ジャーナリストの竹田圭吾さん(享年51)が、1月に膵臓がんで亡くなる直前まで単行本用に書いていた原稿が、2月10日発売の月刊誌「文芸春秋」に未完のまま掲載された。
タイトルは「がんになってよかった100のこと」。同誌によると、編集部が2015年12月初めごろ、がんについての手記を竹田さんに依頼したところ、「雑誌ではなく、最初から単行本を書きたい」との返事がきたという。病のため竹田さんが完成させることはかなわず、掲載された文章は書き出しに当たる2ページ余りだけだ。
タイトルは竹田さんが提案したもの。この遺稿の同誌への掲載は裕子夫人から託されたという。
遺稿では、次のように綴られていた。
裏を返せば、がんと診断されることは人生の終わりの始まりであり、そこからの日々は敗北を覚悟しつつわずかな武器で敵に立ち向かうことを意味する、というパブリックイメージがいかに浸透しているかということだ。
そうしたイメージが増幅される理由の一つがマスコミの報道の仕方や、センセーショナリズムを好むネットの存在ではないかと思う。
(『文芸春秋』2016年3月号より)
最後の部分では、竹田さんが、がん治療の苦痛を認めた上で持論を展開しかけたところで終わっている。
多くの場合、治療が身体的、精神的に非常な苦痛を伴うことも事実だ。
しかし考えてみてみると、それをすなわち「闘病」と形容するのかは飛躍があるのではないかと僕は思う。
(『文芸春秋』2016年3月号より)
竹田さんは2015年9月下旬、フジテレビ系「Mr.サンデー」にコメンテーターとして出演中にがんで闘病中であることを告白した。
この遺稿に続いて、文芸春秋の編集部が、この原稿の書かれた経緯や告知後の竹田さんの生活なども記している。2015年12月28日から亡くなる1週間前の1月3日まで、アメリカのニューオーリンズに家族旅行し、アメリカンフットボールの試合を観戦していたことなどを、裕子夫人が振り返っている。
この編集部の記事は、竹田さんが単行本執筆に向けたメモに記した思いで締めくくられている。
がんには恨みも憎しみもわかないが、がんが離れがたいものとして連れてきてくれる死に対する恐怖からは、完全には逃れられないから。
上記のようなことも本の中に入れる。実際、それが自分らしさであり、自分自身が本音で思っている・感じている・考えていることである
(『文芸春秋』2016年3月号より)
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