私が島根への移住を決意した昨年の春ごろ「フランスチーズ鑑評騎士の会」の専務理事である村山重信(通称 ムッシュムー)さんが講師を務めるチーズ勉強会に参加したことがあった。
ムッシュは、勉強会が始まるなり教科書を閉じて、私たちにこう言った。
「あなたたちが今から学ぶのは知識ではありません。チーズに馴染みのない家族や友人に、チーズの面白さや美味しさを伝えるためのストーリーです。どう伝え、なにを想像させるのかを考えてほしいのです。」
ムッシュはそう言うと、私たち受講者にお手本を見せるように、語り出した。
牛と羊の食性の違い、チーズ生産者の資金繰りの話、チーズの種類とその歴史、美味しい食べ方、そんなたくさんの話の中で、印象に残ったストーリーがある。
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今から数百年前のチーズ生産者にとって、家畜、その中でも乳を出せるメスの健康は、生活の支えだった。
健康な家畜から出る乳が、かけがえのない財産であり、またその乳を加工することで、生活を安定させ、自分たちの命を繋いでいくことができた。
ミルクを凝固させるために必要なレンネット酵素は、卒乳前の乳飲み子の第四胃からしか抽出することができなかった。
だから、乳飲み子の中からオスを選んで、絞める。
チーズ生産者は、家畜を所有しているとはいえ、肉はもちろんミルクでさえ、自家消費することはほとんどなかった。
なぜなら、そのミルクが小麦と換わり、布と換わり、日々の生活を支えるからだ。
肉欲しさに家畜を殺してしまえば、生きていれば絞れたはずのミルクはもう二度と戻ってこない。
レンネット酵素のために絞めたオスの乳飲み子さえ、成長すれば、たくさんの肉となって生活の糧になるはずだったのだ。
だから、昔のチーズ生産者は、家畜をとても大切にしたし、その精神は今の時代にも受け継がれている。
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「私たち、現代の消費者に、その精神は受け継がれているだろうか。」
そう自問自答して、恥ずかしくなったのを覚えている。
日本の養鶏所では、卵の生産効率が落ちるという理由で、生後2年ほどで飼育している鶏を一掃し、交換するのが一般的だ。
そのときに処分される鶏を廃鶏というが、日本では、この廃鶏を年間で約1億4000万羽も生み出している。
その1億4,000万羽の廃鶏のうち、利活用されているのはわずか40%ほど。
残りの60%は廃棄されているのが現状で、その数おおよそ9000万羽以上。
平均寿命が7年ある鶏を、生後たった2年で処分するということは、生きていれば産めた卵の存在を無視しているということだ。
そればかりか、廃鶏を廃棄し、肉としての価値も無下にしている。
「生きるもの」を消費することが、どんなに貴重で、豊かなことなのか。
そんな実感も意識もない人たちに、食べることの面白さや尊さを伝えたい。
どう伝え、なにを想像させることができるのか。
東京実家暮らしだった私が島根に移住してまで学びたかったのは、命で命を繋ぐ喜びと、その誇り高き精神なのかもしれない。
(2015年1月25日「senalog」より転載)