ソチオリンピックの閉会式が幕を閉じた今、冬季オリンピックの熱烈なファンたちは、2018年に次のオリンピックが開催される韓国のスキーリゾートであるピョンチャン(平昌)に熱い視線を向け始めています。それは、韓国のオリンピック関係者にとっては不安を意味します。
「開会式のマイナーな技術的問題点を除けば、ゲームはかなり完璧であった。」とアイビータイムズの解説者は語ります。「今、韓国がソチを上回るパフォーマンスを出さなければというプレッシャーが存在します。」
しかし、ピョンチャンはソチに比べて主な利点がひとつあります。ロシアは1980年にソチから850マイルも離れたモスクワでオリンピックを主催した以来であったのに対し、韓国はピョンチャンから80マイルほど離れたソウルで1988年にオリンピックを主催した経験があります。つまり、基礎工事の多くは既に行われた事を意味します。スタジアムは建設され、インフラは大規模な群衆を収容するために整備され―—そして少なからず、「キムチの臭いの問題」は解決されています。
この時点では、まったく、「キムチの臭いの問題」という考え方は、馬鹿げていないにしても、不可解に聞こえるかもしれません。今や誰もがキムチを愛しています! しかし1988年当時、韓国当局はキムチがオリンピックで果たす役割についてとても葛藤していました。
数百目の発酵野菜を指すキムチは、議論の余地無く、韓国の国家食品とされてきました。韓国人はキムチをほとんど毎食食べます。韓国人は一人当たり毎年平均77ポンド食べます―—ほとんどがベチュキムチ、今やおなじみの白菜と唐辛子で作られた種類です。キムチは少なくとも紀元2世紀に中国の遠征軍が半島を訪れ地元住民の発酵野菜への愛を述べて以降、韓国人のアイデンティティの重要な一部となっています。
しかし、韓国人は長い間、とくにヨーロッパとアメリカからの外国人は、キムチの臭いに問題があると信じていました。彼らはその素朴でファンキーな匂いが不快で、その大量の唐辛子が口に合わないと考えていました。なので、1988年のオリンピック開催への下準備の際、その関係者は、町中の空気を占めるキムチの匂いで外国人ジャーナリストやスポーツ選手の気を悪くするのではないかと心配していました。
関係者たちは結局、妥協案を築くことにしました。彼らは1988年オリンピックの公式食品の一つにキムチを含む事にし、また一方でLAタイムズによると、オリンピックの期間中に外国人観光客と仕事をする人々全員が、毎食後、歯をしっかり磨くよう要求しました。
このキムチ問題に対する発想の転回は、大成功を収めました。少数のジャーナリストは地下鉄内でのキムチ風を報道しましたが、誰も匂いにはショックを受けませんでした。そして1988年大会以来、キムチは世界中で販売を始めました。
それ以来、韓国政府は多額の経費と時間をキムチの海外販売促進に費やしてきました。栄養士はキムチをヨーグルトや紅茶キノコのような低脂肪でプロバイオティクスの高栄養源としてキムチを売り込み、健康志向の人々の間で売上げを伸ばしました。最近では、高い評価を得ている韓国系アメリカ人シェフのデイビット・チャン、ロイ・チェやフニ・キムの食品との関連を通してキムチは名声を得ています。
(レストラン業界分析会社であるFoodGeniusによると、キムチは約50メニューに対して1つの割合で国全体のレストランのメニューに含まれており、特に沿岸部のニューヨークやカリフォルニアでは高い割合でメニューに含まれているとのことです。)
そして、グルメ志向のスーパーであるWhole Foodsなどでは一部の棚全体を様々な種類のキムチ専用にしています。その中で特に人気のブランドは、ニューヨークを拠点にしたワインビジネスのベテランであるLauryn Chunによって2009年に開始されたMother-in-Law’s Kimchiです。
「それはモモフクとデイビット・チャンがマスコミの注目を得始めてきたころでした」と、彼女は語ります。「アメリカ人は日本料理、タイ料理、中華料理、インド料理のような、お馴染みの顔ぶれを超えたアジア料理を求めており、なので韓国料理の人気が高まっていました。なので、私は当時スーパーで流通していた当たり障りの無いキムチより味の良いキムチを人々は求めているだろうと思いました。」
Mother-in-Law's Kimchiは大手ブランドの自動化された製法よりももっと伝統的な製法に近いスタイルにより、手作業で作られています。16オンス瓶あたり10ドルで、大量生産されたキムチよりも高価ですが、遥かに風味も豊かです。現在では、全米のうち30州で販売されており、Lauryn Chunは拡大を維持する計画を持っています。
しかしキムチが海外で反映している一方、その母国ではトラブルの兆候が出ています。
一般の韓国人はキムチの生産から切り離されて来ています。韓国の歴史の大部分では、大半の韓国人は自分自身や親族の作ったキムチを食べてきました。伝統的に、家族はそれぞれ秋のキムジャンの季節になると、大忙しになり一年分のキムチを生産していました。家族の台所に精通した女性たち、そしてその家族の近くにいる全ての家族は、その一年で最高の出来の白菜を収穫し、一斉にキムチを作る準備をします。彼らは全ての材料を大きな瓶に詰め、庭の一定に涼しい気温の場所に埋めて発酵させます。瓶は、食べたいときにだけ開けるのを除いては、冬の間中、地下に埋めておきます。
12月、ユネスコは韓国政府の要請で、キムジャンを世界公式の「無形文化遺産」の一部として指定しました。しかしソウルやプサンなどの大都市では、ほとんどの人々がキムジャンのためのスペースを持っていません。一部の都市住民は、毎年キムチをもらいに田舎の家族を訪れ、都会に帰ると韓国の地下の温度を再現し一定の温度を保つよう特別設計された「キムチ冷蔵庫」に保管します。より多くの韓国人はキムジャンの伝統を飛び越し、スーパーでキムチを購入しています。
「韓国の秋の儀式として長い間非常に密接に行われて来たこと— もう誰もそれを行っていません」と、Lauryn Chunは語りました。「それは少し悲しいです。それは私たちの文化の本質的な部分であり、私たちはそれを失っているのです。」
さらに、スーパーで販売されている大部分のキムチは、韓国で生産されたものではありません。過去2年間は歴史上初めて、輸出分より2800万ドル分も上回る結果となりました。
「韓国人は食料主権の危機を迎えています」とミシガン州立韓国研究者であるユン・レイ・ウムは語りました。「韓国は国全体で消費する半分以下を生産しています。韓国のレストランで出されるキムチの90%は中国産だと言われています。」
では、1988年のキムチの国際化は成功しすぎたのでしょうか? それは、キムチの「韓国風」を弱めさせてしまったのでしょうか?
そうかもしれません―—しかしキムチを「完全に韓国のもの」として仮定していた事さえ、間違いかもしれません。ニューヨーク州立大学ビンガムトン校の韓国史教授で、韓国料理の歴史を英語で書いたマイケル・ペティッドは、最も偏在するキムチの成分は、朝鮮半島の相対的な新顔であると述べました。
「今日私たちが韓国料理に関連づける食事の全ては、外部の影響を受けたものです」とペティッドは語ります。「例えば私たちはバーベキューを韓国料理と関連づけます―—しかしそれは14世紀にモンゴルの侵略によってもたらされたものです。そして今日私たちが知るキムチも、それと似たような話です。」
白菜は19世紀に中国の貿易業者によってもたらされるまで韓国で栽培されていなかったと説明しました。さらにもっと衝撃的な事に、あのキムチに燃えるようなキックを与える唐辛子も、16世紀の終わりまで韓国に登場しませんでした。唐辛子はもともとブラジルの先住民からポルトガルの貿易者が持ち込み、それをポルトガルから日本へ、そして日本から韓国へ持ち込まれたものでした。
その意味では、現在そして未来のキムチの国際化は単にその国境外のルーツへの回帰であるかもしれません。今のところ、それは韓国の外で生産され流通しているキムチがあまりにも二流であることの落胆の見通しがつくでしょう。しかし、ニューヨークで賞賛を浴びているモダンな韓国料理レストランである”Danji and Hanjan”のシェフであるフニ・キムは、非韓国人の味覚が洗練される事によってそれは変化すると確信しています。
「私は寿司と比較します」と彼は語りました。「ちょうど30年程前、寿司は安物でした。それは暗闇で光るマグロが焦げたご飯と湿気た海苔に巻かれたものであり、皆それで大丈夫だと感じていました。私を含めてです!しかし今や人々は遥かに高い期待を持っています。」
「韓国人じゃない人にとっては、キムチを含め、韓国料理はまだ新しいものです」と彼は続けます。「人々がより良いものを好む事は避けられません。ただ、時間がかかるのです。」
しかし、オリンピックでの主要な舞台になるということは悪くないでしょう。キムチが世界に紹介されたのがソウルであったらなら、ピョンチャンは世界がキムチの素晴らしさを学ぶ場になれるかもしれません。
(原文)
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