10月15、16両日に北京で開催されたASEAN・中国国防相会議出席のための訪中を前にした10月7日、タイのプラウィット副首相兼国防相(陸軍大将)は「中国側メディアが盛んに報じているクラ地峡運河建設に関し、中国側と正式調印することはない。この報道は根拠のないものだ」と語った。
クラ地峡はタイとマレーシアとミャンマーが連なるマレー半島中央部に位置し、最も狭い部分は44キロ、最高地点は75メートル。ここに運河を建設し、西のアンダマン海と東のシャム湾を繋げば、マラッカ海峡を経由しなくてもヨーロッパ、中東、インドと太平洋を直接結びつけることができるという大構想だ。マラッカ・ジレンマも海賊問題も一挙に解決されることになるだろうし、そのうえ航路が大幅に短縮されるから輸送コストの大幅減も期待でき、いわば“一挙三得”といったところか。
「中タイ調印」と報じた中国機関紙
クラ地峡を開削し運河を建設しようという構想は早くも17世紀後半には計画が持ち上がり、18世紀末にはアンダマン海側の防衛の便宜から当時のシャム国王ラーマ1世周辺が提案したが、最終的には実現には至らなかった。19世紀に入りイギリスの東インド会社が探査したものの、否定的な結果がもたらされたようだ。19世紀末にはスエズ運河を建設したレセップスも乗り出している。だが、国際中継港としてのシンガポールの優位性確保を目的に、イギリス植民地当局とシャム王室は運河の開削を許可しないことで合意している。
近年では、タイで「学生革命」が勃発し長期軍事政権が崩壊した1973年、日本・タイ・アメリカ・フランスの4カ国の合同チームによって原子爆弾利用による運河開削の提案がなされたが、これも構想倒れだった。
かねてから日本でも「幻の巨大インフラプロジェクト」と間歇(かんけつ)的に話題となり、かの「M資金」に似た構造を持ちながら政財界の裏側で密かに語り継がれ、現在に至っている。そのクラ地峡運河建設話が、5月中旬、俄かに持ち上がったのだ。
5月18日、台湾の『中時電子報』が中国側の寧波海事局当局による5月15日付の情報を基にして、「中タイ両国、広州においてクラ地峡運河開削に関する合作備忘録に調印。完成まで10年を要するとされる世紀の巨大プロジェクトが完成へ向け第一歩を踏み出した」と報じた。
翌(19)日、この情報を基に、「中国はクラ地峡運河によってマラッカ・ジレンマの解消可能」との見解が中国国内ネットに流れる。ところが同日、寧波海事局は前日の情報を否定した。どうやら情報の出所は、14日に広東省党委員会機関紙『南方日報』がネットで伝えた「タイ・クラ地峡運河プロジェクト合作備忘録、広州で調印」との報道だったようだ。
同機関紙は、「広州でクラ地峡運河研究・投資検討委員会が開催され、備忘録が調印された。龍浩国際集団責任者によれば、運河建設によって広東、福建、上海、浙江、江蘇などの地域が恩恵を受けるとのみならず、中国と南アジア、中東、アフリカ、ヨーロッパ各国の貿易を活発化させるだけでなく、我が国が進める『一帯一路』戦略の実現に大いに寄与することになる。タイ側は多大の雇用機会を期待している」と報じている。
チャワリット元首相と中国政府とのパイプ
同記事には調印式典の様子を撮影した写真も伝えられていたが、そこにクラ地峡運河研究・投資検討委員会のタイ側代表としてチャワリット元首相(在任1996年~97年)が写されていたことから、クラ地峡運河建設計画が俄かに信憑性を持つこととなった。
じつは、同元首相は1980年代半ばに陸軍司令官に就任してタイの政財界と国軍に大きな影響力を発揮することとなるが、それ以前は一貫して陸軍の情報・諜報部門を歩いてきた。1980年代半ば、中国政府がタイ経由でカンボジアのポル・ポト政権を支援していたことは公然の秘密であったが、タイ側でカンボジアとの国境一帯を管轄していたのが陸軍参謀長当時の同元首相だったといわれている。いわば公然の秘密の片棒を担いでいた、ということになる。
また、マラヤ共産党(馬共)を率いて長年反政府ゲリラ活動を進めて来た陳平書記長(1924年~2013年)とマレーシア政府は1989年に停戦合意に踏み切ったが、この交渉の黒子役を務めたのが、陸軍司令官当時のチャワリット元首相であった。ポル・ポトといい、陳平といい、共に中国政府との強い結びつきを権力基盤とすると同時に、中国政府もまた彼らをテコに東南アジアに影響力を発揮していたことを考えれば、チャワリット元首相が中国政府に太いパイプを持っていたと考えることは自然だろう。同元首相は中国政府にとっては「井戸を掘った人」なのだ。
このように、チャワリット元首相と中国政府との関係を振り返って見れば、クラ地峡運河研究・投資検討委員会の背後に中国政府の動きを感じ取ることは可能であろうし、また一連の動きに一定の現実味を添えたとしてもあながち不思議ではないだろう。
中タイ両政府とも強く否定
ところが5月末、チャワリット元首相は自宅で記者会見を開き、(1)報じられた写真は確かに広州で写されたものだが、4月10日の撮影であり、当日は中国側の多くの企業家とクラ地峡運河建設について話し合っただけであり、調印してはいない(2)調印式典当日とされる5月15日は83歳の誕生日で、タイ国内で家族や友人と誕生パーティーを開いており、広州滞在は不可能だ――と説明した後、「真相を究明する。極めて微妙な問題であり、このままでは将来のタイ中関係を毀損しかねないからだ」と語っていた。
その後、中国政府は洪磊報道官を通じて「この問題に中国政府は一切関与していない」と公式見解を発表する一方、在タイ中国大使館は「タイ側を通じて事実を究明したが、今回の調印は純然たる民間業者によって行われたものであり、この計画の可能性を検討したに過ぎない」との声明を明らかにした。またプラユット首相もタイのメディアに対し、「全くありえないし、現に存在もしていない」とクラ地峡運河建設計画を完全に否定したのである。
だが、両国政府関係者が否定すればするほどに、一方では「強く否定せざるをえない背景には、この計画が両国政府にとっての最高国家機密に関する極秘プロジェクトだからだ」といった“推測”が、中国国内のみならず東南アジア一帯でまことしやかに流れだした。
かくして10月7日のプラウィット副首相兼国防相(陸軍大将)による発言となるわけだが、余りにも唐突であるだけに、やはり額面通りには受け取れそうにない。はたして高速鉄道の次はクラ地峡運河建設となるのか。
日本は基本設計図を持っている?
この問題が中国、台湾、タイ、カンボジア、マレーシアを巻き込んでいるだけに、なにやら「一帯一路」やAIIB(アジアインフラ投資銀行)がもたらす“副次的効果”とも思える。いや習近平政権が「一帯一路」の実現を推進するなら、その過程で避けては通れない東南アジア最大級のインフラ建設となるだけでなく、南シナ海問題、さらにはアンダマン海に続くインド洋とリンクさせるなら、世界的な安全保障・海運通商問題として浮上してくることは間違いないだろう。
いまやクラ地峡運河建設は、かつての「M資金」を思わせるような魑魅魍魎が蠢く荒唐無稽な夢物語ではなくなりつつあるのだ。タイ首相の私的顧問を務めた経験を持つある日本人が、「日本側は一帯の詳細な地形・構造調査図と共に運河の基本設計図を持っているはずだ」と語ってくれたことがある。であればこそ、日本側はこの問題に対応する態勢を早期に整えるべきだろう。
タイから伝えられるところでは、中タイ国交正常化40周年記念式典に参加のため訪中したドーン外相は10月9日、李克強首相、王毅外相と相次いで会談し、高速鉄道建設に関し今年度内の着工を確認したとのことだ。
インドネシでの高速鉄道受注失敗といい、このまま手を拱いているなら、安倍政権が掲げるインフラ建設輸出のみならず、対中包囲網構想さえもなにやら掛け声倒れに終わりはしないか。(樋泉 克夫)
プラウィット国防相(左)は中国メディアの報道を完全否定したが……(右は中国の常万全国防相)(C)EPA=時事
樋泉克夫
愛知大学教授。1947年生れ。香港中文大学新亜研究所、中央大学大学院博士課程を経て、外務省専門調査員として在タイ日本大使館勤務(83―85年、88―92年)。98年から愛知県立大学教授を務め、2011年より現職。『「死体」が語る中国文化』(新潮選書)のほか、華僑・華人論、京劇史に関する著書・論文多数。
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