韓国の市民には冷静さもパワーもある。じゃあ、私たちは?――日本人学生が体感した8月15日のソウル

69回目の8月15日となった先日、わたしは他3人の学生とともに、近年この日に合わせて日本大使館前で行なわれているという、反日デモの様子を取材しに行きました。
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8月15日の午後12時。わたしは韓国・ソウル旧市街地の中心にあり、かつて日本軍の占領に対抗する独立運動が興ったタプコル公園に響き渡るラッパの音を聞きました。

戦死者を悼む会に集った100人あまりの人びとは、その高らかな音色に合わせて、目を閉じ、顔をうつむけ、黙祷しました。参列者には、日に焼けた顔に深い皺が刻まれた高齢の男性が多い中、ボランティアスタッフとして働いている若い女子高校生もちらほら。

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タプコル公園で黙祷する人びと

黙祷が終わると、一同顔を上げ、中央のステージを見つめました。壇上に立つ主催者から一言二言あったのち、再びラッパの音が鳴り渡り、二度目の黙祷がなされました。

伝統的にアメリカ軍の葬儀で使われる24音から成るメロディに合わせた二度目の祈りは、果たして誰のためだったのか。南北に分断された朝鮮半島の人びと、それぞれの冥福を祈るものだったのか----。ことばが分からないわたしには、胸に手を当て祈る人びとの願いに、思いを馳せるほかありませんでした。

■「光復節」、反日の風景を探して

日本にとって終戦記念日である8月15日は、韓国にとっては、日本の第二次世界大戦敗戦によって占領から解放された独立記念日です。「光復節」と呼ばれ、国民の祝日とされています。

69回目の8月15日となった先日、わたしは他3人の学生とともに、近年この日に合わせて日本大使館前で行なわれているという、反日デモの様子を取材しに行きました。

反日デモといえば、日本国旗を燃やしたり、首相の顔写真を踏みつけたりと、かなり過激なイメージがありました。韓国語もできず、取材経験もない自分のような学生が現場に行って、果たして取材はできるのか、正直不安がありました。

しかし、いざ現場に着いてみると、デモ隊らしきものは一切見当たりませんでした。大使館前には、時折通る通行人の他には、私たちと同じように、反日デモの様子を押さえてやろうと待ち構える報道陣と、眠そうな目をした警察官たちがぼーっと立っているだけ。鳥のさえずりが聞こえてきそうなほど穏やかな時間が流れており、すっかり拍子抜けしてしまいました。

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8月15日の駐韓国日本大使館前

結局この日は最後まで、日本大使館前で大々的な反日デモが行なわれることはありませんでした。

■日陰にひっそりとたたずむ日本大使館

それもそのはず、日本大使館の裏にはセジョン大路と呼ばれる大通りがあり、翌日に予定されていたローマ法王によるミサの会場設営が急ピッチで進められていました。さらに、周辺ではセウォル号沈没事故における大統領の責任追及を求めるデモが行なわれていました。

セジョン大路とは、かつて朝鮮王朝の王宮であった景福宮に通じる大通りであり、中央の石畳の広場には、かつて豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に活躍した李舜臣の銅像がそびえ、両脇には、韓国の歴史を伝える歴史博物館と、朴槿恵大統領の演説会場にもなった文化会館が建っています。

さらに、サムスンや東亜日報など、韓国を代表する大企業のオフィスが入った高層ビルも立ち並び、はるか彼方には勇壮な北岳山の尾根が臨めます。韓国の歴史、文化、政治、経済、そして自然のすべてが、一堂に集結している場所なのです。

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セジョン大路

さんさんと陽があたり、法王やセウォル号をめぐる催しが繰り広げられているセジョン大路に対して、その裏道、日陰の中にぽつんとたたずむ日本大使館の姿は、あまりに対照的で、まさに韓国人の関心が今どこにあるのか、暗喩しているようにすら感じられました。

■黄色いリボンをつけて闘う市民たち

一方8月15日のソウルでは、反日デモこそなかったものの、市内各地で労働組合の座り込みやセウォル号沈没事故をめぐるデモが行われていました。

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ソウル市庁前のセウォル号沈没事故をめぐるデモに集う人びと

中でも、ソウル市庁前の広場には数万人が集い、市内を大行進しました。被害者を悼む象徴の黄色いリボンを胸につけた人びとが、一斉に拳を振り上げ、旗を振りながら街を練り歩く姿からは、韓国においてセウォル号の事故がまだ終わってはいないこと、市民が怒りと哀しみを抱えたままでいることが痛いほど感じられました。

韓国に留学している友人によると、事故発生当時、ソウルは街そのものが死んでしまったかのように活気がなくなっていたそうです。しかし今回は、打って変わって街が通りにあふれ出し、起きてしまった悲劇を乗り越えていこうと、闘う人びとの力強さに満ちていました。

■韓国人学生の政治関心の高さに驚き

翌日の8月16日に行なわれた学生同士の座談会でも、韓国人の若者たちの日韓関係に対する関心度の高さに驚きました。

「慰安婦問題についてどう思う?」「日韓関係をよくしていくためには何が必要でしょうか?」こうした日韓関係にまつわる複雑な事情をはらんだ質問に対しても、参加してくれた3人の学生たちはほとんど淀みなく答え、悩み込んだり、曖昧なことを言ったり、言葉を濁したりすることはありませんでした。

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左から:座談会に参加してくれたゴノさん、ジェホンさん、ソミョンさん

また、議論の中で詳細な年号に言及したり、日頃からドキュメンタリーなどをみて勉強しているという学生もいたりと、日韓双方の立場について、自ら調べた知識にもとづいて意見を組み立て、考え抜こうとしている様子が伺えました。

もしも日本の友だちに同じような質問をしたら、これほどスムーズに回答できるだろうか? それ以前に自分自身は、こうして率直に自分の意見を語ってくれる彼らに対して、きちんと返すことのできるだけの言葉を持っているだろうか? 思わず考え込んでしまいました。

さらに驚いたのは、3人の冷静さでした。「慰安婦問題について日本のほとんどの若者は、関心も低ければ、知識も少ないことについてどう思うか」と聞いてみたら、いらだちを含んだ答えが返ってくるかと思いきや、「日本政府が慰安婦問題についてああいう方針(注:韓国側から見れば「過去の否定」)をとっているのだから、日本の若い世代がよく知らないのは当然。韓国でもベトナム戦争の時の歴史を教えなかったり、政府が自分たちに都合の悪い歴史を隠そうとすることは、日本だけじゃなくて世界中どこでも起こりうる現象だよ」と、至って冷静な意見が返ってきました。

また、3人とも「政府の方針と国民は分けて考えているし、政府の政策のせいで、自分たちが日本人に対して悪い感情を抱いたりすることは決してない」と断言していました。

日本人一人ひとりにも責任がある

その一方で、「そうは言っても政府を選ぶのは、国民。もしも日本の人々がもっと政治に関心を持って、必要なときに政府を批判することができていたら、日韓関係はよりよい方向に進んでいたかもしれない。そういう意味では、日本人一人ひとりにも責任がある」という発言もありました。

国民一人ひとりが日本の政治に対して責任を持たなければいけない----。これは私も常々考えていることでした。

以前、アメリカ留学中に出会ったリーダーシップ教育を専門としている大学教授は、次のような話をしていました。

「本来リーダーシップとは、困難な状況の中で厳しい決断も進んで行い、解決策を見出していく『行動』のことを指すのです。つまりリーダーシップとは、決してリーダーのみが発揮すべき力でも、リーダーにふさわしい人間が持っている素質でもない。すべての人が必要なときに形に移すことのできる、行動なんです」

そして、「日本人はリーダーシップという概念を理解できていない」と言うのです。つまり、社会のあらゆる問題を政治家や資本家のせいにばかりして、自ら政治に参加し行動を起こすことはできない「弱い市民社会」が形成されてしまっている、と指摘していました。

一方今回の訪問では、韓国の強い市民社会の姿を垣間みることができました。ソウル市庁前で行なわれたセウォル号のデモに集った人びとは、年齢も性別も様々で、目立った共通点は何一つ見つけられなかったほど、本当に色んな人が集まっていました。

座談会でも、韓国人学生の方から「日本でセウォル号と似たような事件が起きたら、政府に対して市民はどういった行動で批判的な態度を示していくと思うか」という質問もありましたが、私にははっきりとした回答はできませんでした。

■否定するためではなく、前進していくために

もちろん今回出会った韓国人の方々の意見に、手放しで同意するわけではありません。

例えば、慰安婦問題の解決方法については、韓国側の全員が「日本政府が誠意ある謝罪をする必要がある」と答えていましたが、では実際にどのような方法であれば誠意ある謝罪として受け取ってもらえるのか、そうした具体的なビジョンを持っている人はいませんでした。

それは、韓国の中でも異なる立場、異なる意見があり、コンセンサスがとれていないことの表れではないでしょうか。恐らく元慰安婦の方々にしても、求める謝罪や解決の方法は、一人一人違うことでしょう。

朝日新聞が慰安婦報道に関する30年以上前の誤報を認めたように、歴史的な事実はきちんと検証していく必要があります。しかしそれは、日韓どちらかの「正しさ」を証明し、相手を否定するためのものではなく、知りうる限りの事実に基づいて慰安婦問題を前に進めていくために、必要なことなのだと思います。

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慰安婦の像の後ろ側。元慰安婦を支援する活動の多くでは蝶がモチーフとされている

また、デモや抗議集会などが韓国人の政治に対する姿勢を全て代表していると考えているわけでもありません。当然こうした活動を中心に担っているのは一部の人であり、むしろこうした市民運動が後々、韓国社会の世論にどう影響を与えていくのかが問われると思います。

■日本は準備ができているのか

タプコル公園のラッパの音色、日陰にたたずむ大使館、そして街にあふれる黄色いリボン----。8月15日の韓国を訪れて、様々な風景を見たのちに感じたことは、わたし自身を含め、日本の若い世代がもっと政治に関心を持ち、様々な形で意見を発信していかなければならない、ということでした。その点、韓国は一歩も二歩も、先に進んでいます。

私たちの上の世代にしても、変わっていかなければならない部分は多いと思います。今回訪問したハフィントンポスト韓国版の権福基・編集長には、「若い世代には希望がある。戦争の責任は自分たちの世代がとるから、日韓の若者たちは未来に向かって歩んでいってほしい」という言葉を頂きました。「過去の複雑な事情は一切引き受けてやるから、前に進んでいけ」そんな風に背中を押してもらったのは、初めてでした。

韓国には、政府に対して強く意見できる市民、日韓関係を冷静に考え議論できる若者たち、そして彼らを温かく見守ってくれる大人がいます。だからこそ、たとえ政府間の関係が冷えきっていても、市民レベルでは日本との対話の糸口を探り、やがては政府を動かしていくだけの力が、韓国の市民社会には備わっているのではないかと感じました。

では、69回目の8月15日を迎えたわたしたち日本人に、果たしてこうした力はあるでしょうか。過去の歴史や硬直した政治状況を乗り越え、相手の意見に真摯に耳を傾けることができるか。そして、それを政治に反映させていくことができるか。日本に暮らすわたしたちが、これからじっくり考えていかなければならない問いだと思います。

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