戦前の満州で「李香蘭(りこうらん)」の名前で女優や歌手として活躍し、2014年9月に亡くなった元政治家の山口淑子(やまぐちよしこ)さんが、戦時中の1944年に都内で録音された2曲の未発表音源が見つかった。「雲のふるさと」「月のしづく」で、いずれも作詞は大木惇夫(あつお)、作曲は昭和を代表する作曲家の古賀政男が手がけた。NHKなどが報じた。
山口さんが亡くなったのを受け、日本コロムビア社が音源を調査。古賀政男音楽文化振興財団(東京都渋谷区)が所有する古賀氏の遺品を整理する過程で、発見された。SP盤やその包装紙に、曲名や李香蘭の名前のほか、「未発表」などの文字が書かれているという。
未発表となった理由は不明だが、「雲のふるさと」については同社の記録に「作詩不良の為発売不能」と書かれていたという。戦地へ赴いた兵士の涙を描いたとみられる「ますらおの われというとも 故しらず 涙落つるを」という歌詞もあり、日本コロムビアの担当者は「戦時中にはそぐわないとして、発売を自粛した可能性もある」とコメントしている。一方、作曲した古賀は晩年、72年の公演でもこの曲を選曲するなど、思い入れが強かったようだ。
■録音当時の戦況は……
録音当時の1944年11月、日米間ではフィリピン・レイテ島の戦いが始まっていた。44年10月20日、アメリカ軍約20万人がフィリピン奪還のためにレイテ島に上陸、その後日本側はほぼ全滅した。同島の太平洋戦争中の死者(推計)は、日本軍約8万人、アメリカ軍約3500人、島民約5万4千人といわれている。
朝日新聞によれば、山口さんはアメリカ軍の短波ラジオを通じて、日本側の劣勢を知っていた可能性もあるという。
今回の2曲とも、李の代表曲「夜来香(イエライシャン)」「蘇州夜曲(そしゅうやきょく)」などでの発声に比べ、微妙な装飾音を交えて情感をしっとりと乗せている。繊細な歌唱とともに、戦争末期の厭戦(えんせん)的な気分も伝わってくる。
録音当時、日米間でフィリピン・レイテ島の戦いが始まっていた。「李香蘭 私の半生」(新潮社刊)で、山口さんは「上海の中国人たちは短波ラジオで米軍放送を直接聞いて真相を正確に知っていた」と述懐。録音時には、南方での日本側の劣勢を知っていた可能性もある。
(李香蘭の未発表曲2音源発見 古賀政男作曲、漂う厭戦感:朝日新聞デジタルより 2015/04/11 15:18)
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