高価な自動車を買ってぶつけたらその価値は下がる。
ぶつける前と後で何が変わったのか。自動車のアトムは変わらない。変わったのはアトムのつながり方だ。その秩序は情報であり、プロダクトとは情報のことだ。
1.
「経済成長」を理解するには「情報成長」を理解する必要がある。MITのセザール・イダルゴは、『Why Information Grows』で経済の新しい見方を示している。
情報を「物理的な秩序」と規定し(*)、イダルゴはルービックキューブを例に出す。
ルービックキューブには43,252,003,274,489,856,000通りの状態が存在しうる。すべての面の色がそろい、完全な秩序になるのはそのうちのひとつの状態だけだ。
ルービックキューブは20回以下のステップで解く (完全な秩序に導く) ことができる。
ありうる状態の途方もない数 (4.3 x 10^19) からすると、秩序への道のりは意外と近い。だがその20回をみつけるのは容易ではない。秩序に到る経路はわずかしか存在しない。
最初に20回目に必要な動かし方をしてもルービックキューブは完成しない。1回目、2回目…20回目と、その経路には順序があり、すべてのステップがつながっている。
数多くのありうる状態のなかで、ごくわずかの数だけが秩序の状態になる。高価な自動車は完成したルービックキューブにも似ている。
2.
無数のアトムがごく稀な配置の状態にある高価な自動車には、同じアトムのありふれた配置よりも多くの情報が具現されている。それが秩序だ。
情報には、そこに至るのが難しく、高度に相関する配置が含まれている。巧妙に組織された構造、形、色、相関などがそれだ。
複雑なプロダクトにみられる「インフォメーション・リッチ」な状態の特徴のひとつは、長距離相関と短距離相関の両方を伴うところにある。ルービックキューブが顕著な例だ。
一方、ぶつけて破損した「インフォメーション・プア」の自動車には、それと同等の状態のアトムの配置がほかにも数多く存在する。
無秩序から秩序へと至る経路の数は、秩序から無秩序へと至る経路よりもはるかに少ない。ルービックキューブを完成するのは至難の技だが、壊すのは子供にもできる。
高価な自動車の破壊は情報の破壊だ。高価な自動車をつくることは情報の具現だ。
3.
情報が具現したプロダクトを利用するとき、私たちはそれを発明した人たちの知識やノウハウへのアクセスを手に入れることになる。
ギターには音波をとりこむ知識が具現されているが、ギターを弾く人はその知識をもっている必要はない。
プロダクトは個人の限界を超える能力を与え、人を拡張 (augment) する。だからこそ私たちはプロダクトを求める。
ギターを弾くことで、音楽家はプロダクトに具現された知識を利用し、自身を拡張する。飛行機をつくることができなくても、私たちは飛行機で移動することができる。
知識の増大は新しいプロダクトをつくるのに不可欠だ。そうしてできた新しいプロダクトが、私たちをさらに拡張する。プロダクトはソーシャルな世界だ。
情報の具現を通じて、知識やノウハウの利用を増大するシステムが経済だ。イダルゴにとっては、経済成長は情報成長の特異な問題ということになる。
4.
複雑なプロダクトをつくる人たちは、複雑な知識やノウハウへのアクセスが必要になる。だが、個人が蓄積できる知識とノウハウには限界がある。おのずとそれは断片化する。
そこで、断片化した知識とノウハウをつなぎ合わせるため、個人のネットワーク化が求められる。情報の具現と成長には、個人の限界を超える情報処理の容量が必要だ。
私たちがチーム、グループ、社会を形成するのはそのためだ。都市もそのネットワークのひとつだ。
経済は、情報を生み出す知識とノウハウを蓄積する分散型コンピュータといってもいい。
もっとも、イダルゴのいう「コンピュータ」は経済学の教科書に出てくる、価格が最適化へと自動調節するマシンの類とは別のものだ。
経済は、その活動の前からそこに存在し、それを制約することになる社会的、プロフェッショナルなネットワークに埋め込まれている。
そしてそのネットワークのサイズや形、進化は、歴史や制度的な要因に制約されている。
5.
複雑なプロダクトをつくる能力は、世界中に均等に行き渡っているわけではない。その分布は地理的に大きく偏っている。
冷蔵庫やジェットエンジン、メモリーデバイスをつくる能力は、世界のごく一部に集中している。情報成長の分布は不均等だ。
学習は社会的な行為だ。人から学ぶところが大きい。
自動車のタイヤをつくろうと思う人が、実際にタイヤをつくっている人と一度も接触せずに、その技術を習得することはまず無理だろう。
文化生産、科学研究、デザイン、コンピュータ・プログラムなどの知識集約型の活動は、資源はそれほど必要としない。
それらはむしろ、ほかの誰が類似する知識をもっているかという知識に依存する。そして「暗黙知」としてのノウハウは、明文化することが難しい。
6.
一国の産業のプロファイルの進化は、ジグソーパズルのようなものだとイダルゴはいう。知識やノウハウを多く必要とする複雑なプロダクトは、とりわけ巨大なパズルだ。
産業を動かすことは、ジグソーパズルを別のテーブルに移すことに等しい。パズルのピースが増えるほど、一気に動かすことが難しくなる。
今日の世界では、アトムよりも知識やノウハウの方が「重い」。リチウム・バッテリーの知識をもつ人を移動させるよりも、リチウムのアトムを移動させる方がずっと簡単だ。
知識とノウハウは、こみいったネットワークが存在する特定の場所に蓄積する。
産業が必要とするパズルのピースがすでにあるところで、その産業が成功する可能性が高くなったとしても不思議ではない。
知識とノウハウの蓄積には地理的なバイアスが存在する。実際に、最も複雑なプロダクトは、多様なプロダクトを生み出す少数の国が生産する傾向にあることが知られている。
そしてより単純なプロダクトは、ごく少数のプロダクトしか生産しない国を含むほとんどの国で生産される傾向にある。
7.
知識とノウハウの分布と拡散の状態は、産業の分布をみればわかるだろう。
プロダクトの類似性は、共に輸出されている2つのプロダクトにみることができる。シャツとブラウスの生産が似ているなら、シャツの輸出国はブラウスも輸出しているはずだ。
イダルゴが開発したプロダクト間の関係性を示す「プロダクト・スペース」のネットワークがそれを示している。
マレーシアの例では、生産構造が関連する産業へと向かって進化している。よく似た知識とノウハウを必要とする近隣産業への多様化を、共輸出のパターンは示している。
知識とノウハウが産業の存在を必要とするように、産業も知識とノウハウの存在を必要とする。
産業は真空地帯に突然現れはしない。知識とノウハウの蓄積には時間がかかり、そこにすでにある知識とノウハウの周辺に偏る。
8.
知識とノウハウは偏在する。それらが生み出す情報そしてプロダクトも偏る。
「集積の経済」を思い出す人も多いだろう。イダルゴが著書のなかでアナリー・サクセニアンから長い引用をしているのは偶然ではない。
もっとも、その傾向性は古くから観察されているものの、どのようなメカニズムによって生成するのかはわかっていない。サクセニアンもその説明の多くを逸話に依存している。
情報という概念を導入し、視線をアトムから人とネットワークへと導くことによって、イダルゴは古くからあるこの問題に新しい洞察を与えてくれているようにみえる。
(*) イダルゴのいう情報はクロード・シャノンがいう情報とは異なる。イダルゴがいう情報はビット数以上のもので、秩序を伴うものとしている。議論を慎重に追いながら、エントロピーと情報をほぼ同義で用いるシャノンにとっては、秩序とは逆のランダムな方が情報は多くなり、物理的なシステムでは情報はエントロピーの逆になることを、著書の中でイダルゴは示している。
(2015年8月24日「Follow the accident. Fear the set plan.」より転載)