流行語「オデムン」に込められた意味

「どうしてラジオをつけないんですか?」と尋ねる。運転手が言った。「結果はわかっているから。おでん君」。

1.5月9日に聞いた「おでん君」

5月9日深夜。

投票が終わり、テレビでは韓国各地の開票結果が続々と発表されていた。

私たち「市内チーム」は、そんな開票を見守るソウル市民に取材すべくソウル駅へ向かった。画面の向こうの熱狂とは対照的に、ソウルの街はやけに静かだ。

いつものようにタクシーに乗りこむ。

普段は必ずかかっていたラジオが切られていた。ラジオをつければ開票がリアルタイムでわかるはずだ。「どうしてラジオをつけないんですか?」と尋ねる。運転手が言った。

「結果はわかっているから。おでん君」。

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おでん君?どうしていきなりおでん君が出てくる?私がおでん君に似ていたのだろうか。そういえば、おでんは韓国の食べ物らしい。もしかして韓国でもおでん君は有名だったりするのだろうか。

ボケにはボケをと思い、「おでん君?俺はガン黒たまごちゃんが好きやで」と答えると、ガチトーンの「は?」をいただいた。どうやらおでん君ではないらしい。

通訳の女性によると、おでん君ではなく「オデムン」という言葉だという。

「オチャピ、テトンリョンウン、ムンジェイン(どうせ大統領はムンジェイン)」の頭文字をとった言葉だそうだ。

今回の選挙の圧倒的なムンジェイン人気を皮肉って、この言葉が韓国中で流行っているらしい。

この夜も、何回もこの言葉を聞くことになる。

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ソウル駅前でタクシーを降りる。

人はまばらである。駅の中に入ると、開票を見守る市民たちがテレビ画面に張り付いていた。

大勢の市民が集まっているのではと期待していたが、集まっていた人は10人程度。普段とさして変わらないようだ。

テレビを見守るおじさんに話を聞いてみた。ムンジェインの対抗馬である、保守系のホンジュンピョを応援しているようだった。そのおじさんも諦めるように言った。「オデムン」。

2.青に染まった光化門

「市内チーム」がそんな「おでん君事件」に振り回されていたのと同じころ、私たち「光化門チーム」はソウルの中心地、光化門広場に来ていた。

静かなソウル市内とは対照的に、広場はお祭りムードだった。

各テレビ局が設置した巨大なスクリーンに、空に向かって伸びる何本もの強力なスポットライト。そして大音量のBGM。道端には食べ物やグッズを売る屋台がいくつも並んでいた。

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私たちも各テレビ局のスクリーンの中で、一番大きそうなもののところへ向かう。

開票が始まる30分前には現場についたのだが、すでにスクリーンの前は大勢の市民で埋め尽くされていた。できる限り前の方へ進み、場所を確保する。集まった人々はみな真剣に画面を見つめていた。

興味深かったのは、会場に着いたその時からすでに会場がムンジェインの勝利ムードだったことだ。

売られているグッズは、すべてムンジェインのテーマカラーの青色。ムンジェインの勝った地域がスクリーンに表示されるたび、大きな拍手と歓声が起こった。他の候補者の支持者もぽつぽつとはいたが、ムンジェインが勝った地域が表示されても、特に残念そうなそぶりは見えない。

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一方で、ムンジェインと対立する保守系のホンジュンピョが勝った地域が表示されると、あちこちから「えー」と残念そうな声が上がった。その「えー」は、ブーイングというよりも、ホンジュンピョに投票する人への驚きやあきれのようなニュアンスにも聞こえた。

そして開票も半ば、22時半を過ぎたころに韓国メディアがムンジェインの当選確実を発表し始めた。湧き上がる観客。すぐ後ろにいた人々かムンジェインコールを始める。

しかし実をいうと、この時私は当選確実が出たことに気が付かなかった。確かにさっきまでよりは盛り上がっていたが、当選確実ならもっと派手に盛り上がるだろうと思っていた。

言ってしまえば、ムンジェインの当選確実は思ったより盛り上がらなかったのである。今思えばこの現象も、みんなが「オデムン」だと思っていたからかもしれない。

3.シムさんは大統領にはなれないが...

そんな「オデムン」を前提としたうえで、それでもほかの候補に投票する人もいた。

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取材に同行してくれたダランジさんの母親は、若者を中心に人気を集めたシムサンジョンに投票した。

しかし彼女の一票は、シムサンジョンが大統領になれると思っての一票ではないという。シムサンジョンとムンジェインはともに革新系で、政治的な立ち位置は近い。次の大統領がムンジェインになることを見越して、ムンジェイン政権でのシムサンジョンとその政党の発言力を高めるために投票したそうだ。

4.「想定された大統領」

韓国の歴代の大統領選挙は、終盤で候補者が一本化するなど数々のドラマが起こってきた。2012年の大統領選挙でも、投票の3日前になってムンジェインがアンチョルスと候補者を一本化。パククネに3ポイント差まで迫る激戦を繰り広げた。

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しかし、今回は世論調査から一貫してムンジェインがトップを独走。得票数は41.08%と、2位の保守系のホンジュンピョから17.05ポイントもの大差をつけて圧勝した。「vsムンジェイン」のための候補者一本化も模索されたようだったが失敗。ムンジェインはこれまでにないほど、「想定された大統領」だった。

5.選挙が終わって一夜、二夜...

その翌日、5月10日。

ソウルは日常の静けさを取り戻しつつあった。

選挙前まであれほどうるさかった選挙カーも、交差点ごとにかかっている横断幕も姿を消した。8日間のうちに私たちがすっかり慣れ親しんだ「選挙ソングの響き渡るソウル」は影を潜め、私たちは少し寂しく感じた。

どこかでムンジェイン反対デモが起きていたりしないか、と思って保守派のデモ拠点であるソウル市庁を覗くが、そのような様子もない。「私はムンジェインを大統領と認めない」というような人も少ないのか、その後も大規模なムンジェイン反対デモのようなものを眼にすることはなかった。

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光化門広場のステージもすでに翌日には撤去されていた。広場は静まり返り、つい24時間前に大勢の人が集まって騒いでいたとはにわかに信じられない。

その場にいた若い女性に話を聞いてみた。中道のアンチョルス候補に投票したという彼女。「ムンジェイン大統領は市民のためにベストな大統領になるでしょう、いやそうなるべきね」と笑った。その表情は明るかった。

そのまま2日間、さらに取材を重ねたが、選挙運動が終わったことを除けば、選挙前と比べて劇的な変化は感じなかった。ムンジェイン大統領の誕生に、韓国社会が揺れ動いている気配はなかった。

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選挙が終わって2週間が過ぎた。

調査機関「韓国ギャラップ」のアンケート(16~18日に成人1008人に実施)によると、ムンジェイン新大統領の19日時点の支持率は87%。パククネやその前のイミョンパクの大統領就任2週目よりも高い数値である。自分を保守だと答えた人も76%が今はムンジェインを支持しているそうだ。

「オデムン」(どうせ大統領はムンジェイン)。

今思うとあの流行語は、「ムンジェイン新大統領が大統領になるのは止めようがない」という諦めと、「ムンジェインならうまくやってくれるだろう」という期待が入り混じった言葉だったのかもしれない。