こんにちは、オープンリーゲイの大学生で、NPO法人ReBitスタッフの松岡宗嗣です。イギリスに行って感じたことをブログを書いてきましたが、これが(勝手に)最終回です。
最終回は「LGBTに関する政治」についてです。
イギリスで様々なLGBTの団体や活動家の方とお話しするなかで、私は、ある歴史的な共通のターニングポイントがあること気づきました。それは「1980年代」です。
激動の1980 年代
映画「パレードへようこそ」で登場するLGSM(Lesbians and Gays Support the Miners)が、サッチャー政権のもと抑圧されてきた炭鉱労働者たちと連帯したのが1980年代。
LGBTの権利に関する運動が広がっていく中、Stonewallが生まれるきっかけとなった法律"Section28"が作られたのが1988年。そして、ゲイであることをはじめてオープンにした国会議員が誕生したのが1984年。こうした1980年代の動きはイギリスのLGBTの歴史にとって重要であったと思います。
様々な葛藤や憶測や決断で渦巻く1980年代の中で、私は特に重要だったある人物にお会いすることができました。
その人物とは、元国会議員のクリス・スミスさんです。
イギリス初、ゲイの国会議員
クリス・スミスさんは1984年に国会議員ではじめてゲイであることをカミングアウトした政治家で、2005年には、同じく国会議員ではじめてHIV陽性者であることもオープンにした方です。
クリスさんが国会議員になったのは1983年。当時はゲイであることを公的にはオープンにせず、身近な人にだけカミングアウトしていたそうです。
選挙中、もし誰かにばらされてしまったら?という問いに対しては、「はい、私はゲイです。それが何か?次の質問は?」と答える気でいたそうです。しかし結果的に誰に何も聞かれることはなく、セクシュアリティがオープンになることはなかったということでした。
当選を果たしてから、クリスさんの心の中には自分らしく生きたいという気持ちと、周囲のLGBTの活動家が批難されている現実を見て、いつか公的にカミングアウトしようと決心していたそうです。
私の名前はクリス・スミスです、そして私はゲイです
その時が訪れたのは1984年の11月。ある街でできたLGBTを差別する法案に対して反対デモが行われ、クリスさんは応援演説を頼まれました。遅刻してデモに参加したクリスさんは約1000人の参加者を前にして、冒頭こう話し始めました。
「My name is Chris Smith. I am Gay.(私の名前はクリス・スミスです、そして私はゲイです)」
観客は立ち上がり盛大な拍手を送りました。
「スピーチしはじめて1分以内に拍手を送られたことは人生でこの1回だけだ」と、今だからこそ笑いながらお話していただきましたが、当時のカミングアウトはとても怖かったそう。そのスピーチの後の記憶が全然ないと語っていただいたことから、計り知れない覚悟を感じました。
その後クリスさんのカミングアウトは多くのメディアにとりあげられ、LGBTの当事者からお礼や感謝の手紙が多く寄せられたそうです。LGBTに対して偏見のあった政治家たちも、クリスさんがカミングアウトしてから、LGBTへの対応が良い意味で徐々に変化していきました。
正直であること
クリスさんの次にLGBTであることをオープンにした国会議員が誕生したのは、クリスさんがカミングアウトしてから約9年後。ゲイであることをはじめて公的に明かしたクリスさんは、多くのLGBTを救ったのだろうと思います。
最後に、日本の政治家に一言いうとしたら何を言いますか?と質問したところ
「もしゲイであることを隠している政治家の方がいたら、私はカミングアウトすることを応援します。国民は"正直"であることを望むからです。」と笑顔で答えてくれました。