隈研吾さんてどんな人? 新国立競技場のデザイナーは「負ける建築」で知られていた

「負ける建築」とは?
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Kengo Kuma, the Japanese architect of the future Saint-Denis Pleyel train station, delivers a press conference in Saint-Denis on September 22, 2015. AFP PHOTO / DOMINIQUE FAGET (Photo credit should read DOMINIQUE FAGET/AFP/Getty Images)
DOMINIQUE FAGET via Getty Images

新国立競技場のデザイン案は、建築家の隈研吾(くま・けんご)さんと大成建設、梓設計のグループが手がけたA案に決まった。木材と鉄骨を組み合わせた屋根で「伝統的な『和』を創出する」としているのが特徴で、業務の実施方針、工期短縮、環境計画などが評価された

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デザインを担当する隈研吾さんは、1954年、横浜生まれ。10歳で迎えた1964年の東京オリンピックの際に、丹下健三氏が設計した代々木体育館を訪れて優美さに感動。将来の夢を、獣医師から建築家に切り替えた。

1975年に東京大学大学院工学部建築学科を卒業。コロンビア大学客員研究員、慶應義塾大学教授を経て、2009年より東京大学教授。国内だけでなく、世界各地で建築のプロジェクトに携わるなど国際的に活躍。木材を使うなど「和」をイメージしたデザインが特徴的で、「和の大家」と呼ばれる

これまでの作品には「歌舞伎座」、「根津美術館」、「サントリー美術館」などがある。

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隈さんの最も代表的な建築思想は「負ける建築」。自己主張の強い建築ではなく、環境に溶け込む造形を、追求するというものだ。隈さんは2013年、朝日新聞デジタルのインタビューで「エバった建築、自己主張の強い建築というものが大嫌い」と話していた。その理由について、隈さんは次のように語っている。

エラそうということは、自分を変えられないこと。そうはなるまいと、努力したことは確かです。建築に引き付けて言うと、その土地の文脈とまったく違う、鉄とコンクリートのお化けのような建築だけはつくりたくないと思いました。

 

僕の場合で言えば、バブルが弾けた後、東京での仕事が一切なくなった90年代に、地方でさまざまな建築を手がけたことが、大きな財産になっています。日本の地方が持つ豊かな風土を感じながら、丘の中に埋める展望台(亀老山展望台・愛媛県今治市)や、切妻の大屋根に木材を使った美術館(那珂川町馬頭広重美術館・栃木県)などを設計しました。どの建築でも、その土地が発する「声」を、注意深く聞くようにして、建築が風土に上手に「負ける」ことを意識しました。

 

「競走馬」のような建築家 隈研吾(2) - インタビュー - Asahi Shimbun Digital[and]より 2013/03/28)

時事ドットコムによると、今回のコンペで選ばれた決め手を問われ、隈さんは、「(新競技場建設予定地の)近くに住んでいるので、環境に対して少しでも優しくしたいと、高さを抑えるなどした。その近隣住民としての思いに、ちょっと点数が高くついたのかな」と述べた

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