「そして父になる」。
ニューヨークで、英語を真剣に学ぶために、日本語や日本の情報を完全にシャットアウトしていたころ、
国がちがえば、日本で今何が起こっているかまったく分からない中で、ニューヨークにも届いた映画の数々のひとつに、この「そして父になる」があった。
日本語をじっくり聞くのも久しぶり、日本の映像をじっくり見つめるのもひさしぶりの中、どきどきしながら観たのを覚えている。
が、なんだかとてもなめらかで観ていて心地がよい。
作品の中で、ピンと透き通るような心地よい緊張感が流れているのに、登場するキャラクターたちは、あくまでカメラを意識していない。
「そして父になる」は、向上思考の強いお父さんが、違うお家の子どもに浮気をするお話なのだと思った。
俺の子どもが、"できない子"であるわけがない。俺の選んだパートナーがこんなに魅力のない女性だったなんて。そんなはずない。と、取り違えがあったとされる、よその家の子どもに浮気をする。こいつこそが俺にふさわしい子どもだと言うように。
よその子は、主人公のお父さんの家にくらべると、なんだか下町を思わせるような温かさのあるお家だ。
リリーフランキーさんと真木よう子さん演じる夫婦のリアルさが見事。ドキュメンタリーやリアリティ番組を見せられているような退屈さがないのだが、まるで本当の家族のように生活が営まれている。
「バクマン。」ほか、多数の作品で活躍するリリーフランキーさん。ある関係者の方と熱く語り合ったのだが、彼の演技力の素晴らしさには脱帽する。
どこでセリフを思い出しているのか全く分からなければ、どこで演じているのか、まずセットに、カメラの前に立っている意識があるのかも全く想像できない、いわゆるシームレスなたたずまいは、まさに日本版のフィリップシーモアホフマンだと思う。
そして、何度も思い出すシーンが、理想的なよその子と一緒に、部屋の中でテントを張ってキャンプをした朝。
お父さんは、ふと自分のカメラの中に誰かが撮った写真が何枚かあることに気付く。自分の足や妻の姿が写っている。そう、写真を撮ったのは、あの"できない子であるはずがない"と交換した、前の子だったのだ。
自分が気付いていなかった時、ふと後ろから撮られた写真。
子どもらしく、ちょっとぼやけている、でも息子がどんなに叱られても、お父さんを一途に想う気持ち、真っ正面から元気に表現はできないけど、お父さんを想う気持ちが、じわーっとあふれる。
そこでお父さんは、自分の浮気の罪に気付く。ああ、遺伝子がどうであろうと、優秀であろうとなかろうと、魅力がどうであろうと、この子が僕の子だったのだと。
ラストシーン、お父さんが前息子にそっと歩幅を合わせて、謝ろうとする。
お父さんに捨てられてしまった、男の子は、静かにお父さんに抵抗して歩き続ける。お父さんもずっと並行して歩き続ける。「お父さんなんて、きらいだ。」の言葉が、もっと愛されたかったこと、自分はあんなにお父さんを好きだったのにという気持ちがにじみ出ている、でも、言い方があくまで「お父さんを許すよ」のやさしい言い方なのだ。子どもはなんてすてきなんだろうと思う。
「お父さんが悪かったよ、ごめんな。」と、お父さん。
ごめん、の言葉も、一つの愛の言葉なのだそうだ。愛する人から、ごめんと言われれば、やっぱりほっとする。「うん。わかった。いいよ。」と言って、また一緒に歩んでいける。
ありがとう、とか、好きだとか、そういう言葉だけじゃなくて、ごめんね、の一言がどれだけすてきで優しい言葉であるか。
是枝マジックにかけられたまま、透き通るような緊張感を持ったまま、映画館を出た。