私がストレートアライになった理由
私がLGBTをはじめとするセクシュアルマイノリティについて考え始め、ストレートアライとして大げさかもしれないけれど私が出来ること全てを "LGBT活動" に捧げて生きると決めた経緯について振り返ってみました。これからLGBTの人からカミングアウトを受けた時などで、何か参考になることがあればいいなと思います。
中高時代に出会った、とても素敵な人
手厚い少人数制の小中高一貫の学校で育った私にとって、その長く濃い年月を一緒に過ごした友人たちは大切な大切な人たちです。今までの学校生活の中でも特に中高女子校の6年間は「自分って何なのよ」から、「何をすべきなのよあたし」まで、アイデンティティが形成される重要な期間を恵まれた環境で過ごして、忘れられないことばかりだからです。
その中でも1人、いつも視界に入れていたい存在がいました。髪が短くって、バスケをしている姿がかっこよくて、足が速くて、運動神経が良くて、数学が得意で、ネクタイが似合って、目が優しくときに色っぽく、人前で涙を見せず、クールで、照れた顔すら涼しげでした。体育祭とか球技大会とか、特にかっこよかったです。同級生や後輩にファンも多かったはず。私、その子と話してる女子に嫉妬することもあったわよ。
携帯を持ち始めた中学生時代なんて毎日メールしてました。ブログとか始めちゃったらもう、あんたねえ、それはそれは、「会いたい」だの「今日もかっこよかった」だの「絶対に離れたくない」、「卒業したら連絡取れなくなりそうでこわい」だの書いておりました(つい最近そのブログ見つけちゃったんだけど、中高生って無敵だと思ってるから恥ずかしいこといっぱい書いてあったわ。)
なんでその子の存在が大きかったかというと、同じクラスだったのもあり、一緒に行動することが多く色んな話をできた結果、少なからずというか大いに心惹かれていたからだと思います。
突然で初めてのカミングアウト
そんな中学生の頃の夏休みの真夜中。その人の悩みというかちょっと言いにくいことを、その子らしくボソッとメールでくれました。
「GIDかもしれない」 (※Gender Identity Disorder:性別に違和感がある状態)
突然の、初めてのカミングアウトです。
それから私は「性的指向ってなに」、「性自認ってなに」からはじめ、ジョグジャカルタ原則、モントリオール宣言、性同一性障害に関する特例法、人権憲章などを読み漁りました。LGBTについて良くも悪くも言いたい放題書かれているような掲示板も見たりしました。その子の性自認について勝手ながら考えたことも、自分自身の性的指向について考えたこともありました。
その過程で "パス度" の意味とか、どういったものが必要なのかとか、今後何が問題になってくるのか(服装とか)知識はついていきました。(パス度:自らが認識している性自認が、外見上第三者から認識されているかどうかを表す度数。たとえば女性から男性になった人が、周囲からどのくらい男性だと見られているかという度数)
実は、その子が聞いてくる内容は意図も言葉の意味も理解していましたが、分からないふりをしてしまったこともありました。せっかく信じて頼ってくれた勇気を挫いてしまったであろうことを許してください、と思っています。
そして、少人数制の学校の悪いところで、その子の振る舞いが自分たちと同じように女性っぽくないことが目につきやすく、一度誰かが疑問に思ったことや噂は背びれ尾びれがついて気がついたら広まっています。「生理って来るの?」、「レズなの?」、「何で自分のこと私って言わないの?」など、好奇心が先走って、おそらくその子にとって答えにくく聞かれたくないような質問が同級生からぶつけられることもありました。どんな気持ちだったのかは図れませんが、不快だっただろうし、理解されないことに傷ついたときもあっただろうなと悲しくなりました。
反対に、この学校には温かく良い子たちが集まっていたので、配慮に欠けた質問が出てきても、それこそ知識がないだけで悪気はなく、「ボーイッシュでいいんじゃない」から「その子らしくていい」まで、感じるレベルが違えどその子の振る舞いなどを含めたあり方を否定する子はいなかったように思います。また、上記に挙げたような質問にその子が答えずに去った後、周りが質問者に対して「そういうことやめてあげなよ」って言っていたこともありました。
その子が心を開いてしてくれたデリケートな質問に対して分からないふりをしてしまう自分の後ろめたさと、その子のことが心配な気持ちと、学校へ行けば見かけられて嬉しい気持ちと、高校を卒業したらどこかすぐに会えないようなところへ行ってしまうのではないかという不安が消えないまま、3月に卒業をして、別々の大学へ進学しました。今はそんなに連絡をとっていません。卒業以来たまーに会いますが、前の自分を思い出すとその幼さと精神的な未熟さに恥ずかしくなります。また、その子のセクシュアリティに関する悩みにどう言葉をかけたらいいのか分からない私は、未だに直接いつだって味方だと伝えられていません。今でも自分のことを、情けないと思っています。
でも、その子の勇気が自分の意識とこれから何をしていくのかということに大きな影響を与えてくれました。これが、「ストレートの女性」として、私がLGBTに関わる活動をするきっかけになりました。