「憂国の士」としての愛川欽也氏の最期

故人に関する話題は、「俳優・タレント」「愛妻家・おしどり夫婦」が中心となり、私が、パックインジャーナルでお付き合いをさせて頂いた中で強く感じた「憂国の士」としての側面がほとんど取り上げられないことに若干の違和感を覚える。

俳優の愛川欽也氏が亡くなって1か月になる。

私は、同氏が司会を務めていた番組「愛川欽也のパックインジャーナル」に数回出演しただけのお付き合いだったので、その人柄についてコメントするような立場ではないと考え、心の中で哀悼の意を捧げるだけにとどめてきた。

しかし、故人に関する話題は、「俳優・タレント」「愛妻家・おしどり夫婦」が中心となり、私が、パックインジャーナルでお付き合いをさせて頂いた中で強く感じた「憂国の士」としての側面がほとんど取り上げられないことに若干の違和感を覚える。私が強く感じた愛川氏の国を憂うる思いについて書いてみようと思う。

「愛川欽也のパックインジャーナル」には、CSテレビの朝日ニュースターの時代には、電話出演も含めて7~8回、その後、朝日ニュースターがなくなった後、愛川氏が自ら立ち上げたインターネット放送「kinkin.tv」の番組にも2回ほど出演させて頂いた。

今年2月7日の出演の際、美濃加茂市長事件のことも話題になり、「3月5日の判決が出たら、是非また出演してほしい」と言われていた。無罪判決を勝ち取ることができ、その後出演の日程を調整したが、3月中は予定が合わず、4月11日と5月9日に出演することになっていた。

しかし、4月6日に、「kinkin.tvが終了する」との連絡を受け、一体何があったのだろうと思っていたところ、4月15日のニュースで、愛川氏が肺がんで亡くなられたという突然の訃報を聞き、事情を理解した。

愛川氏は、反「権力」・反「戦争」・反「対米追従外交」・反「原発」という思想で一貫した人だった。その思想の根本には、私のような戦後生まれの人間には想像もつかない、「戦争」や「権力」の恐ろしさを知る実体験があるのであろう。愛川氏の言葉の端々に、そういう自らの体験を基に、今の日本をめぐる状況を、そして、この国の行く末がどうなるのかを本当に心配する熱い思いが込められていた。

2月7日の番組出演は久しぶりだった。その時点で既に、愛川氏の体は癌に蝕まれ、その苦痛はかなりのものだったはずだが、昨年6月と何も変わった印象は受けなかった。愛川氏は、以前と同様、憲法改正の国民投票の問題、TPP交渉の問題等に関して、自らの思いを語っていた。そこに貫かれていたのは、政治権力が一極に集中することへの不安・危惧だったように思う。

5年程前、鳩山政権下で、「普天間基地の県外移転」の公約実現が困難になり、鳩山首相が窮地に陥っていた時期、パックインジャーナルの出演日の前夜に、愛川氏から私の携帯に電話がかかってきたことがあった。

「郷原さん、何とか基地の県外移転はできないものだろうか。沖縄の人達の思いからすると、それしかない。それに、せっかく政権交代が実現したのに、今回の件で政権がダメになってしまうのは本当に残念でならない。」

愛川氏は、本当に、思い詰めているような声で、私にそう言ってきた。

私は、パックインジャーナルでは、検察問題や九電やらせメール問題などの問題を中心に発言していた。基地問題や外交問題は専門外だ。しかし、そういう私にも、沖縄の基地の移転先について何か良い知恵がないか、と真剣に聞いてくる愛川氏の熱意に心を打たれた。

私は、その後、私がかつて長崎地検次席検事をしていた頃のつてを辿って、佐世保基地や長崎県内等に、普天間基地の一部の移転先候補が考えられないかを情報収集したり、外交軍事の専門家の田岡俊次氏と連絡をとって話したりした。

最期の最期、癌で余命いくばくもなかった愛川氏の頭には、愛妻のことや、俳優、タレントとしての活躍を振り返ることだけではなく、今の日本という国の政治・外交・社会をめぐる状況を、心の底から憂うる思いもあったのではないだろうか。

愛川氏は、まさに「憂国の士」だった。

我々は、どのような思想、どのような立場であっても、このような愛川氏の思いを受け止め、この国の、この社会の今後のことを、真剣に考える姿勢を持ち続けなければならない。

改めて、愛川欽也氏の死を心から悼み、御冥福をお祈りする。

(2015年5月11日「郷原信郎が斬る」より転載)