運命となった。
もっとも無念なのは今に至るまで、ただの一度もシアミィのために『詩・書・写真――黒と白のもつれ』の個展を開いてあげられなかったことだ。
氷のような激しい愛、真っ黒な一途な愛。
もしくは、私の平凡で安っぽい賛美、これこそ私の詩心であり、書風であり姿であり、すべて芸術への冒涜である。Gよ許してくれ。
G君、あと何日かすれば、君からの宿題をなんとか終わらせられそうだ。
2017.7.5
(※編集部注1:「G」は、写真集の序文を依頼した劉夫妻の親友とされる人物)
(※編集部注2:「シアミィ」は「霞妹(劉霞さん)」を意味するが、手稿内では同音異字の「蝦米」と記されている)
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「私はきっと最後まで頑張ります、妻のためにも…」
劉暁波氏(右)と劉霞さん
G氏は端メディアの取材に対し、「6月27日に劉氏から音声メッセージがあった」と明かしている。それによると、劉氏はこう述べたという。
「最後に会ってから、随分と長い時間が経ちましたね。私のことは心配しないでください。私はこれでも、かなりしぶとい方なのです。今まで色々なことを経験しました。これくらいのこと何でもありません。私はきっと最後まで頑張ります、劉霞のためにも...」
G氏によると、劉氏は「『劉霞のためにも……』というところに差し掛かると、彼は突然むせ返り、言葉を続けられなくなりました」と証言している。
その後、G氏のもとには2回に分けて劉氏から文字メッセージが届いたという。
「私にとって一番の思い出は、あなたと劉霞がほろ酔い気分で飲んでいるとき、その傍で酒坏を傾けながら、酔った2人の面倒を見ていたあの時です。いつかまた、あんな風に過ごすことができたらなあ。(「拳」と「涙」の絵文字)」
このメッセージを見たG氏は、劉氏に最期の時が刻一刻と近づいていることを悟ったという。
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