198人の精鋭がスタートラインへと並ぶ、ほんの少し前に、お日様が顔を出した。昨日から降り続いた雨は止み、灰色の雲も風に吹き飛ばされた。真っ青になった空のカンバスには、王立エアフォースが青・白・赤のトリコロールの雲を描いた。ウィリアム王子夫婦が見守る中、史上101回目のツール・ド・フランスの開幕が高らかに告げられ、100万ものファンが、7年ぶりの英国グランデパールを熱狂的に祝った。ほんの小さな4級峠が、まるでどこぞの超級峠のように観客で埋め尽くされたほど!!
太陽は、しかし、開幕の地イギリスのためには輝かなかった。残念ながら、ツールの母国フランスのために、雲間から現れたわけでもない。ありとあらゆる光を我が者としたのは、両国の古くからのライバル、ドイツだった。
本スタートと同時に飛び出したのは3選手。ツール初出場26歳のブノワ・ジャリエ、同じく26歳のニコラ・エデ、そして......1998年から2014年まで17回連続出場中の42歳イェンス・フォイクト!!前夜のサッカーワールドカップ準々決勝では、ドイツに0-1で負けを喫したフランスが、つまり大会初日のエスケープでは2-1と数的優位に持ち込んだわけだ。
ところが今季限りでの引退を宣言している大ベテランが、人生最後のツールで、体を張って16歳年下の若造どもに手厳しい教訓を与えた。大会初めての山岳賞ジャージを狙って、1つ目の山岳ポイント(4級=首位1pt)を競り合い、ジャリエがさらい取ったほんの直後のことだった。
「山岳ポイントを取ろうと、スプリントしてみたんだけど、どうにもダメだった。だからちょっと自分の体に聞いてみた。ボクに足りないのはフレッシュな肉体とスプリント力。それからパンチ力も。逆にボクのアドバンテージは排気量の多いディーゼルエンジンと、とてつもない意欲。それから長時間苦しみに耐えられる能力だ。監督からはエネルギーを温存するよう指示されたけど、ボクは言い返したんだ。『いやいや、山岳ジャージのために、今こそ飛び出さなきゃ!』って」(フォイクト、ミックスゾーンインタビュー)
中間ポイントを争うつもりのない若者2人を尻目に、ドイツ人はあえて飛び出した。......大会初日のポイント賞ジャージは、いずれにせよ、ゴールポイントを大量に稼ぐスプリンターの手に渡る。首位通過は、賞金(1500ユーロ)以外、逃げ選手にうまみはない。むしろ残り2つの山岳に向けて、体力を温存しておこう。若手2人はこんな風に計算したのかもしれない。その隙を、ベテランは突いた。
「単なる首位通過狙いの風を装った。だから2人はボクを前に行かせてくれた。そして5秒差がついたところで、全力で踏み始めた。でも、自転車教則本の最初のページにも書いてあるだろう。決してイェンス・フォイクトに1メートル以上与えてはならぬ、って!」(フォイクト、チームリリースより)
自慢の独走力は錆付いてはいなかった。若手2人がいつしか後方プロトンに吸収されて行ったのに対して、残す2つの3級峠(首位2pt)で先頭通過を成功させた。最終的にはゴール前59kmで後方集団に吸収され、果敢なる試みには幕が下ろされてしまうのだけれど、1日の終わりには山岳ジャージを誇らしく身にまとった。1998年に1ステージ着用して以来、実に16年ぶりの赤玉だ!また当然ながら、勇気と奮闘の証、敢闘賞の赤ゼッケンも、フォイクトの持ち物となった。
油断大敵。このことを痛いほど思い知ったのは、エスケープの若者2人だけではない。なにしろヨークシャーの道は、多くの選手たちが地図を眺めながら想像していたよりも、ずっと難解だったから。細くて曲りくねっている上に、小さな起伏が繰りかえし現れる路上では、幾度も渋滞が発生した。小さな分断がところどころで生まれた。総合争いや区間優勝の有力候補が、幾人も置き去りにされた。ホアキン・ロドリゲス、クリス・ホーナー、ティボー・ピノ、ダニ・ナバロ。スカイのアシスト勢も3人。「地面に足を付いてしまって」という新城幸也も一時は遅れを喫した。横風のせいで、ほころびは簡単には繕えなかった。当然ほかのチームが待ってくれるわけもない。結局は40kmほども必死に追走を行って、ようやく前を行くメイン集団への復帰を成功させたのだった。
そのメイン集団のコントロールは、ステージ前半は、ドイツ人スプリンターのマルセル・キッテル擁するジャイアント・シマノが引き受けた。後半はドイツ人のスプリントリーダー、アンドレ・グライペルを保護するロット・ベリソルが主導権を握った。中間ポイント争いだけは、ブライアン・コカールが4位通過(=メインプロトンで首位通過)を決めて、フランスの名誉をほんの少し救った。ラスト4kmに差し掛かると、いよいよ英国人スプリンター、マーク・カヴェンディッシュ擁するオメガファルマ・クイックステップが猛然と仕事に取り掛かった。フィニッシュ地に押しかけたファンたちの歓声は、隊列が接近するにしたがって、どんどんとボリュームを上げていった。
ゴール前1kmを示すフラムルージュの直前で、それは悲鳴に変わった。2007年ロンドン開幕では、初日にマイヨ・ジョーヌを身にまとったファビアン・カンチェッラーラが、得意のロングスプリントに打って出たのだ!
「ステージの最終盤には、いつだって、何かする可能性が残されているのさ。そしてボクは、その可能性を追い求めた。だってボクは第5ステージ(石畳ステージ)のためだけに、ツールに来ているわけじゃない。自らの力を見せ付けるために、区間を勝つために、ここに来ているんだから!」(カンチェッラーラ、ゴール後コメント)
ただしコンピエーニュの再現とはいかなかった。マイヨ・ジョーヌ姿で、同じように最終ストレートで特攻を仕掛け、追い上げるスプリンター勢をまとめて振り切った2007年第3ステージのような衝撃はおこせなかった。軽い登りゴールで、ラスト500m、猛然と追い上げてきた一団に呑み込まれた。オメガファルマとジャイアントのアシスト勢が、とりわけ、あらん限りの力を振り絞った。それぞれのリーダー、カヴェンディッシュとキッテルを前方へと引き戻すために。そして、ゴール地に、大きな絶叫が鳴り響いた。それは興奮と絶望の入り混じった声――。
興奮は、キッテルがサガンを蹴散らして、ひどく力強くスプリント勝利を勝ち取ったから。ドイツ人スプリンターは2年連続の開幕ステージ勝利を手にし、2年連続で初日マイヨ・ジョーヌを身にまとった。1年前とは違って、大本命スプリンターとして、堂々たる勝利だった。
「プレッシャーは大きかった。特にここ数日はね。多くの人が、ボクの勝利を予測していた。昨大会で4勝上げただけじゃなく、コース地形もボク向きだったから。だから区間を制して、マイヨ・ジョーヌを取るというのは、ひどく難しい課題だった。ただボク自身の調子は最高に良かった。好天だったのも、ボクにとってはパーフェクトだったね。おかげで上りでも苦労しなかった。4月にコース下見に来たんだけど、その時とは随分と感触が違ったんだ。観客は当然いなかったし、お天気もずっと悪かったから。」(キッテル、公式記者会見)
絶望は、フィニッシュライン250m手前で、カヴェンディッシュが地面に転がり落ちたから。カヴが右側からサイモン・ゲランスの上体にもたれかかり、反対側ではコカールとゲランスがハンドルを接触させ......。フランス人は減速だけで済んだが(区間4位)、英国とオーストラリアのチャンピオンはアスファルトに肢体を強く叩きつけられた。ずいぶんと長い間、カヴは顔をゆがめたまま、地面に横たわっていた。それから、右肩を押さえながら、ゆっくりと立ち上がった。悲嘆に暮れながらも、地元の観客は、「おらが町の英雄」(カヴの母親はゴール地で生まれ育った)に惜しみなく暖かな拍手と励ましの声を送った。精密検査の結果、鎖骨の脱臼と診断された。骨折がなかったのは、不幸中の幸いだったのかもしれない。
「ボクの責任だ。機会があり次第、ゲランスには個人的に謝罪を述べに行きたい。今日はどうしても勝ちたかったし、ボク自身絶好調だった。それにチームが信じられないような仕事をしてくれて、スプリントへ向けた位置取りも最高だった。現場に応援に来てくれた全てのファンのみなさんにも、本当に申し訳ないことをした」(カヴェンディッシュ、チームリリース)
マイヨ・ジョーヌ候補たちは、揃って落車を避け、無事に初日を切り抜けた。特に昨大会マイヨ・ジョーヌのクリス・フルームが、なんと区間6位に滑り込み、カヴに代わって英国の誇りを守った。
宮本 あさか
みやもとあさか。パリ在住のスポーツライター・翻訳者。相撲、プロレス、サッカー、テニス、フィギュアスケート、アルペンスキーなど幼いときからのスポーツ好きが高じ、現在は自転車ロードレースの取材を中心に行っている。
(2014年7月6日「サイクルロードレースレポート」より転載)