「『オネエだから面白い』っていうのは、バナナの皮を踏んでツルッと転ぶのと同じくらいに古い!!!」
FtMのトランスジェンダー当事者としての経験をいかし、18歳の頃からLGBTの子ども・若者支援に関わってきた遠藤まめたさんはそう語る。遠藤さんの初の単著『先生と親のためのLGBTガイド』(合同出版)は、子どもと接する大人に向けて「性の多様性」を知ってもらうための入門書だ。
セクシュアル・マイノリティに関する知識を、マジョリティ層にこそ正しく、しっかりと伝えたい。LGBTの子どもたちの声を10年近く聞き続けてきた遠藤さんは、なぜそう考えるようになったのか。前編に続いて話を聞いた。
■LGBTという言葉が上滑りしている
――『先生と親のためのLGBTガイド』はLGBT当事者ではなく、そのまわりの身近な大人たちに向けての本です。サブタイトルは「もしもあなたがカミングアウトされたなら」。どんなきっかけで誕生したのでしょうか。
出版社から声をかけてもらったのがきっかけです。最初の段階では「LGBTに関する基本的な知識を集めた学校の先生向けの本」があまりないので作りたい、というものだったのですが、そこに「セクシュアル・マイノリティの親」に向けてという要素が加わりました。親向けの本はほとんどなかったので。
自分は大学生の頃からLGBTの若者世代の声をたくさん聞いてきたので、まずはそういう人たちのリアルな声をどんどん入れよう、と。入門書なので全然知識がない人にもわかりやすく、かつこれを読めばかなり詳しくなれる内容にしています。あとは学校の先生が授業でも使えるような小ネタも盛り込んでいますね。
――これまで10年近くLGBTの子ども・若者支援に携わってきた当事者としては、ここ最近の“LGBTブーム”のような流れはどう感じていますか。
客が5人のライブハウスの頃から応援していたマニアックなバンドが、突然メジャーデビューしちゃったみたいな気持ちもあり、いまだにどうしてLGBTのことがこんなにテレビや新聞で取り上げられているのか不思議な錯覚に陥ることがあります(笑)。とはいえ、上滑りしているだけで、本質的なところはそんなに変わっていないんじゃないか、という辛口の評価をしています。まだ自分事じゃない人がほとんどでは。
たとえば、自分の会社や近所のスーパー、子どものクラスメートとか、そういった日常の中に「LGBTの人がいる」という経験はきっとまだ大多数の人がしていない。当事者とざっくばらんに話せるレベルに達していないのではないでしょうか。自分は講演会などで地方にもよく行くんですけど「いやぁ、言うても、ここは◯◯町だし、LGBTの人って言っても、そんなおらんよ~」とか言われちゃうんですね。いや、どこの町とか関係ありませんよって言うんですけど(笑)。東京や都市部だけのことだけの話だと思われている感じはあります。
■「いじる」「タブーにする」の二択ではない道を
――LGBTという概念は知っていても、「自分には関係ない」と思っているマジョリティのほうが、まだ圧倒的多数だということですね。
8月に、同性愛者であることを暴露された一橋大院生の自殺報道がありましたよね。同意なく言いふらされたことが亡くなった彼を追いつめた事実が悲しい一方で、カミングアウトされた人もまたどうしていいかわからなかったのだろうなと思いました。LGBTと言われたとき、どうしたらよいか分からないという感じ方自体はすごく普遍的で、そこを考えていく必要があると思うんです。
今の日本にはLGBT的なものに接するときは、「オネエタレントのようにネタにしていじる」か、「腫れ物に触るようにアンタッチャブルな存在にする」かの2通りのロールモデルしかまだないんですね。前者は、当事者をステレオタイプにあてはめて傷つけかねないし、後者は対等な人間扱いしていない。そこで、第3のロールモデルをみんなで模索していこうよ、というのがここ数年考えていることです。
ある人権課題について「当事者」と呼ばれる人が語る言葉は重要ですが、それと同じくらい「非当事者」が真似をできるような「非当事者」の言動も可視化されている必要があると思うんですよ。第3のロールモデルでは、茶化したり無視したりせず、その人が本当に思っていることを誠実に口に出し、対等に接する。みんながこの問題について語っていくプロセスがあって、社会は変わっていくと思います。
■ウィリアム王子がゲイ雑誌の表紙を飾る意義
――もっと多様な性について語り合い、メッセージを発信していくことに意義がある、と。
第3のロールモデルとしては、先日はイギリスのウィリアム王子がゲイ雑誌の表紙を飾りましたよね。異性愛者の男性にとっては、ゲイ雑誌の表紙に掲載されるって、ある意味では最も恐怖すべき事態なわけですよ。LGBTについて言及するとすぐに「おまえがゲイなんじゃね?」と言われて萎縮する男性も多い中で、おそらく異性愛者男性であるウィリアム王子が表紙に出て「あなたがたは自分を誇りに思うべきで、恥じることは何もない」とインタビューで答えている。異性愛の男性だってLGBTのことを堂々と話していいっていうロールモデルになっていると思います。
他には、お笑い芸人の渡辺直美さんがSNSで白目をむいた事件がありました(笑)。白目をむいた顔の写真を投稿して「みんな、もしホモきもいって誰かが言っているのを聞いたら、この顔をするのよ」とコメントを添えている。これがすごい勢いで若者たちにシェアされていった。人権問題と聞くと、すぐに「じゃあLGBTにはこう接しましょう」みたいな教科書的な正解を欲しがったり、真面目なことをイメージしてしまう人がいるけれど、白目をむくのもアリです(笑)。「カミングアウトしてくれてありがとう、と言おう」みたいな教条的なことを学ぶより、きっとインパクトありますよ!
大切なのは、それぞれの立場やその人なりのキャラクターで、LGBT的なものにポジティブな発言をしていくこと。そういう新しい面白さ、かっこよさが絶対にあるはずだと思っています。そういう意味では、既存のロールモデル、特に「大勢で一緒になっていじる」みたいなバラエティ番組のオネエネタは、私にとってはバナナの皮を踏んでツルッと転ぶのと同じくらいに表現としてつまらんとおもいます(笑)。昨年、能町みね子さんがテレビで「オネエタレント」として勝手に紹介されたことでテレビ局に抗議していましたよね。あれも、型にはめて「はい、おしまい」みたいに乱暴にくくられたことへの怒りが大きかったのではと思っています。
■メディアでないと届かない人も
—―どんな発信が、当事者や身近な人、一般の人たちにとってポジティブなものになるでしょうか。
最近「SONGS」という番組で宇多田ヒカルさんが「ともだち」という新曲を歌っていました。そのインタビューで、宇多田ヒカルが「これは同性愛者の歌なんです」と話していたのをうちの母親が録画していて「録画をぜひ見なさい」と言ってきた。
LGBTの子どもを持つ親って、わりとひとりぼっちなんです。子どもは仲間どうしコミュニティがあって、友達を作ったり、恋愛をしたりする居場所がある。親の場合には、なかなか同じ立場の知人は作りづらい。ピアサポート団体にアクセスしない限りは、気持ちをわかちあえる仲間と出会うことは困難です。
そんな中で、LGBTに関する情報やコミュニティに繋がれていない母にとってはメディアが果たす役割はとても大きいようです。母は宇多田ヒカルのファンなんですが、好きなアーティストがLGBTに対して肯定的だったことは、親としての「心のささくれ」のようなものをほぐす側面もあったのではと思います。両親にカミングアウトして数年は、そのことをロクに会話にできないぐらいの緊張感がありましたが、その頃にも、母は紅白歌合戦にでた(性同一性障害を公表した)中村中さんの新聞の切り抜きを持っていたりしました。
親は自分が子どもを理解したとしても、子どもが社会の中でどう受け入れられるのかを心配している。社会が変わらないと親は安心できないし、安心できない限り、子どもがLGBTであることについて肯定的にはなれない側面はあります。そういう意味で、メディアで肯定的情報を流れることや「LGBTブーム」の恩恵はたしかにあります。
冒頭で「LGBTブーム」に悲観的なことを言いましたが、テレビや新聞で触れた情報や「LGBTという人たちがいるらしいよ」という漠然とした情報が、血肉のある存在としてみんなに認識され始めたとき、社会は必ず変わっていくと思います。その意味では、月並みではありますが、「LGBTという人たち」ではなく、多様なリアリティを生きている一人ひとりの物語がもっとオープンにわかちあわれるようになるといいですね。
(取材・文 阿部花恵)
▼画像集が開きます▼
(※スライドショーが開かない場合は、こちらへ)