「子供の未来応援メッセージ・リレー」企画によせて

「子どもの貧困」問題への支援の輪を広げるために、子供の未来応援メッセージ・リレー「広げよう、支援の輪~チャンスがあればチャレンジできる」がスタートした。

いま子供の貧困をなくすために社会全体で支援の輪を広げようと、国、自治体、民間の企業や団体が連携し、子供の未来応援国民運動がスタートしている。

貧困の状況にありながら社会的に孤立し支援が受けられない子供たちに、学びや食事、居場所づくりなどの支援をすると同時に、一人でも多くの人が子供の貧困を身近な問題として考え、手を差し伸べることで支援の輪を広げる。というもので、先月から支援の輪を広げるために、子供の未来応援メッセージ・リレー「広げよう、支援の輪~チャンスがあればチャレンジできる」がスタートした。

私自身も昨年、この子供の未来応援国民運動の立ち上がりに協力する機会があり、それを通じてさまざまな衝撃的な事実を知ることとなった。

貧困率を測る指標として相対的貧困率というものがある。所得データのみを基にしているため、完璧な推計ではないものの、増減や国際比較などの目安として使われるこのデータ、2012年のユニセフの報告書では、日本における18歳未満の子供の相対的貧困率は14.9%。日本国内の約2,047万人の子供のうち、およそ305万人の子供が貧困家庭で暮らしていることになる。先進35カ国中ではワースト9位、7人に1人は貧困状態で、クラスに35人の生徒がいれば、そのうちの5人が「貧困児童」ということになる。

日本の貧困がかなり切実な問題であることもそうだが、それをいったいどれだけの人が受け止めているのか。給食費を払えない家庭、貧困家庭で発生する事件などを通じて問題は顕在化するけれど、多くの人にとって、自分の周囲でリアルに目の当たりにしなければ、その問題は存在しないものと思いがちだ。

実は私は、20代半ばで縁あって東京にある某児童養護施設を訪れるようになった。そこで当時4歳だったナオミチという少年と出会った。保護児童に家庭を体験させるという制度を通じ、私は彼のホストファミリーとなった。私は週末には施設を訪れたり、夏休みには彼を連れて旅行に行ったりと、数年間ナオミチと思い出をつくっていった。

彼が就学する時に養子縁組をしたいと申請もしたが、私が子育て経験のない20代だったということもあり、何回かの面接にも挑んだが、養子縁組の申請は通らなかった。里親になりたいとさえ願ったが、小学校進学を契機にその養護施設を移ることになり、規則で会うことも許されなくなった。

それでもナオミチを忘れられなかった私は、出張先から何十枚という絵ハガキを出し続けた。

ナオミチは、中学を卒業した後、就職の道を選んだため施設を出た。基本、当時は就職するのなら施設を出るのがルールだった。そしてほどなく消息がつかめなくなった。ホームレスになっているナオミチを見かけたという情報がいくつか入ってきた。私は興信所も使って彼の行方を追ったがその後何年も彼の行方はわからなかった。そんな彼とやっと再会できたのは8年前、彼は19歳の青年になっていた。

消息が途絶えていた間、彼はイジメ、リンチ、自殺未遂、鬱病、をはじめとする筆舌に尽くしがたい体験をしていた。その苦労の様子は彼の容姿にも表れていた。私は彼の負った傷と、失われた時間を埋めるべく、出来る限りのコミュニケーションを重ねようとしたが、数か月後、彼は自らこの世に見切りをつけてしまった。

命を絶つ瞬間まで私は彼と話をし続けていたが、繋がったままの携帯電話を足元に置き、踏切に消えてしまった。今でも電車の爆音と彼が消えた後もずっと聞こえていた踏切の音が耳に残っている。でも、彼と再び会えたこと。それが痛烈な別れを実感することになることにもつながったが、自分はあの時以来、彼が残したメッセージを、自分なりに受け止めて生きている。

自分は親の愛情にも、食べ物に窮した経験もなく子供時代を過ごしてきた。それは誰もが生まれる家を選べない中で私がそういう巡り合わせだっただけだ。

格差社会がクローズアップされる中でも貧困の問題は「親がしっかりしてないからだ」と、どこか当事者責任とする風潮が付きまとう。ただ貧困の問題は連鎖することにある。生まれる場所を選べなかった子供は精神を病み、必要な教育も、視野も持つことができないまま、その日を生きることになる。特に教育を受ける機会の喪失は、生きていくための知恵や、就業機会のロスに直結する。

貧困問題がいち早く顕在化したイギリスでは、貧困問題は救済ではなく、将来への投資という視点で取り組んでいる。(国が面倒を見る存在から、税金を払える存在にシフトしていく視点もあるが)

"伝える"という仕事に携わる一人として、じわじわと進行する貧困の連鎖をいま断ち切ることが急務であること。そしてそれは親の愛情や教育を受けてきた一人ひとりができることであることを伝えていきたい。

貧困は社会の歪みが生んだ構造問題だ。可哀想という視点でとらえていたら解決はしない。可哀想だから施しを受けているという形が続けば、当事者がそこから抜け出す意識を持ちにくくなる。社会には競争もあるしそれが生む格差、そして不条理、不平等も存在する。

ただ子供たちが世に出ていくためのスタートラインにさえ立てないというアンフェアは解消すべきだ。

今回の応援メッセージ・リレー"チャンスがあればチャレンジできる"には、望まない環境に置かれていることは不幸だが、それを嘆くだけでは人生が始まらないというテーマも含まれているように思う。

人生は置かれている今をどう見るかによっていくらでも変えられる。

絶望を知らない大人の論理だといわれるかもしれないが、自分は不幸だという視点を無くすことで始まる物語もある。

渦中にいる子供たちに、今が決して永遠に続くわけでないこと。自分だけの夢を想像できる日は必ず来るし、そのために必要なかけがえのない人にもきっと出会えることを実感させられるように、私自身にできることをやっていきたいと思う。それが私がナオミチに出会った意味と、ナオミチが消えた意味だと思っているからだ。

子供の夢を貧困でつぶさせないというテーマに共感した方、ぜひ子供の未来応援プロジェクトのページを訪ねてみてください。かつて当事者であった方も含めたさまざまなメッセージや活動、そして支援の方法も多彩であることを知ることができますよ。

 「チャンスがあれば、チャレンジできる。子供の未来応援国民運動」

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