日韓の嫌悪感が肥大化する理由――韓国の日本大使館前で、8月15日に感じたこと

日本国内にいて初めてこの光景を見る日本人にすれば意外だろう。普段この場所にしばしば足を運んでいる日本人はそう多くないだろうし、そうした人は基本的にはメディアから情報を取り、影響を受ける。
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8月15日午前9時前、在韓日本大使館前。抜けるような青空。

周りの様子と比べながら日本大使館を観察してみると、やはり近代的な高層ビルに囲まれ、古びたレンガ色で、こじんまりと佇む日本大使館は、どことなく所在なさげだった。

大使館前の道路を一本隔てて、日本大使館を見つめるように、日本でも有名な慰安婦像が設置されていた。日本人成人女性平均身長より少し低いくらいの高さだ。

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日本でも有名な在韓日本大使館前の慰安婦像

そして15人弱の警察官が整然と配置されていた。欧米系も含め、マスコミ関係者と見られるグループも数社見られた。

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大使館前に配備された警察官。画で見るほどの物々しさはない

やはり何かものものしい雰囲気かと思いきや、全く逆だった。警察は時折、笑顔を見せたり、警備の合間にタバコを吸いに行ったり、メディアも折を見てカフェにコーヒーを飲みに行ったり、家族連れが多く通行したりといった雰囲気であった。

ここまでは個人的には予想通りだった。なぜなら以前から様々な人から「デモといっても日本人が期待しているほどでもないし、日本人というだけで危ないという訳でもない」と聞いていたからだ。

午後3時位まで断続的に現場を見続けたが、デモもなく、私が見た限りでは慰安婦像で足を止める人々も少なく、せいぜい十数組だった。お祈りをするような人は、さらにわずかで、ほとんどは記念撮影程度だった。

日本国内にいて初めてこの光景を見る日本人にすれば意外だろう。普段この場所にしばしば足を運んでいる日本人はそう多くないだろうし、そうした人は基本的にはメディアから情報を取り、影響を受ける。

もちろんローマ法王の訪韓の影響で、本来なら15日に日本大使館前に集まるはずだったデモ隊などが、前倒し的に前日の14日(慰安婦問題が拡大するきっかけを作った故・金学順氏が、自ら慰安婦であったことを発表した日)や、13日の水曜日(韓国の慰安婦支援団体が、日本大使館前で日本政府に毎週抗議するデモが行われる曜日。通称「水曜デモ」)のデモへ流れたと言うのも事実だろう。あるいは 15日の午後にソウル市庁前で開かれたセウォル号の責任追及と特別法制定を求めるデモに、多くの人が参加していたことも事実だ。

しかし、そうした事情を差し引いても、私たち日本人にとってこの結果は意外には違いない。

韓国人にとって、対日関係の優先順位がそれほど高いわけではないことを実感させる現場だった。しかしよくよく考えてみると、日本人の場合も同様だ。自分自身の中で重要と思うニュースを考えた場合、韓国との問題ではないだろう。日本にとって最も重要なパートナーと思われるアメリカに対してもそうだ。おそらく主要な関心事として、消費税、社会保障、憲法改正など、国内の問題を挙げる日本人がほとんどではないだろうか。それは現在、対外的に差し迫った危機が迫っている状況ではないと考えている人がほとんどだからだが。

では、反日デモは韓国全体のデモ、抗議行動のうち、どれくらいの割合を占めるのか。次に日本関連のデモ・抗議を人々はどう考え、どれほど優先順位が高いのか。

韓国各地を回って改めて実感したことがある。韓国では多くのデモや市民運動が盛んに行われている。そう考えると、反日デモも数多くあるデモのひとつでしかない。相対的に、韓国人にとって日本に対するデモはさほど特別なわけではないのだろう。

街を歩き回った8月15日の翌日、韓国人学生と話し合ったが、あまり日本へのデモについて正確な情報を持っていないようだし、セウォル号のデモやローマ法王の訪韓の方に関心が集まっていたから、日本関連のデモ・抗議への認識はあまり強くないのが現実なようだ。

日韓でこうした認識のギャップを感じる原因が何なのかについて考えてみた。私はメディアが大きな原因になっていると思う。

今回、私は現場でメディアが何を撮るのか注視した。そこで、対象が微々たるものであっても、メディアの切り取り方次第で印象が変わってくることを実感した。

例えば、欧米系のメディアは今回、慰安婦像を訪れた制服姿の二人組の少女を映していた。しかし最初に訪れた家族連れのグループには全く興味を示す様子はなかった。慰安婦像と少女、いかにも慰安婦問題を象徴する映像を熱心に撮っていたのだ。もちろんメディアは見る人へうまくイメージを伝えなければならないから、そうした映像を撮ることは重要だろう。しかし、少女のグループはこの子たちだけ、私が見た十数組のほんの一部だ。

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欧米系のメディアが熱心に撮っていた慰安婦像前の少女たち

最も重要なのは、メディアが伝えることができるのは一部なのだと、情報を受け取る側がしっかり認識する必要があるということだ。情報の受け手は一つの情報だけを自らの情報源とするのではなく複数の情報を掴み、その上で実態がどうであるかを自らの頭で考えていく必要があると私は考えている。今、インターネットで信頼性がない情報が溢れているという事実もあり、それが悪い点ではあるが、逆に言えば、そのインターネットを利用し、信頼できる情報を我々は複数手に入れることができる。例えば、日本の新聞社は主要全国紙のみならず、地方紙もインターネットでニュースを流しているのだ。昔と違い、一紙のみからの情報に依拠するしかない状況ではなくなっている。

そして、個人の推測だが、韓国メディアも事情は同じではないだろうか。ヘイトスピーチなど日本の一部の過激な団体を強調したり、日本の教科書の右傾化が進んでいるという推測をしたりしているのではないか。それによってお互いの嫌悪感が肥大化してしまう。そうしたことを避けるには、相手の立場、認識を自覚した上で議論を行う必要がある。例えば、人間関係でもそうだが、相手の思考回路、生きてきた環境、趣味趣向、などといった背景を掴んでいると、関係がスムーズに進むだろう。国同士も同様だ。そうした相手の背景を知らずして、日韓の関係改善はあり得ない。

今回の8月15日の在韓日本大使館前は、メディアを将来目指す私にとっては責任の重さを感じさせるとともに、様々なことを考えさせてくれる現場、時間だった。

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