私は最近、日本のお笑い番組を、ただ素直に「面白い」という気持ちで見ることができなくなった。

日本の笑いの取り方は危険だと思うことがある。

そして、その笑いを違和感なく受け入れているあなたも、危険かもしれない。

日本の笑いは、本当の意味で「笑ってはいけない」かもしれない。

私は最近、日本のお笑い番組を、ただ素直に「面白い」という気持ちで見ることができなくなった。大好きだった多くのお笑い番組のどれも「面白いはず」の部分が、全く面白く無くなってしまったのだ。それ以上に、この番組を見た多くの人が笑っていることが、怖くなってしまった。

もちろん、日本のお笑い全てが危険なわけではない。ただ、番組の要所要所に、多くの「笑ってはいけない」内容が散りばめられていると感じる。

「笑ってはいけない」危険な要素は大きくまとめると二つの分野に分けられる。一つは、マジョリティがマイノリティをいじる内容。そして二つ目が、テレビ上で行われる暴力やセクハラ・パワハラといったハラスメントの内容だ。

これらの内容が放映された際に、視聴者から批判され、多くの人が面白くないと思い、視聴率が下がる、というのであれば、テレビ局もわざわざこのような内容を放映しつづけたりしないだろう。自然と放映される内容は淘汰されるはずである。

しかし、現実では、この内容が「テレビ」という強力な拡声器を使うことによって、大勢の観客に披露され、多くの人たちが「面白い」と思って笑うのだ。(例えば、複数の「笑ってはいけない」笑いを取り入れた年末の「ガキ使」の番組は、視聴率17.3%とNHK紅白歌合戦の裏番組としては最高の視聴率だった。https://www.nikkansports.com/entertainment/news/201801030000079.html)

そして、「笑ってはいけない」内容が「笑っても良いもの」にいつの間にかすり替えられ、社会で再現され、広まっていく。そこに危険性を感じるのだ。

マイノリティをいじる内容とは、例えば、昨年話題になった保毛尾田保毛男だ。

「とんねるずのみなさんのおかげでした」という番組で、とんねるずの石橋がステレオタイプなゲイの格好をし、同性愛ネタを演じる内容だ。

他にも、今十分に話題になっている「ガキ使」の番組の例もある。今回、ダウンタウンの浜田雅功が顔を黒塗りにして登場した場面だ。

ただ、この笑いの取り方は、今年が初めてではなかった。

これまでも、この番組では浜田が常に女性の格好をして登場する場面があった。今回ほどの衝撃はないけれど、毎回笑いものだ。女性に扮して笑いを取ることは、女装をする男性や、LGBTというマイノリティ、そして女性そのものをバカにしていると思う。ただ、もう一つ気づいて欲しいのは、この笑いの背後にある考え方だ。

皆が一斉に着替えて出て来る中で、「一人だけ違う格好をしている」ことがおも白いのだ。それが女性であろうと、黒人であろうと、一人だけ違うことが面白いらしい。つまり、「周りと違うこと」「マイノリティであること」は笑いの対象であり、バカにする対象なのだ。これは「皆が一緒であること」という同調性を重んじる日本だからこその笑いのように思えてしまう。

このように、LGBTや黒人、そして女性を差別するような描写をすることで、笑いを取っている番組や場面が多くある。その中で共通している点は、対象が誰であろうと、差別的描写は、必ず「差別をする側(マジョリティ)」が「差別をされる側(マイノリティ)」をバカにして笑いを取るという構図だ。

テレビにおけるハラスメントの内容も同様だ。

お笑い番組の中では、こちらの方が多いかもしれない。

叩く、蹴るに加えて、「絶対に真似をしないでください」というテロップを出すような危険な体を張った笑い。高価な時計などを芸人に強要して買わせる番組や、もはやパワハラのネタしかない番組もある。

「しゃべくり007」の中では、番組の中で勢いに任せて、女性の体を触る場面や、「こっち向くな、ブス!」という発言もあった。

大人気のイモトも「イッテQ」で、海外に行った時のイケメン男性にキスを強要する場面が何度かあった。特に海外で日本のテレビで、このような行動をして、誰も止めずに笑っているというのは、日本人として恥ずかしい。テレビの演出だからといって許されない完全なセクハラ(兼パワハラ)だ。

セクハラやパワハラをして、笑いを取るのは、いじめられている人を見て笑っているのと同じ行為だ。これは、本当に笑っていいのだろうか。

一方で残念なことに、この差別的描写やハラスメントの描写はウケる。

ウケるからこそ、テレビの中だけでなく、社会に広まり、この差別・構図が真似され、再現される。

つまり、「テレビで(公で)いじっていた内容なら、飲み会でやってもいいでしょ」と差別的ないじりやセクハラ・パワハラが社会の中で繰り返されて行く。女性や黒人、LGBTをいじってもよいと認識されてしまうことで、差別的な会話やロッカールームトークなどが職場で起きる。「これくらいの強要なら、笑いになるでしょ」といって、飲ませたり、触ったりすることが職場で起きる。テレビの中の構図が、社会の中で広まり、多くの人を傷つけて行くのだ。

差別やハラスメントを利用しない笑いはないのだろうか。

きっとできるはずである。私の知っている英語圏のコメディ、例えば、アメリカのコメディ番組は面白い。もちろん、アメリカでも差別的なネタはあるし、批判されているネタもたくさんある。ただ、テレビで放映されるような人気番組の内容は、明らかに日本とは違う。

例えば、ホストはそもそもアメリカ人でないことも多いし、アメリカ人であったとしても白人ではなく、黒人やアジア系、中東の人とマイノリティが担当していることもよくあるのだ。例えば、有名人気番組のレイトショーホストを挙げてみよう。Trevor Noahは南アフリカ人で人種的には黒人でJohn Oliverはイギリス人だ。人気コメディアンのDave Chappelleは黒人、Aziz Ansariはインド系アメリカ人、Ali Wongはベトナム系アメリカ人、Ken Jeongは韓国系アメリカ人だ。

そして、彼らは「世の中の出来事の中で、よく考えたらおかしなこと」に対して皮肉を言い、笑いを取る。例えば、Big Guysと呼ばれる大物(政治家や大企業)の発言や行動、その他政治などのニュースについてのディープなネタも多く、強者を笑いのネタにすることがほとんどだ。皮肉が過ぎると言われるかもしれないが、彼らの笑いは、世の中の不平等や差別を拡張する内容ではなく、それに対する疑問を投げかける笑いだ。

また、番組内での差別的なネタの構図は、日本と違う。というのも、アメリカではマジョリティである白人が、マイノリティである(例えば黒人やアジア人)を差別して笑うネタというのはNGとされている。アメリカのコメディスクールでも、そのように教えているようだ。

つまり、アメリカでは、「マジョリティ」が「マイノリティ」を攻撃するような日本に存在する構図は、テレビ上ではほとんど見られないのだ。

アメリカは移民が集まった国で、共通の話題や習慣が日本より少ないことや、差別に対して、日本より厳しく取り締まる社会であること、訴訟が日本に比べて多いことも関係しているだろう。「文化の違い」と言ってしまったら、そこまでだ。けれど、今の日本のお笑いではない方法で、人は笑うことができるのだ。少なくともマイノリティや弱者が傷つかないで笑いを取る方法はもっとあるはずだ。

一方で、こんな議論もあるだろう。テレビが社会に影響を与えているのか、それともテレビは社会を映し出しているだけなのではないか。

どちらにせよ、テレビ局を批判し、彼らに視野を広く持つよう促しても、変わるためには相当な時間がかかるだろう。

それまでの間、テレビ局に対して権力のない私たちは、自分自身がどんな社会を作りたいのかを考えて、自分が見る番組を決めていく必要がある。そして、テレビが放映している内容に対して、一歩引いて懐疑的になり、「テレビがやっているから面白い、真似していい」という理論は成り立たないことを自覚する必要がある。

あなたはどんな社会を作りたいか。どんな社会で生きて行きたいか。

もし差別がない社会、ハラスメントがない社会、平等な社会、海外でも認められる社会が作りたいのであれば、自分が見ているもの、笑っているものを、自分で責任を持って、選択していかないといけない。