女性器の整形手術を受けた私。その理由と今の気持ち

女性が美容整形を選ぶことが「非フェミニスト」的だったり、倫理的に間違ってると見られるべきではないと思う。でも人々が、見た目のせいで自分の価値が低いと感じたりする世界は、何かが間違っていると思う。
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クリニックで医者を待つ患者 イメージしゃしn
DEBORAH JAFFE VIA GETTY IMAGES

私が自分の女性器について恥ずかしいと思った最初の記憶は、中1の時の保健の授業。女性の体の解剖図がプロジェクターの画面に表示され、先生が膣の入り口には大陰唇があって、その内側に小さな小陰唇がぴったり収まっているのだと説明した。私は顔を真っ赤にして、目を背けてうつむいた。

″当時の私は、自分の外陰部を隠すためにできる限りのことをやっていた”

私の小陰唇は大陰唇の外側に大きく突き出していて、12歳にして(その保健の授業と10代前半の子どもたちのひそひそ話のおかげで)、私は性的な体の理想像を刷り込まれていて、私の体の構造は根本的かつ生理学的に「間違っている」とされ、自分はその理想に当てはまらないと気づいた。

クリスチャンの家庭に育った私には、自分の体を理解するための情報があまりなく、性に関する情報はもっと少なかった。私はすでに友人グループの中で一番体重が重く、体型は恥の理由で、修正する必要があるものだと感じていた。

当時の私は、自分の外陰部を隠すためにできる限りのことをやっていた。水着の上に必ずショートパンツを履いたり、他人の前では絶対に着替えないようにしたり、お泊り会で体の話題になったときには、当たり障りのない答えをするようにとても気を使ったりしていた。

 

″私の外陰部を見た彼は、「うわ、本物ってこんな見た目なの?」と言った”

高校3年生のときに初めて恋人ができた私は、自分を魅力的だと思ってくれる人ができたことに興奮しすぎて、彼が私に敬意を払っていないことに気づかなかった。数カ月間感じていたプレッシャーの末、私は彼の前で裸になった。私の外陰部を見た彼は、「うわ、本物ってこんな見た目なの?」と言った。私にとって最大の恐怖が確信に変わった。私の体は「間違って」いたのだ。

恥ずかしさだけでも十分に辛かったが、大きすぎる陰唇が太腿に擦れることによる身体的不快感もあった。1日に何度もトイレに駆け込み、終わることのない痛みが和らぐことを願いつつ、こっそり陰唇の位置を調整した。家に帰ると保湿液を塗り込んだ。数年後には、1日を乗り切るために保湿液を入れた小さな容器をバッグに入れて持ち運んでいた。

 

″私はフェミニストだった”

同じ年、こうした混乱の中、熱く情熱的な英語の先生が、私が常に持ち続けてきた価値観を説明する言葉を与えてくれた。私はフェミニストだったのだ。私はマヤ・アンジェロウをはじめとするジェンダーの役割などと戦ってきた素晴らしい女性や男性たちについて学んだ。私はこの社会が女性と女性の体をコントロールしようとしてきたことを理解した。女性は自分たち自身の所有権について長い間戦ってきたのだ。

勇気づけられた私は、生理用品や避妊薬の入手の簡易化や、女性が自分たちの自然な体を受け入れられるようにするといった取り組みを支援することを通じて、社会が女性に対して定めた基準に立ち向かっていこうと思うようになった。

こうした問題は私にとってとても重要だったが、個人的にそれを受け入れるのはすぐに難しくなった。私は社会が崇める特定の体型に影響を受け続けたし、自分の陰唇についての恥はあまりに大きいままで、それと向き合うことさえできないように感じていた。

 

陰唇形成手術の存在を知る。

その年のある晩、グーグル検索に没頭していた私は、陰唇形成手術と呼ばれる選択的外科手術について詳細に解説したサイトを見つけた。これは基本的に、小陰唇を縮小する美容整形手術だった。女性たちのレビューの大半は手術についてのポジティブな意見や、外陰部の見た目が変わったことで自信が持てるようになったといった書き込みだった。女性は伝統的な美の基準と戦うべきだと考えている私は、美の基準を満たすために痛みに耐えて数千ドルも費やすこのやり方には心から反対だった。

その一方、こうした信念に反し、私は陰唇形成手術を受けた人たちの手術前後を比較した画像を眺めるのに何百時間も費やしていた。そうした画像を眺めながら、私は自分が手に入れられるかもしれない自信について夢想し、日々の不快感や痛みから開放されることを考えた。でも、自分の思想的信念と、手術に必要な費用や未成年だという現実的な問題から、私は手術のことを頭から消そうとした。

高校を卒業して大学に進学した私は、成長を続け自分のことをより良く理解できるようになった。無意識のうちに恋に落ちた相手と夜遅くのおしゃべりを数カ月間続けた後、私は彼の隣に寝ていた。服は着たままだった。涙が静かに頬を伝い落ち、私は常に自分の最も恥だと思ってきたこと、つまり自分の外陰の見た目について彼に話した。彼は私がそのことに悩んでいたことに驚き、私を抱きしめた。ずっと大きな痛みを感じてきた私に「かわいそうに」と声をかけてくれた。私は、彼には何か大きな欠点があるに違いない、もしくは彼は私が言ったことを誤解しているのではないかと思った。

長年にわたって自分の体についてあらゆることを内面化してきた結果(フェミニズムが私に伝えようとしてくれていた教訓があったにもかかわらず)、私は自分の体が根本的に誰からも受け入れてもらえないと思い込んでいたのだ。

 

″私は自分の体をありのままに受け入れることを学びつつあった”

しかし時と共に、私は考え方を変えていった。私は外陰の「間違った見た目」などなく、自分の外陰は解剖学的にまったく問題ないことを学んだ。自分の外陰を「誇らしく思う」とまでは言えないが、性的関係を持った相手に驚かれたり、無知で心無い言葉をかけられたりしても、私はそれが自分の一部であることを学びつつあった。

私は自分の体をありのままに受け入れることを学びつつあったが、それでも機能的問題との戦いは続いていた。私の陰唇は日々変わらず擦れ、腫れ上がって痛みを発していた。頻繁に位置を調整したりストレッチをしたりして、不快感を和らげようとした。また、不快感を和らげることを期待して、柔軟性のある服とそうでない服の両方を試してみたが、有効なものは何もなさそうだった。

私は大学を卒業し、より大きな都市に引っ越した。そこでバーテンダーのような活動的な仕事に就くと、日々の不快感は増すばかりだった。安定した収入を得られるようになった私は、陰唇形成手術について真剣に考えるようになった。

手術についてあらゆることを調べ始めた。その内容は、小陰唇の形を整えて、大陰唇と大体同じ長さにするというものだった。手術は局部麻酔で仕事は約1週間休むだけでよかったが、セックスやマスターベーションは丸1カ月間控える必要があった。

手術に関する長期的研究の欠如や、主に美容的な理由でこうした手術をする人が年々急増していることに不安を感じた。とても多くの人が自分の外陰について恥を感じている(ポルノが社会にもたらす影響は大きい)という事実も嫌だった。私は誰もが自分の性器を恥じるべきではないと心から信じていたが、それと同時に、恥を感じてしまう人の気持ちもとても良く理解できた。

 

″私は自分の信念を裏切り、フェミニストとして考えてきたことのすべてに背いているのだろうか?”

数カ月間の熟考の後、評判が良く信頼できそうな医師を見つけた。大きな不安があったにもかかわらず、ついに私は自分を説得してその医師への予約を取った。それでもこれはただの相談で、手術を受けることはないだろうと自分に言い聞かせ続けていた。

とてもおしゃれな建物のおしゃれな待合室に入ると、とても親切な受付係がいた。その外科医は率直で、手術室で何をするのかを説明した。私が手鏡で様子を見守る中、彼女は私の陰唇に指を当て、どのようにそれを切り取るのかを実演してみせた。それから彼女は私のあらゆる質問に率直に答えてくれた。その様子から、彼女はこれまでに何千回も同じような質問に答えてきたことが分かった。

私は自信があるように振る舞おうとした。私は彼女に、もし陰唇形成手術を受けるとしたら、身体的な不快感が解消する為だと言った。なぜなら見た目には何の問題も感じていなかったからだ。それでも、より「社会的に受け入れられやすい」外陰を得ることが嫌なわけではないのは確かだったが。

多くの内省を重ねた末、2019年3月28日、私は陰唇形成手術を受けた。手術の数週間前から、私は自分の行動をどうやって正当化するのかと悩んでいた。世界中で自分の意思に反して女性性器切除(FGM)されている人たちがいるのに、4,000ドル以上も払って自分の性器に「選択的」かつ「美容的」な外科手術を受けようとしているのだ。私は女性の自尊心を引き裂こうとしてきた業界に貢献しようとしているのか? 世の女性を、理想化されたモデルのような体型になるよう追い込んでいるのだろうか? 私は自分の信念を裏切り、フェミニストとして考えてきたことのすべてに背いているのだろうか?

 

″自分の体とそれに何が起きるのかを管理するのは私なのだ”

結局のところ、陰唇の形を変えるという私の決断は単純でとても現実的理由から来るものだった。私は毎日のように痛みを感じるべきではないと思ったのだ。さらに、自分の体とそれに何が起きるのかを管理するのは私なのだと理解した。私は誰もがそうあるべきだと信じているし、それが自分のフェミニズムの土台だと考えている。

手術に掛かった時間は約45分。脚を大きく広げておしっこを漏らし、冷たい風が性器を撫でるのが不安だったというのがそのときの主な記憶だ。回復期間にはものすごく痛みがあった。常に炎症があり、まるで小さな風船が脚の間で擦れ続けているような感覚だった。歩くのは困難だったし、なぜ仕事をこんなに休まなければいけなかったのかを上司と同僚(彼らには手術のことを絶対に知られたくなかった)に説明するのも大変だった。

今の私は、手術がわずか3カ月前だったことを忘れるほどだ。長年苦しんできた毎日の身体的な痛みも消え去った。

私はこの手術について複雑な思いを持ち続けるだろう。私は身体的な痛みを解消するために陰唇形成手術を受けたが、外陰の見た目について感じていた恥も消え、それに対して大きな罪悪感を抱いている。私は外陰の見た目に悩む人々にとってもっと良い代弁者でいたかったし、前の見た目のときも今のように自信を持っていたかったと思っている。それでも自分について語ることで、なぜ女性たちが自分の性器の見た目について恥を感じていて、それを変えるために私たちが何をすべきかという重要な対話に、少なくとも何かを貢献できればと思っている。

また、この手術を受けるためには様々な特権を持っている必要があることも認識している。性自認と肉体的な性が一致していることや、手術を受けるための経済的な余裕があることなどがそうだ。でも、私はこの社会が近いうちにそのような特権を必要としないような方向に向かっていくことを願っている。私はできるだけ痛みを抱えずに生きていくために必要な医療支援を、誰もが受けられる世界に生きたいと思う。

女性が機能的な理由以外で体を変えたいと思うとき、美容整形を選ぶことが「非フェミニスト」的だったり、倫理的に間違ってると見られるべきではないと思う。でも人々が、特に女性たちが、自分の見た目のせいで自分の価値が低いと感じたり、自分の体を常に改善が必要なプロジェクトであると思ってしまうように作られた世界は、何かが間違っていると思う。

今の状況では、あまりにも多くの女性がパートナーや社会に受け入れられるために手術を受けたり体を大きく変えなければいけないというプレッシャーを感じさせられている。私たちは多様性の中にも美があることを理解し、性器の形や大きさを含めて、様々な体型を祝福する方法を見出す必要がある。

ハフポストUS版の記事を翻訳、編集しました。

 

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