稀勢の里に託された<日本人横綱>という物語 「安易な構図」をまだ続けるのか?

とにもかくにも「日本人横綱」が見たいという空気は確実にあった。
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奉納土俵入りで雲竜型を披露する横綱稀勢の里(右)=2019年1月8日、東京都渋谷区の明治神宮
時事通信社

横綱・稀勢の里が引退した。ケガと戦いながら土俵に向かう姿や、漫画「北斗の拳」の登場人物ラオウを意識した引退会見のセリフなど様々な点でファンの心をつかんだ。

稀勢の里は何かにつけモンゴル出身力士に立ち向かう日本出身の横綱、「日本人横綱」という「物語」を背負わされた横綱でもあった。思い出すのは2017年、19年ぶりの「日本人横綱誕生」という喜びに沸く空気の中で、相撲ファンの作家が漏らしたこんな一言だ。

「相撲は国別対抗戦じゃないのに、日本人横綱という物語に酔っている」

■「国民の期待」というマジックワード

異例の昇進をめぐり過熱した「日本人横綱」報道、新横綱として「大怪我を乗り越えて」奇跡の逆転優勝......。2017年の年明けから相撲界の主役は間違いなく稀勢の里だった。それからわずか2年で引退を決めることになる。

背負わされてきたのは「日本人横綱」という物語だ。そもそも稀勢の里が初優勝を決めた2017年1月場所は綱とり場所ではなかった。

日刊スポーツ(2017年1月23日付)にこんなコラムが掲載されている。

《「稀勢の里の横綱昇進は、白鵬とやる前に決まったでしょう? 今場所の大関戦は1勝1敗で、休場した横綱2人と対戦していない。昇進が決まった段階で、格上に勝っていない。連続優勝でもない。『綱とり場所』とも言われていなかった。プレッシャーを乗り越えて横綱になった人とは違う。これは不平等だよ」

審判部は総意として昇進を推す一方、内部にはこんな意見もある。昇進に賛同しない相撲ファンもいる。》

横綱昇進には「大関で2場所連続優勝、もしくはそれに準ずる成績」という内規があるが、稀勢の里は初優勝の内容や前年の「年間最多勝」だったことが重視されたことが当時の記事を読むとよくわかる。

稀勢の里自身には何の罪もないが、「昇進ムード」「国民の期待」といったマジックワードも踊り、昇進を後押しした。とにもかくにも「日本人横綱」が見たいという空気は確実にあった。

■日本人横綱への喝采、モンゴル出身力士への「ブーイング」

この年の3月に取材で会った相撲ファンの作家・星野智幸さんが私のインタビューにこう答えている。話題は報知新聞がウェブサイトで「「照ノ富士、変化で王手も大ブーイング!『モンゴル帰れ』」という見出しで報じたことについてだった(後に報知新聞は「ヘイトスピーチを想起させる表現」であることを認め、見出しを訂正し、謝罪した)。

記事は、優勝を争う照ノ富士が立ち合いで変化し、はたき込みで琴奨菊を破った際、観客から飛んだ「ブーイング」を見出しにして報じたものだ。「日本人横綱」稀勢の里への圧倒的な拍手とモンゴル出身力士への容赦ないヘイトスピーチまがいの「ブーイング」。

星野さんは国技館を覆う空気について「そもそも、相撲は国別対抗戦ではないですよね。ひいきの力士を応援するもので、日本人を応援するものではないのです。露骨な出自びいきに戸惑いました」と話していた。

東京新聞の相撲担当記者も、稀勢の里に代表される日本人横綱対モンゴル人力士という構図を「異様」と書いている。

《綱を張るようになる前も、その後も、どうしても「日本出身」の稀勢の里が、モンゴル勢に立ち向かうという、安易な構図に当てはめられがちだった。朝青龍や白鵬と稀勢の里が顔を合わせる一番は、いつでも異様な歓声が響いた。時にはそれが、無用な重圧にもなっただろう。》(東京新聞1月17日朝刊

■安易な構図の相撲を望む?

稀勢の里自身は引退会見でモンゴル出身力士が「自分を成長させてくれた」と敬意と感謝を口にしていたが、「日本人横綱」という記号に拍手を送る観客はどうだろうか。

新横綱として臨んだ2年前の3月場所、12連勝の稀勢の里は横綱・日馬富士との取組で左腕を強打し、使えなくなるほどの大怪我を負う。それでも千秋楽に出場し、奇跡の逆転優勝を果たした。

大怪我を押して、モンゴル出身の大関・照ノ富士を下した「日本人横綱」にメディアも観客も沸いた。大きな感動はあった。だが、稀勢の里は輝きを二度と取り戻すことができなかった。

稀勢の里が引退した後も、モンゴル出身の横綱である白鵬と鶴竜が残る。関脇・貴景勝ら次世代の「日本出身力士」に期待するのだろうか。まだまだ「安易な構図」の相撲を見たいと望むのだろうか。