官房長官や自民党幹事長を歴任した元衆議院議員、加藤紘一氏が9月9日、肺炎のため死去した。77歳だった。朝日新聞デジタルなどが報じた。
1939年生まれ。72年に父加藤精三の地盤を受け継ぎ、旧山形2区で衆議院議員に初当選。84年の中曽根康弘内閣で初入閣し、防衛庁長官に就任した。91年には最大勢力だった竹下派(経世会)に対抗する政治勢力を結集するため、山崎拓氏、小泉純一郎氏と共に「YKK」と呼ばれる同盟関係を築いた。
宮澤喜一内閣で内閣官房長官、1995年の橋本龍太郎首相の下で自民党幹事長を歴任し、「政界のプリンス」の異名をとった。98年には宮澤元首相から派閥「宏池会」を引き継いで加藤派の会長となり、首相候補の筆頭格だった。
しかし、2000年11月に森喜朗内閣の倒閣を目指して不信任決議案に賛成しようとしたいわゆる「加藤の乱」は、同調者が広がらず失敗に終わり、加藤派は分裂し、影響力を急速に失った。02年には元事務所代表の脱税事件をめぐり議員辞職。翌年に国政復帰したが、2012年の衆院選で落選し、政界引退した。
2000年11月20日、「加藤の乱」が失敗に終わり、山崎拓氏と2人で森内閣不信任案に賛成票を投じると表明した宏池会の会合で、谷垣禎一氏ら派閥の仲間から慰留される加藤紘一氏。谷垣氏は「加藤先生、あなたは大将なんだから」と、涙ながらに説得した。
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