リー・クアンユー シンガポール初代首相:華僑虐殺を超えた戦後処理が最大の対日功績

シンガポール在住日本人として私はリー・クアンユー氏には深い感謝を捧げます。
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FILE - In this March 20, 2013, file photo, Singapore's first Prime Minister Lee Kuan Yew attends the Standard Chartered Singapore Forum in Singapore. Singapore's first and longest-serving prime minister Lee Kuan Yew died Monday, the prime minister's office said. He was 91. (AP Photo/Wong Maye-E, File)
ASSOCIATED PRESS

シンガポール初代首相であるリー・クアンユー氏が、2015年3月23日午前3時18分(現地時間)に亡くなりました。91歳でした。

リー・クアンユー氏は、ポジティブな評価とネガティブな評価を併せ持つ政治家です。幾つか取り上げてみます。

民主主義のような制度ではなくリーダーに頼る国として、次期リーダー擁立に成功したことは特筆すべきです。2月5日に肺炎で入院し、2月21日に入院が発表されました。しかし、その後のシンガポール証券取引所のストレーツ・タイムス指数は特段の動きをしていません。彼はシンガポール人の精神的支柱ではあっても、彼の死はシンガポールに実質的なインパクトを最早もたらさなかったことを示しています。

シンガポール華僑虐殺事件

リー・クアンユー氏がシンガポールに与えた影響や経歴については、述べる人が他にもいますし控えます。代わって、リー・クアンユー氏と日本の関わりの中から、太平洋戦争の戦後処理を、日本への最大の功績として私は取り上げます。

太平洋戦争中、日本軍はシンガポールを占領します。山下奉文大将がイギリス軍パーシヴァル中将に「イエスかノーか」と言った舞台はシンガポールです。占領後、日本軍はシンガポールを昭南島と改名し、シンガポール華僑虐殺事件 (Sook Ching) を引き起こします。シンガポール国立図書館は殺害人数として「文書がないので正式な殺害数は不明である」という前提の元に、日本の公式見解では5千人殺害、日本人新聞記者の証言として「当初は5万人を殺害計画していたが、半分に達した所で止めた」を併記しています。

虐殺の対象がなぜ中華系であったかについては、5年前から始まっていた日中戦争で中華系に中国支持者がいたことをあげています。

※注:現在では、中国から移民してきた世代と離れたことで中国離れがすすみ、特に現役世代はむしろ中国人に反感を持つ方が多いです。

リー・クアンユー氏自身も華僑虐殺からすんでの所で逃れています。日本軍の占領後、すべての中華系住民は検査のために集まるように命じられます。出口を憲兵隊が封鎖し、何万人もの中華系が集められている中に彼も集まりましたが、おかしいと感じたため「家に所持品を取りに帰っていいか」と機転を利かせて憲兵隊に許可を得て、逃げ出しました。集められた人の中から中華系虐殺事件の殺害者が選ばれていたことを、後ほど彼は知ります。

日本軍の占領期間は「シンガポールの近代史で最も暗黒の年」とシンガポール国立公文書館が位置づけています。これがシンガポール華僑虐殺事件を起こした日本統治時代への評価です。今でも「私の祖父は日本軍に殺された」という人にシンガポールで出会います。

虐殺を超えた戦後処理

この国民感情を変えたのは、時間に加えて、なによりリー・クアンユー氏のリーダーシップでした。

1962年に日本軍に虐殺された大量の市民の遺体が見つかったことがきっかけで、反日感情が高まる中で慰霊の日本占領時期死難人民記念碑 (Civilian War Memorial) が作られます。その除幕式でのリー・クアンユー氏の言葉です。

「過去がどんなに痛ましいものであったとしても、過去の経験にとらわれることなく、今に生き未来に備えなければならない。」「日本のシンガポール占領時代に亡くなったすべての民族と宗教の人を覚えていることは、過去を乗り越える過程の一部だ。我々は忘れることはできない。完全には許すこともできない。しかし、最初に魂に安らぎを与え、次に日本人が誠実に謝罪をあらわしている中では、多くの人の心にある苦しみを救うことができる。今日の式典で私が責務を果たすにあたって、この希望の中にいる。」

"However painful the past, we have to live and plan for the future, without being hobbled by past experiences". He added, "dedicating the ground to the memory of all races and religion who died in Japanese-occupied Singapore, was part of the process of making the past less unbearable. We cannot forget, nor completely forgive, but we can salve the feelings that rankle in so many hearts, first in symbolically putting these souls at rest, and next in having the Japanese express their sincere regret for what took place. It is in this hope that I officiate at today's ceremony."

現実主義者 リー・クアンユー氏

リー・クアンユー氏は徹底した現実主義者でした。たとえ、自分自身が日本軍に殺害されそうになりながらも、私怨に流されず国と国民の未来のために、日本との和解を決め、日本人への許しを国民に促しました。

国が1965年に独立と若く、"シンガポール人"という意識が希薄な中でも、リー・クアンユー氏は反日感情をナショナリズムで利用して統治する誘惑にはのりませんでした。対日感情を軟化させ、経済政策に外資を活用する当時では珍しい政策に早くから踏み切り、日本から多くの直接投資を獲得することに成功します。2012年はオフショア国からの融資を除くとシンガポールへの直接投資額1位が米国、2位が日本でした。金融国と今となっては見られるシンガポールですが、2013年でも製造業はGDP比で、日本25.6%のところ、シンガポール29.4%。日本より製造業比率が高い面があり、日本からの投資がこの原動力の一つです。

シンガポール人口547万人のうち、シンガポールの日本人在住者は3万人をも超えます。これは経済事情のみでなく、家族を連れて安心して駐在できる、日本人が不安を抱かずに生活できる環境があるためでもあります。

今ではシンガポールはアジアの中でも有数の親日国家の一つで、日本が大好き/好きな人が90%、日本人が大好き/好きな人が95%という調査結果もあります。理由は、政府の和解方針、産業振興で日本に学ぶ姿勢を政府がとったこと、和食人気の高まり・過去において日本のドラマ/アニメ/J POPの流行などによるものです。

たとえリー・クアンユー氏には自国と自国民のための和解だったとしても、シンガポール在住日本人として私はリー・クアンユー氏には深い感謝を捧げます。

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※写真は国内各地にできた追悼会場の一つ。3月27日で、一般市民の弔問の列が最大で8時間待ちになっています。恐れられただけでなく、いかに慕われていたかが分かります。