本当に人のいのちは、地球よりも重いのだろうか?
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今もラオスにいて手術をしている。

 先日、「あごの下に塊がある」と来た男の子の検査の結果は、悪性リンパ腫だった。この国でも、まともな子どものがん治療は出来ない状況にある。少しでも早く、がん治療を出来る病院を作らねばならないが、現実は日本政府のように右から左にお金を自由に動かせるようなふところ事情ではない。

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 実際、私たち人間は、本心では他人のいのちはどうなってもいいと思っているのではないか、と思う事がある。人間とは戦場の兵士や特殊な異常性を持つ人をさしているのではない。

 昔、日本人が乗った航空機がハイジャックされ、それを救ったときの首相は、「人間の命は地球より重い」と言ったそうだ。しかしそれは、彼の頭で考えたリップサービスや人気取りを大いに加味した正解であっても、本心ではないだろう。

 本当に人のいのちは、地球よりも重いのだろうか?

 いやいや、教育現場でも「子どもたちに命よりも大切なものはない!」と教えているのではないか。しかし、政治家たちが命がけでやると宣言している戦争反対のシュプレヒコールは、本当にいのちが大切だからやっている行動なのか?

 今もきっと、世界のどこかでバッタバッタと多くの子どもたちがマラリアなどで死んでいる。

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 今、本当に他人の命が失われることに心を痛め、行動している人間がどれほどいるだろうか?わが子の命を救おうと募金を募り、アメリカあたりまで心臓移植を受けに行く子どもの親に協力する人間は、その募金箱の前を通り過ぎる人間の、何パーセントになるのだろうか?

 教育現場では「いのちが何よりも大切だ」と戦後からずっと、今も教え続けているのに、どうして企業は、いのちを救うプロジェクトに賛同をせず、建物を建てたり、木を植えたり、職業訓練やレクリエーションに支援をするのだろう?

 それはそれでもいいのかもしれない。

 それならば、教育現場で「人命よりも大切なものはない」などとうそぶくのはやめてほしい。「世の中には人命と同じくらい大切なものがいくつもあります」といえばいいだけだ。そういう心の底では信じていないのにする教えは、さまざまな弊害をもたらす。

 「人間とは自己の延長線上で他者を認識する」は、大切な定理になる。

 この自己の延長線をどこまで拡大できるかが、人間も企業も本当に大切になる。自分の子が愛おしいと思い、自分の命に代えても助けたいと願う状態は、わが子が自分の一部になった状態ということになる。仏教の悟りの境地は、自己の意識の拡大にあるとすると、自分が他者や自然とつながる状態。他者も自然も自己の一部と感じるくらいにつながった自己拡大を起こした状態とすると、そしてそれが私たち人間が目指すあり方だとすると、

その人間が集まって出来ている企業が目指すところも究極はその辺りにあるのかもしれない、、、。

 企業理念はきっとどこも無意識にもその辺りから生まれてきている可能性もある。

 企業理念がたとえ立派でも、中身がついていかない、あるいはそこで働く人々やお客たちが、うそ臭く感じたり、違和感を持ってしまうのは、結局のところ、企業活動の内容やあり方が、個人でいうところの意識の拡大、すなわち企業の利益と社会の利益の共有、企業の存在が社会の一部として100%有効に働いていない状態だと思う。

 すばらしい企業理念、すなわち多くの企業が掲げているあれは、ある意味、悟りを得ている人間に近い状態のあり方である。しかし、現実は悟りを得ていない人間が、悟ったことを吹いているようなもので、多くの人々が企業に感じる違和感やうそ臭さはどうもそのあたりを感じ取っていると思う。

 ではどうすれば、人の命を大切に扱えるのだろうか?

 どうすれば、社会を大切にした企業になれるのだろうか?

 どうすれば、うそ臭い人間だ、企業だといわれないのだろうか?

 まずは行動してみることだと思う。

 小さな行動をしてみることに尽きる。

 そのためには、現実を如何に自分事に引き寄せれるかにかかっている。

 心臓移植の子どものために10円を募金箱に入れる。それでいい。大きな金額は必要ない。企業のCSRの責任者たちは、自分の子どもががんになったらどのような行動をとるのだろう?国民皆保険で支えられ、医療を受ける事の出来る日本という国で生きていない人間たちの、その不安と不幸に少しだけ寄り添う、そんな人たちがCSRの担当者であれば何人の人間が救われるだろう?

 本当に人の命が大切というならば、そう行動することだ。

 自らそう信じ行動できない嘘を、子どもたちに堂々と教えてはいけない。

 この国には相変わらず嘘が多すぎる。

個人も企業も、どこまで自己拡大できるか。ズウタイだけの拡大は不健康な状態だ。人間も企業も、その意識を拡大できたとき、進化したという、健康状態に至る。