声明、ゴスペル、スーフィー音楽......世界の宗教音楽から考える、日本の文化とは何か

「声明ではユニゾンで音を重ねると、やはり普通の曲をみんなで合唱するのとはまた別のチカラを感じるんです」

【対談】ピーター・バラカン × 僧侶・友光雅臣

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宗教音楽を、ライブ会場で聴いたことはありますか?

あまりなじみがないかもしれませんが、音楽は古代、人々が「人智を超える大いなるもの」に祈りを捧げた表現のなかから生まれ発展したともいわれています。

日本の宗教音楽といえば、仏教の声明、神道の雅楽などがあげられますが、冠婚葬祭などで何気なく聴く機会はあっても、音楽としてじっくり耳を傾けたことのある人は、案外少ないかもしれません。

「声明」とは、お経を旋律にのせて表現する、日本に1200年以上受け継がれてきた祈りの歌。日本の伝統文化を紹介する寺社フェス【向源】でも、独特のリズムをきざむ木剣加持・大迫力の法楽太鼓・音をイメージしたお香の演出とともに奉納される声明公演は、人気プログラムのひとつです。

桜が花盛りをむかえた4月の初め、ブロードキャスターのピーター・バラカンさんを寺にお招きしたのは、寺社フェス【向源】を率いる若き僧侶、友光雅臣(熊野山父母報恩院 常行寺・副住職)。バラカンさんは、今年の向源・声明公演の特別ゲストとして、「世界の宗教音楽」を選曲するDJトークをおこないます。

ブロードキャスターのバラカンさんと、お坊さんの友光さん。

話題は音楽だけにとどまることなく、信仰・文化・和のこころにいたるまで。

日本を奥深く語りあう時間ともなった、お二人の対談をお届けします。

◆世界の宗教音楽事情 圧巻のライブ

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友光さん: バラカンさんは本当に幅広く音楽を聴いていらっしゃると思うんですが、宗教的な音楽の中で印象的だったものはありますか?

バラカンさん: 僕が普段聞いている音楽はどちらかというとブラックミュージック、あるいはそれから派生したものが多いんですけど、ライブが一番盛り上がるのはゴスペルですね。

教会で歌われるゴスペルミュージックっていうのは、説教する牧師と信者のコール&レスポンス、呼応式で進んでいく。ライブコンサートもそういった形で進んでいくんです。

日本のお客さんは大人しいから、始めは丁寧に拍手している程度。だけど、お客さんがちょっと熱を返すと、歌い手たちはその倍の熱で返してくる。相乗効果でだんだん凄いことになっていくんですよね。

友光さん: 歌い手側とオーディエンスが呼応しあいながら、神さまに向けて歌う感じなんでしょうか? 共に向かう、みたいな。

バラカンさん: そうですね。どちらも両方、神に向かっている意識はあると思います。歌っている人も観客も、必ずしもクリスチャンとは限らないと思うんですけどね。ゴスペルの曲をやると、会場全体のエネルギーがものすごく盛り上がる。初めてゴスペルコンサートに行ったときは、本当に驚きました。

友光さん: 声明にはコール&レスポンスのようなものはないのでゴスペルの盛り上がりとは違うんですが、ユニゾンで音を重ねると、やはり普通の曲をみんなで合唱するのとはまた別のチカラを感じるんです。

声明は仏教やお釈迦さまの教えを歌うので、自分が普段日常を生きるうえで思ったり感じたりしていることよりメッセージの内容もスケールが大きい。もちろん街にもメッセージ性のある音楽はたくさんありますけど、それらでは歌い切らない範囲というか、もっと俯瞰した視野の広さがあるんですよね。

ゴスペルの他にも印象的だったライブはありますか?

バラカンさん: パキスタンの大歌手ヌスラト・ファテー・アリー・ハーン*(1)のコンサートも印象的でしたよ。25年くらい前だったかな、東京で観ました。本人を囲む形で手拍子をとりながら一緒にコーラスを歌う数人がいる。

伴奏といえば、空気を送って音を鳴らす「ハルモニウム」という素朴な鍵盤楽器くらい。そんなに難しくないフレーズの繰り返しなんだけど、途中から即興になる。これがもう凄まじいんです。

友光さん: 僕も似たような形式で演奏されるものをインドで聴いたことがあります。宗教的にはたぶん違うものですけど、形はほぼ近いような気がします。手で繰り出すリズムとハルモニウムとで演奏するんですけど、やはり途中から即興になるんです。そこからはある意味カオスなんですけど、すごく規則性も感じたりして。

バラカンさん:  ヌスラトはイスラム教スーフィーの音楽だけど、地理的に近いインドなら形が似ているものはおそらくあると思います。イスラム教のなかには一切音楽の表現を許さない原理主義的な宗派もありますが、神秘派のスーフィーの音楽は、即興に入るとジャズも真っ青で。

あれほど音楽で興奮することもそうそうないっていうくらい、気持ちが高揚しました。なかなか聴ける機会はないと思うから、今回お引き受けした【向源】声明公演の特別プログラムでは、その中の一曲を会場の皆さんにお聴かせしたいと思っています。

*(1)ヌスラト・ファテー・アリー・ハーン(1948年〜1997年)パキスタンの音楽家。イスラム教のスーフィー音楽カッワーリーの歌い手として世界的に有名。

◆日本人の信仰心と和のこころ

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友光さん: バラカンさんのご出身はイギリスでしたよね。ヨーロッパの伝統音楽はどんな感じなんですか?

バラカンさん: バッハくらいまでの時代はすべて宗教音楽といっても過言ではないですよね。僕がまだボイ・ソプラノだったころ、バッハの「マタイの受難曲」とか、あのあたりの曲を合唱団の一員として歌ったことがあるんです。あれも素晴らしい経験でしたよ。

友光さん:  日本では、学校の合唱の時間に声明の曲を歌うことはほとんどないんです。イギリスも家庭によって信仰する宗教は様々だと思うんですが、子どもの合唱団で特定の宗教曲を歌って問題になることはなかったんですか?

バラカンさん: 僕が幼かったころのイギリスは、国全体がキリスト教一色の雰囲気だったからね。それに、子どもたちも特にこれは宗教の音楽なんだという意識を持つというより、歌うこと自体を楽しんでいた。親たちの多くも、同じように楽しんでいたと思います。

それでも歌詞は聖書の言葉だし、キリストの物語の一部を歌うわけだから、全く意識しないということではなかったけれどね。宗教的な音楽を楽しんだり歌ったりしているとき、どれくらいの信仰心を感じるかというのは、人それぞれなのかもしれませんね。

友光さん: 信仰心といえば、僕はもともとお寺に生まれたわけではなくて、とりわけ宗教的な信仰心が強いタイプでもなかったんです。付き合っていた彼女がたまたまお寺の娘で、結婚を決めて、仏教の世界に入りました。

今では仏教をとても大切に思うようになりましたけど、信仰心とは何かとか宗教とは何なのかということは、お坊さんをやっている今でも核心を掴みきれていないところがあるかもしれないと思うことがあるんです。

仏教に出会う前の僕がそうだったように、日本には、自分のことを無宗教だと話す人が多いですよね。でも僕は、日本人に信仰心そのものがないとは思えないんです。

初日の出に柏手を打ったり、富士山や海や川に対して何かを感じたり。お墓参りをしてご先祖さまに想いを寄せたり。自分自身を超える何かや、大いなるものを感じている人は、とても多い。

バラカンさん:  「組織化した宗教」には属していない、ということなんじゃないかと思うんですよ。それは、信仰心の有無とは別の話ですよね。

日本人の思想のベースになった神道には、基本的に組織がない。

でも、山にも木にも石にも神が宿っているという世界観は日本の人々に浸透しているし、わかりやすいし、対立を生まない。生き方のひとつとしては、それで十分OKなんじゃないかと思ったりもします。

友光さん: 仏教が伝来したとき、神道は「他の神様がやってきた」と受け入れてくれたんですよね。大乗仏教も土地の神様を否定はしないから、神仏が習合して一緒にやってくることができた。

もちろん当時、何ひとつ問題が起こらなかったとは言い切れませんが、結果として、自己をちゃんと持ちながらも共存してくることが出来たわけですよね。そのスタンスは、和のこころにも繋がっているというか、今の日本人の精神性にもあらわれているように感じます。

バラカンさん:  日本は今でも、お寺のそばには神社が、神社のそばにはお寺がありますしね。初めて日本にきた他の国の観光客は、どっちがどっちか迷ってしまうかもしれないけれど・・・(笑)。

友光さん: 日本生まれ日本育ちの人からも、「初詣は神社に行けばいいの? お寺に行けばいいの?」なんて聞かれたりもします(笑)。古くから、日本人は神にも仏にも自然に手を合わせてきたんですよね。その曖昧さで、僕はいいと思っているんです。

まったく関連がないのならば、わざわざ神社とお寺を近くに置く必要はなかったと思うし、親和性があるからこそ、そういう形に落ち着いていったんだと思うんです。

◆来日して40年 変わり行くものと守るべきもの

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バラカンさん: 日本の学校では、宗教を教えることはあまりないですよね。道徳観というとちょっと語弊があるかもしれないんだけど、何か行動しようとするとき、それが自分や社会にとって良い方向につながるかそうでないか、判断する尺度をどこに持つのかというのは大切な話です。

善悪の感覚っていうのは生きて行くうえですごく重要なものだし、宗教であってもそうでなくても、なんらかの尺度を持つことは大事なことだと思うんですよね。

友光: 自分の感覚や感情とはまた違うところに、もうひとつ別の客観的な物差しを持っておくということですか?

バラカン: そう。僕が来日したのはもう40年以上も前のことだけど、そのころの日本は儒教的な考えを持った人が驚くほど多かったんですよ。英語だとコンフューシャニズム(Confucianism)というんですけどね。

たとえば親孝行だとか、目上の人を敬うだとか、弱いものを助けようとか。そういう発言をする人も多くいて、日本人もそういう感覚が強いんだなって感じることがよくあったんです。

ところが、そうこうしているうちに、そういう話は以前より聞かなくなっちゃった。最近の若い人たちにもそういう感覚が伝わって来ているかどうか、疑問に感じることがあります。

友光さん:  情報の流れかたが大きく変わったことも関係しているかもしれませんよね。この10〜20年で他国の情報がよりリアルタイムに届くようになって、地球全体の価値観が均一化してきているんじゃないかと感じることすらあります。

同じスターを応援したり、同じドラマや映画を見たり。日常が似たものになっていくと、価値観も少しずつ均一化していくのかもしれないなぁと。

バラカンさん:   確かに、日本も外国からの影響を受け続けて西洋化もしているわけだから、人々の感覚は少しずつ変わってきていると思います。

ただね、他国の情報や映画やドラマに接して、見聞きした文化を何となく取り入れたような感じはするかもしれないけれど、日本の文化って本当はそこにはないわけですよね。

今はもしかしたら過渡期なのかもしれませんが、おそらくこういうものって100年とかそういう単位で変わっていくものだし、自分の生まれ育った国が昔から持っているものを再評価する価値は、大いにあると思うんです。

愛国心を育てようとかそういうこととは別の話でね、日本が大切に伝えてきたものの中で、何が魅力的で、どんな所がユニークなのか、もっと面白く考えられるきっかけが必要なのかもしれない。そういう意味では、今回の声明公演なんかもひとつのきっかけになるかもしれないよね。

◆人間のすることはすべて文化。その中で再発見する価値

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友光さん:  そうありたいですね。向源は「仏教・神道・日本文化」この3つを体験できるフェスとしていて、皆で楽しむ場を提供するのと同時に、日本を再発見するきっかけも提供していけたらと思っているんです。

ただ、そのなかで、質問されて考えこんじゃうこともあるんですよね。「向源は、宗教フェスなの?文化フェスなの?」と。僕はそこで文化のフェスですと答えているんですけど、「じゃあ仏教や神道は文化なの?」と。

音楽とか絵画とか彫刻とか、多くのアートに言えることだと思うんですけど、個人が楽しむものになるまで、そのルーツは宗教や信仰とものすごく密接なところにあったと思うんですよね。

厳密に切り分けて考える意義ももちろんあるとは思うんですが、バラカンさんは、そのあたりのことはどう思われますか?

バラカンさん: 僕は、人間がやることはすべて文化だと思っているんですよね。

英語で言うカルチャー(culture)は、形をあらわすだけのものではないんです。たとえば、キノコ。あの集合体っていうんですかね、あれもカルチャーって呼ぶんですよ。形がないところから、集まって、ぐ〜っと伸びて広がっていくようなあれのことをね。

友光さん:  そうなんですか?

バラカンさん:  ヨーグルトのようなものもね、カルチャーと呼ぶんです。菌が集合した、状態のことですよ。僕は、カルチャーをそのようなものだと思っています。

友光さん:  面白いですね。僕は幼いころ、いわゆる日本の伝統文化に触れる機会はあまりなかったんです。仏教や神道にちゃんと触れるようになったのはお坊さんになろうと決めてからだし、生花をしたり書道をするようになったのも、この世界に入ってから。

でもこれが、やってみると深くて本当に面白い。華道、茶道、書道・・・「道」の精神って、ただ単に習い事として上手になりましょうっていうことだけじゃなくて、それが自分の人生に何を語りかけてくれるのか、何を問いかけてくれるのかということに繋がっているんですよね。その深みは、僕にとって感動だったんです。

バラカンさん:  今、いろんな理由で日本が注目されて、急激に観光客の数も増えていますよね。その中にはもちろんアニメなどの新しいポピュラー文化に興味を持ったひとも多数いるとは思うんだけど、でもやはりね、昔からずっと受け継がれてきた、世界のどこにもない日本ならではの文化に興味を持つひとは多いと思う。

そういう人がたくさん増えてくると、今はまだ自分たちの文化の価値を再認識できていない一部の日本の人たちも「ああ、そうか」「この国には、そういう独自の文化があるんだ」って気づくような機会も増えていくかもしれない。

たとえばお寺ひとつとっても、日本建築が本当に素晴らしい。多少手直ししたところがあったとしても、たとえば古くて大きな梁とか柱は残されていたりして、それらが何百年もお寺をずっと崩さずに支えていたりする。そのあたりのこととかもね。足を運べば、気付くことが出来ますよね。

友光さん:  そうですね。実際に足を運んだり、体験したりすることで、今まで意識していなかった身近な何かを再発見することってたくさんあると思います。【向源】でも、伝統文化を多くの人に体験していただいて、日本の面白さを再発見してもらえたら嬉しいですね。

その方法ややり方については、それこそコール&レスポンスのように、楽しみにしてくださる皆さんとのコミュニケーションによって、一緒に育てていけたらと思っています。

バラカンさん: 僕自身は組織や集団を望まない一匹狼みたいなタイプだから、どの宗教にも属してはいないんだけれど、信仰心のある音楽には昔から興味を持っていたし、信仰心そのもののチカラにも価値を感じて来たんです。

僕はしょっちゅういろんなところでDJのトークショーをしているんですけど、今回の声明公演のテーマみたいに「宗教音楽」というのはちょっと珍しい。面白い特集になるんじゃないかと思っています。

友光さん: ありがとうございます。公演当日を楽しみにしています。本日も本当にありがとうございました。

バラカン:  こちらこそ。僕も楽しみにしています。ありがとうございました。

(取材・構成:大槻令奈)

【向源からのお知らせ】

■声明公演開催 世界最大の寺社フェス【向源】開幕

いよいよ今週末4月29日(祝)より7日間にわたる今年の【向源】がスタートします。本ブログでも紹介した向源の人気プログラム声明公演は今年もすごい! 宗派のみならず、宗教を飛び越える3つのプログラムを用意しています!

1日目:声明を唱えてみよう! 会場の皆さんと一緒に天台声明を唱えてみる体験型公演。

2日目:賛美歌コラボ 聖歌隊CANTUSによるキリスト教音楽と各宗派による声明 前後半で異なる宗教の祈りの声を届けます。

3日目:ピーター・バラカンと宗教音楽トークショー 前半はブロードキャスター ピーター・バラカンさんの紹介で世界中の宗教音楽を聴いていくトークショー、後半は声明公演という贅沢な企画

<詳細>

体験講座やトークショー、イベントは「お寺の体験」「神社の体験」「伝統の体験」「聴く体験」「その他の体験」「English Course」の6つのカテゴリーに分かれています。お好みのカテゴリーでお探しいただけます。

【向源ホームページ体験講座一覧】

会場は芝大門 浄土宗大本山増上寺、神田神社(神田明神)、日本橋があり、日本橋エリアは福徳神社(芽吹神社)、日本橋 YUITO、日本橋 三井ホール、三越 日本橋本店、COREDO室町、その他、と街の各所で開催します。

体験講座は無料のものと有料のチケット制のものがあり、有料体験講座のチケットは各体験講座ページよりお申し込みいただけます。

向源サイトで日程や自分の興味のあるカテゴリから探していただき、購入サイトで決済をお願いします。人気講座はあっという間に売り切れてしまうこともありますので、ぜひチェックはお早目に♪

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