韓国南西部の珍島沖で沈没した大型旅客船「セウォル号」の死者は4月23日午前11時半時点で150人、なお152人が行方不明となっている。韓国海洋水産部はAIS(船舶自動識別装置)の分析結果を改めて公開。乗務員の証言などと合わせ、難しい海域で船員の経験の浅さや過積載などが複合的に絡まって転覆したとの見方が強まってきた。
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前日4月15日午後9時、セウォル号は仁川港を出港した。霧のため2時間遅れての出港だった。
聯合ニュースなどによると、翌朝午前7時半から8時ごろまで、船は最高速度の時速39km(約21ノット)で航行する。やがて、潮流が速く波が高いことで有名な事故現場付近の海域にさしかかる。午前8時26分、セウォル号は遅れを取り戻そうと焦ったのか、通常は時速17~18ノットに減速する地点で19ノットを出していた。
午前8時49分、船は45度、右旋回する。その後さらに22度旋回した。
このとき、操舵室にいたのは船長でなく、経験約1年、セウォル号に乗り始めて4カ月の20代の3等航海士だった。船は2時間遅れの出港だったが、勤務表を変更しなかったため、潮流が速いことで知られる海域で、経験の浅い航海士が運航を担うことになった。さらに、その指揮を受けて操舵していた50代の操舵士は、旅客船の航海はこの日が初めてだった。その前は貨物船などで勤務していたという。
旅客船と貨物船ではスクリューの数が違うので操舵感覚も異なる。しかも普段よりスピードが出ていれば、かじの回りも速い。操舵士は韓国メディアの取材に「私のミスもあったが、思ったより舵が早く回った」と話した。
ここに改造と過積載で重心が不安定になっていたセウォル号の構造が追い打ちをかけた。ただでさえバランスを崩しやすい船が、過積載の積み荷が崩れ、旋回方向と反対側の左側に大きく傾いたとみられる。
聯合ニュースによると、セウォル号は1994年に日本で建造された。日本国内で2回改造され、総トン数が589t増えている。韓国の海運会社が購入後、2012年8月29日から2013年2月6日まで木浦の造船所で、船尾側の4階に客室の増設、船首のランプ除去などの工事がされ、1月下旬に施工後検査がなされた。
増設後、総トン数は6586tから6825tと、さらに239t増えた。これによって重心は51cm高くなった。804人だった定員も921人に増えた。施工後検査では復元力維持のため、貨物積載量を2437tから987tに減らすよう指摘されたが、沈没事故の日は3倍以上に当たる3608tを積んでいた。
元港湾当局者は聯合ニュースに対し「増設で重心が上がったのに、3倍以上の過積載で急旋回したから転覆したのではないか」と指摘している。
これまでの報道では、午前8時52分、セウォル号はさらに右旋回し、スピードを落として元から来た方向に4350m進み、午前10時12分に信号が途絶えている。海洋水産部は、この時点ですでにセウォル号が動力を失い、漂流していたとみている。
■なぜ乗客数、不明者数が変わるのか?
韓国政府が発表する総乗船者数も、事故直後の4月16日は477人だったのが、459→462→475→476と増減している。
これは、乗船名簿に書かれていない乗船者が多いからだという。
聯合ニュースによると、韓国の海運業界は、トラックの場合、運転手以外に同乗者の無賃乗船を慣例的に認めている。船会社の職員が運賃を払わずに乗る場合もあり、船会社が作成した乗船名簿にない死者や生存者が次々に出ている。
また、霧のため仁川出港が2時間遅れ、実際には乗らなかった乗客もいるという。
救助者数は上回る混乱ぶりだった。4月16日午後1時半現在で「368人」としていた救助者数は、1時間後に「集計ミス」として撤回、行方不明者を290人以上と発表しなおした。それでも会見した対策本部関係者は「民間の漁船に救助されて移動中の人もいるのではないか」とみていた。
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