7月16日は「海の日」。海水浴に行く人も多いと思うが、海岸には思わぬ危険が潜んでいる。
60年以上前、戦争の傷跡が残る日本で痛ましい事故があった。
1955年7月28日、三重県津市の中河原海岸は海水浴には絶好の日だった。同市の橋北(きょうほく)中学校では例年通り、夏の水泳講習を実施していたところ、女子生徒36人の命が一瞬にして失われた。
この日は全学年600人以上が参加していたが、女子グループの43人が高波にさらわれた。7人は意識が回復したが36人が帰らぬ人となった。当時の新聞記事を引こう。
岸から約10メートルのところでジャブジャブやっていたところ、突然高波が襲いかかり、足を波に奪われてあわてて救いを求め、先生の身体にしがみつくもの、手をあげて沈んでゆくものでしゅら場となり、他の組で泳いでいた先生もかけつけて次々に救い上げた。
(朝日新聞1955年7月28日・東京版夕刊「女生徒36名絶望か 津市 水泳講習中おぼる」)
岸からわずか10メートルの場所で起きた凄惨な事件だった。事故原因は未だにはっきりしていないが、生存者の女生徒から事故当時「海の底からたくさんの女の人がひっぱりに来た」という声があった。
この水難事故が起きる10年前の1945年7月28日には、津市への米軍の空襲があったことから、戦争当時の被災者の霊の仕業ではないかという声が地元ではささやかれていたという。
生存者の女生徒の一人が、やっとショックから立ち直った1963年、女性誌に以下のような手記を寄せている。
「弘子ちゃん、あれを見て!」私のすぐそばを泳いでいた同級生のSさんが、とつぜん私の右腕にしがみつくと、沖をじっと見つめたまま、真っ青になって、わなわなとふるえています。その指さすほうをふりかえって、私も思わず、「あっ!」と叫んでSさんの体にしがみついていました。
私たちがいる場所から、20~30メートル沖のほうで泳いでいた友だちが一人一人、吸いこまれるように、波間に姿を消していくのです。すると、水面をひたひたとゆすりながら、黒いかたまりが、こちらに向かって泳いでくるではありませんか。私とSさんは、ハッと息をのみながらも、その正体をじっと見つめました。
黒いかたまりは、まちがいなく何十人という女の姿です。しかも頭にはぐっしょり水をすいこんだ防空頭巾をかぶり、モンペをはいておりました。夢中で逃げようとする私の足をその手がつかまえたのは、それから一瞬のできごとでした。
(女性自身1963年7月22日号「恐怖の手記シリーズ(3) 私は死霊の手からのがれたが... ある水難事件・被害者の恐ろしい体験」)
この水難事故は、遠浅の海岸に発生しやすい「離岸流」という自然現象が事故原因になったのではないかとも言われている。
中河原海岸は遠浅だが、付近の安濃川から水が流れ込むことによってできた深みが数カ所あった。事故が起きた時間は満潮に近くなっていたため、浅瀬から深みに向かって一気に水が流れた可能性がある。
女生徒が見たのは、戦争のトラウマが見せた幻だったのか、それとも......。
近年でも、中河原海岸の一帯は泳ぐ人影は稀だ。津市役所では、「中河原海岸は遊泳禁止とはしていませんが、海水浴場という指定もしていないのが、あまり人が泳がないエリアとなっています」と話している。