「従北」と「親日」 魔女狩りが横行する、病める韓国社会

2015年の解放70年は相変わらず、南北分断と理念対立のはざまに陥っていて、日韓国交正常化50年は前例のない冷却局面だ。
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1960年10月12日白昼、日本の野党第1党の党首が演説の途中にナイフで刺され死亡した。犯人は17歳の少年、山口二矢だった。当時の日本は左右のイデオロギー対立が激しく、高校中退後、右翼団体に入って「左翼打倒」に燃えていた山口は日本社会党の浅沼稲次郎委員長を標的にした。東京のど真ん中で開催された与野党党首の合同演説会に出席した山口は、浅沼の演説が始まると、舞台へ跳び上がり、持っていたナイフで浅沼を刺して殺害した。

山口二矢は捜査の過程で「左翼指導者を倒せば左翼勢力をすぐ阻止できるとは考えないが、彼らが現在までやってきた罪悪は許すことはできないし、1人を倒すことで、今後左翼指導者の行動が制限され、扇動者の甘言に付和雷同している一般の国民が、1人でも多く覚醒してくれればよいと思った」と犯行の動機を明らかにした。恐怖心を助長して人々の言動を萎縮させるという、テロ行為の典型的な目的だ。

筆者がこの事件を思い出したのは、2014年12月、「北朝鮮を称賛している」と一部で批判されている在米韓国人女性シン・ウンミ氏のトークコンサートで、18歳の高校3年生の男子生徒が手製の爆発物を投げつけたというニュースがあったからだ。もちろん山口二矢のような本格的なテロではないが、多くの類似点があることも事実だ。自身と考えが違うという理由で、不当な圧力や暴力で威圧しようとする風潮が韓国社会に広がっているのではないかと、年末はずっと心穏やかでなかった。

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2013年に文化体育観光部(日本の文部科学省に相当)が「優秀文学図書」に選んだシン・ウンミ氏の本「在米韓国人のおばさん、北朝鮮に行く」も、トークコンサートの事件を契機に問題視された。「従北」(北朝鮮に賛同、追従すること)と物議を醸した人物の本がなぜ優秀図書になったのかと批判が高まり、ついに首相が12月30日の閣議で、選定手続きを見直すよう指示した。

同じようなことはまだある。朴裕河(パク・ユハ)世宗大教授の著書「帝国の慰安婦」が、日本に偏った視点で元慰安婦の名誉を毀損したという理由で、元慰安婦の女性らが2014年6月16日に販売禁止を求めて訴訟を起こした。これをきっかけに、朴教授の別の本「和解のために」が2006年度の優秀教養図書」に選ばれたことへの批判も起きた。問題が大きくなり、文化体育観光部は7月22日、本の内容と選定の経緯を調査し、問題点が確認されれば、選定取り消しなどの必要な措置を取ると発表した。

朴教授の「和解のために」は、教科書、慰安婦、靖国、独島(竹島)の4つの問題を扱った本だ。「まっとうな批判は、相手への深い理解を必要とするが、私たちの批判の多くはそうした理解が欠けている」いうのが彼女の見方だ。そして韓国内部の硬直した先入観を鋭く突いてあらわにしたため、不快に思った読者からは「親日」という批判を呼び起こした。

筆者は、朴教授の考えに同意しない部分もあるが、その発想と問題提起は高く評価する。だから大学の授業では毎学期、学生にこの本の感想文を提出させている。世の中には自分と異なる考えも存在することを理解し、その考え方を理解しようと努力する柔軟な姿勢が必要だと信じるからだ。

しかし、韓国社会にはこのような柔軟な発想を妨げる二つのキーワードがある。「従北叩き」と「親日叩き」だ。健全な批判と魔女狩り式の批判は明白に違うとはいえ、それが区別されないのは問題だ。あえて物理的な暴力を動員しなくても、マスコミとインターネット、ソーシャルメディアを活用して従北と親日の枠のレッテルを貼り、緋文字の烙印を押せばいくらでも他人の考えと行動を萎縮させられる。さらに与野党を問わず、従北と親日のレッテルを政争の便利な道具に利用しているのも深刻な問題だ。

2015年の解放70年は相変わらず、南北分断と理念対立のはざまに陥っていて、日韓国交正常化50年は前例のない冷却局面だ。外交は相手の立場で考えてみることが必須だが、柔軟な思考と自由な主張が萎縮する環境では、今年の展望も暗いと言わざるを得ない。

この記事はハフポスト韓国版に掲載されたものを翻訳しました。