創業元禄2年(1689年)、京都で320年以上続く老舗・聖護院八ッ橋総本店の鈴鹿可奈子(すずかかなこ)さんは現在、専務取締役として、伝統の味や職人を大切にしながら、新商品nikinikiをヒットに導くなど老舗に新風を吹き込んでいる。
中学生のときに家業を継ぐと決めた鈴鹿さん。京都大学では経済学を専攻、在学中には留学したアメリカでMBA(経営学修士)の基礎を学んだが、入社直後は、大学やアメリカで学んだ合理的な経営が京都の文化に合わず、戸惑ったという。
そんな鈴鹿さんが今、大切にする"京都の商い"とは何か。300年以上に渡り、地元や人と共栄する企業のありかたを聞いた。
■京都の商い「MBAでは、八ッ橋は売れません」
鈴鹿可奈子さんは、1982年生まれ。聖護院八ッ橋総本店の現社長である鈴鹿且久(かつひさ)さんの一人娘だ。兄弟がいないため、鈴鹿さんは中学生の時点で「なんとなく自分が家業を継ぐのだろうな」と感じていたという。
同志社中学校・高等学校で学んだ後、級友の大半が同志社大学に進むなか、鈴鹿さんは京都大学経済学部に進学。在学中には、カリフォルニア大学サンディエゴ校に1年間留学し、経営、人事、マーケティング、財務管理といったMBA(経営学修士)の基礎(Pre-MBA)を学んだ。大学卒業後は、株式会社帝国データバンク勤務を経て、聖護院八ッ橋総本店に入社した。
聖護院八ッ橋総本店にも、大学で学んだ合理的なMBAの視点を取り入れようとした鈴鹿さん。当時を「実情に合わず、社長である父とよく衝突した」と振り返る。
「人事評価は、今でも参考にしています。でも経営方針は、まったく違う。MBAは合理主義で、徹底的に無駄を省くシミュレーションをします。アメリカで学んだやり方は京都の実情には合いませんでした」
京都では、会合や懇親旅行がしばしば催され、鈴鹿さんも積極的に参加して多くの時間を割く。しかしMBAを学んだ経営者のなかには「おつきあいは無駄」と見なす人も少なくない。時間もお金も手間もかかるが、利益を生み出さないからだ。
鈴鹿さんは、父に言われて地元の会合に参加するうちに、「おつきあい」のメリットに気づく。取引先で新規の提案をするとき、地元の話題から会話を始められる。会合などで何度も顔を合わせている相手の会社の状況や、決裁権のある人を把握できる。人と人との関係を大切にすることで、結果的に商談が進むスピードが非常に速くなったという。
和菓子店だけでなく、花柳界や茶道の世界など京都ならではのおつきあいからも間接的な新商品のヒントを得られる。アメリカでのMBAの基礎授業では絶対に教えてくれなかった利点だ。「習ってきた理論が京都に合わない部分があることもわかりました。ただ、それも経営理論を知っているからわかります。勉強しておいてよかったと思っています」
■老舗が大切にする人「働き手の人生、歴史より重みがある」
聖護院八ッ橋総本店の創業は、元禄2年(1689年)。2014年で325周年を迎える。老舗を継ぐことについて、鈴鹿さんは「あまり長さをプレッシャーに感じたことはありません。むしろ『歴史に守られているから冒険できる』と前向きにとらえています」と微笑む。
そんな鈴鹿さんにとって、老舗の暖簾よりもずっしり重いものがある。それは従業員だ。聖護院八ッ橋総本店には、代々語り継がれてきた「人を大切に」と「地元を大切に」という2つの方針があるという。
「人を大切に」とは、お客様はもちろん、働き手の人生について配慮すること。鈴鹿さんは入社後、真っ先にパートや社員ら合わせて約200人全員の顔と名前を一致させた。
「私がまだランドセルを背負っている頃から、社員さんたちが働く姿を見ていました。経営の判断を一つ間違えれば、事業を縮小せざるを得なくなり、彼らが職を失います。私にとっては、彼らの人生のほうがお店の歴史よりもずっと重みを感じますね」
だからこそ、大切な従業員を安易に解雇しないように、事業展開は慎重になる。京都らしい"商売の手堅さ"は、従業員を大切にする経営の表れなのだ。
八ッ橋が全国的に有名な伝統銘菓となった今も、聖護院八ッ橋総本店は地元のイベントでは、八ッ橋を提供することもあるという。
「毎年、近くの保育園のお餅つきではあんこを、小学校の運動会には生八ッ橋を提供しています。『地元を大事に』していきたいからです」
「八ッ橋は、この聖護院の地で誕生したお菓子です。『利益を増やすために、繁華街に本店を移転したほうがいい』とアドバイスを下さる方もいらっしゃいました。聖護院の名を使わせていただいている私たちとしては、会社として発展するのはもちろん望ましいんですが、同時に、歴史を共にしてきた地元を大切にするのは当たり前なのです」
京都を盛り上げるイベントに積極的に協力し、年に一度の京都マラソンでは、京都八ッ橋商工業協同組合が一丸となって、ランナーに生八ッ橋を提供する。「京都に観光客が増えるのは、私たちにとってありがたいことです」と鈴鹿さんは話す。
■「京都人にできたての生八ッ橋を」新ブランドの賞味期限は短期間
一方、八ッ橋の売上はお花見と紅葉の観光時期である4月と11月がピーク。八ッ橋の主要購買者層は観光客であり、実は、現在の若い京都の人で八ッ橋を食べる人は少ない。八ッ橋は、京都を代表するお土産にもかかわらず、それほど京都人に食べられていない――。この問題意識は、鈴鹿さんが新ブランド「nikiniki」を始める原動力となった。
「普段八ッ橋を食べない人たちは、『自分は八ッ橋の味を知っている』と思い込んでいます。でも、私たちは工場でできたてを食べたり、あんこ以外の多様な素材と組み合わせて食べてみたりもしているから、八ッ橋や生八ッ橋がどれほど可能性を持っているかを知っています。形や素材の組み合わせによる八ッ橋の広がりを、もっと京都の人に知ってほしいと思ったんです」
「nikinikiの原点は、1987年から7年間、母が当社でプロデュースしていたカフェ『カネール』にあります。リンゴのコンフィチュールと生八ッ橋を合わせて作られた綺麗なデザートは、当時の私の大好物。『あの味をまた食べてみたい』『たくさんの方に今味わって欲しい』と思いました」
カレ・ド・カネール
nikinikiの特長は、お店で5種類の好きな生八ッ橋と、数種類のあんや季節の果物のコンフィチュールなどの組み合わせを指定し、その場で詰めてカウンターで食するスタイルだ。四条西木屋町にあるショップでは、色とりどりの菓子がジュエリーのようにガラスケースを彩る。
聖護院八ッ橋総本店の生八ッ橋の賞味期限は12日だが、nikinikiの商品の中には、当日限りの消費期限の商品もある。ターゲットを、観光客ではなく地元の人に合わせているがゆえだ。
「見ためが『八ッ橋じゃないみたい』といわれることもあります。でも、nikinikiは八ッ橋の定義『米粉と砂糖を合わせて、ニッキで香りづけをしたお菓子』から外れることは、絶対にしません。あくまで八ッ橋のいろいろな楽しみ方の発想をふくらませました」
「nikinikiは当初は採算度外視で始めたブランドで、すごく手間がかかる商品です。最近では、結婚式の引き出物のご注文も増えてきて、京都の方に召し上がっていただいている手応えを感じています」と鈴鹿さんは笑う。
季節の生菓子(リス)
■320年続く京都の商い「おつきあい、地元、人を大事に」
「nikinikiを商標登録して東京で展開すれば、今以上に人気が出るのに」というアドバイスを、鈴鹿さんは何人かの経営者からもらったことがある。
「貴重なご意見でした。でも今は、事業の拡張よりももっと大事にしたいことがあるので、東京への出店は考えていません」
聖護院八ッ橋総本店の朝は早く、事務所の就業時間は午前8時。早出の社員は、朝5時にはすでに出社している。
手を動かす職人や従業員も、商品の先にある「人の笑顔」のために早朝から働く。小遣いを手にした修学旅行生たちが、バス移動の合間を縫って、聖護院八ッ橋総本店を訪れるからだ。午前9時には、京都駅の売店に届いたできたての八ッ橋が、朝の旅人を待ち受ける。
「おつきあい、地元、人を大事に」という経営方針は、働き手が人間らしく働くためにあるのかもしれない。社員が生き生きと働けなければ、伝統銘菓の味を江戸時代から現在に至るまで保ち続けることは難しい。京都の商いには、長く地元や人と共栄し、職人や従業員たちを大切にする企業のヒントが詰まっていた。
(呉玲奈)
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