韓国、歴史教科書の「国定化」復活を決定 「青少年に正しい国家観」求める背景は

日本政府と歴史観で対立する局面が増えた韓国政府が、一見、時代に逆行するようにもみえる国定教科書を、なぜ復活させるのか。その国内事情をまとめた。
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Korean President Park Geun-hye addresses the 70th session of the United Nations General Assembly at U.N. headquarters, Monday, Sept. 28, 2015. (AP Photo/Mary Altaffer)
ASSOCIATED PRESS

韓国政府は10月12日、中学・高校の歴史教科書を、複数の教科書会社が発行する検定制から、国家が単一の教科書を編集・発行する「国定制」に戻すと発表した。2017年度の新入生から使われる計画だ。

聯合ニュースによると、黄祐呂(ファンウヨ)・副総理兼教育部長官は「理念の偏向を払拭し、青少年に正しい国家観とバランスの取れた歴史認識を育てられるよう、憲法の精神と客観的事実に即した教科書をつくる。出版社の教科書の執筆陣が書いたものを部分的に直すだけでは、問題の根本的解決にはならない」と説明した。

韓国の歴史教科書は、軍事独裁政権だった1974年に国定教科書に一本化されたが、民主化を経て2011年までに段階的に廃止されている。1科目とはいえ、国定単一の教科書以外を認めない制度は、世界的にも北朝鮮やバングラデシュなどごく一部にとどまるとの調査結果も韓国で発表され、教育界を中心に激しい反対運動を巻き起こしてきた。

日本政府と歴史観で対立する局面が増えた韓国政府が、一見、時代に逆行するようにもみえる国定教科書を、なぜ復活させるのか。その国内事情をまとめた。

■左右対立が巻き起こした歴史教育論争

韓国内で歴史観が大きく対立するのは、大きく次の点だ。

・1910~1945年の日本の植民地支配を、日本による抑圧と収奪と否定的にみるか、朝鮮半島の近代化に一定の貢献があったとみるか

・主に1945年の解放以降、韓国(南朝鮮)で起きた反政府暴動を、民衆運動と肯定的にみるか、北朝鮮の指示を受けた左翼テロと否定的にみるか

・1960~70年代の朴正熙政権を、民主主義を弾圧した独裁者と否定的にみるか、経済発展の立役者と肯定的にみるか

韓国では、進歩派(革新)は前者、保守派は後者の見方を取る場合が多いが、歴史学、教育学界では進歩派が優勢だ。現政権は、今の教育現場で使われている歴史教科書が「反米的で北朝鮮に甘い」と批判してきた。

2014年には、「ニューライト」と呼ばれる韓国内で保守的な学者らのグループが中心となって編集した「教学社」の歴史教科書が初めて検定に合格したが、教師らは「日本の植民地支配や、軍事政権の独裁を美化している」と猛反発し、大規模な採択反対運動が繰り広げられた。採択した学校が1校にとどまったことで、与党は「国定化」指向を強めることになった。

■朴槿恵大統領が目指す、父の「名誉回復」

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朴正熙大統領と、娘の朴槿恵氏。1977年撮影。

韓国で歴史教科書を最初に「国定化」したのは、朴槿恵大統領の父、朴正熙(パクチョンヒ)大統領だ。クーデターを経て1963年に大統領に就任した朴正熙氏は1972年、電撃的に憲法を改正し、直接選挙だった大統領を間接選挙に改め、国会解散権やすべての法令に優先する「大統領緊急措置」を定めるなど、独裁的な権限を強めた。1974年、中学・高校用で計11種類あった歴史教科書は、中高各1種類の国定教科書に再編された。

背景にあったのは、現代史をめぐる論争、とりわけ朴正熙政権が、軍事クーデターによる政権奪取や、元日本軍人だったことなど、政権の正統性が常に疑問視されていたからだった。朴正熙政権期の国定教科書では、軍事クーデターは「革命」と書かれるなど、政権を正当化するために使われた。1979年に朴正熙大統領が暗殺された後、再び軍事クーデターで政権を握った全斗煥政権も、歴史教科書を自画自賛の道具として利用した。

2013年に就任した朴槿恵大統領は、就任直後から「正しい歴史観」「バランスの取れた歴史教育」を強調し、教科書の国定化に意欲を見せてきた。その背景には、2017年の朴正熙氏の生誕100年までに、教科書を通じて父親の「名誉回復」をしたいという執念があると、韓国紙「ハンギョレ」は指摘している。