KDDIがナタリーを買った理由。 ~デジタルメディア・ビジネスデザインという24番目の利益モデルについて~

2014年8月、KDDIは音楽・コミック・お笑いなどのポップカルチャーに特化したウェブメディア・ナタリーを運営する、株式会社ナターシャを子会社化する事を発表した。
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2014年8月、KDDIは音楽・コミック・お笑いなどのポップカルチャーに特化したウェブメディア・ナタリーを運営する、株式会社ナターシャを子会社化する事を発表した。株式の9割を取得、買収金額は非公表となっている。

ナタリーは特に音楽系の情報サイトとして知られ、音楽関連のコンテンツに力を入れるKDDIにとっては最高の企業を手に入れた事になる。

1年ほど前から、ナタリーは何かリアルで展開するビジネスを始めるのでは?と注目していたが、KDDIに買収されたことは自分にとっても驚きだった。1年前の時点でもすでにナタリーストアというネット通販は行っていたが、これは一般的なオンライン通販の規模だろうと推測され、そこまで大規模には見えない。

■デジタルメディア・ビジネスデザインとは?

タイトルに書いた「デジタルメディア・ビジネスデザイン」は、手短に説明すると以下の様なビジネスモデルだ。

「ウェブメディアの運営によって得られる知名度・集客力・広告収入を利用して、同業他社よりも圧倒的に有利な条件でビジネスを展開する経営手法」

そんなもの聞いた事が無い、という人しかいないだろうが、これは自分が発案した概念だ。この名称は、経営学者のエイドリアンJ・スライウォツキーが書いた「ザ・プロフィット」で23番目の利益モデルとして紹介されている「デジタルビジネスデザイン(DBD)」をもじったものだ。

同じ著者による「デジタルビジネスデザイン戦略」では、DBDは「デジタル技術を用いて企業戦略の選択肢を拡大させるためのアートであり、サイエンス」と定義されている。ウェブやITの技術を利用することで既存のビジネスより10倍の生産性で事業運営が出来るという。

ナタリーについては上であげた三つの条件である「知名度・広告収入・集客力」を全て満たしている。

音楽ファンにおける知名度は月間3110万PV(ページビュー・表示回数)で他のサイトを圧倒している(この数字はコミックとお笑いも合わせたナタリー全体。音楽ナタリーは2000万PV)。

ナターシャの従業員数は同社HPによれば54人(2014年8月時点)と、ウェブメディアからの収入が大半を占めると思われる企業でこの社員数は、他社から見れば脅威とも言える。

なお、ナターシャの事業内容はナタリー以外に各種コンテンツの制作・執筆、ウェブサイト制作となっている。ナタリーから外部メディアへの配信については一部有料となっているようで、ナタリー編集長で取締役の唐木元氏が1年前に講演で話した内容によれば、売り上げにおける広告と配信の比率は8:2だという。

■ナタリーの給料はいくら?

過去にナタリーで掲載されていた求人募集では、モデル年収例として勤続2年目の一般職が26歳で400万円、勤続4年目のディレクター職が30歳で540万円となっている(コミックナタリーとナタリーストアの求人)。大手出版社の水準には多少劣るかもしれないが、音楽誌で正社員として編集者やライターにこれだけの給料を払える企業はほとんど無いのでないかと思う。なお、ナタリーでは可能な限り外注しないという方針により社員の多くがライターで離職率も低いという。

54人の給料をざっくり1人当たり500万円と見積もると1年で2.7億円となり、これだけの人件費をまかなう収益をあげられるサイトは日本全国を見渡してもごく一部だ。PVからかなり高めに収益を推測すると1PV =1円と考えて、月間の売上は3000万円、年間3.6億円といった所か。

社員の給料に社会保障費(年金や健康保険)の会社負担分も考えると実際にはもっと収益力が高くてもおかしくない。1PVあたり0.1円から0.3円程度が相場と言われるウェブメディアの常識から見ると、ナタリーの収益力は平均から大きく外れた異常値であることが分かる。

そしてアーティストのファンから信頼も厚く、知名度・PVを背景にした集客力も期待できる。

知名度が高く、ビジネスを展開するための先行投資は高い広告収入でまかない、そしてサイト上で告知することにより広告費ゼロで集客ができる。しかもサイトの読者は音楽・漫画・お笑いが好きという意味ではすでに絞り込みができている。

この状況で何か他にビジネスをやらないのはもったいなさすぎる、と自分からは見えていた。ナタリーがウェブメディア運営と相乗効果が見込めるビジネスを始めればデジタルメディア・ビジネスデザインのお手本のような企業になることは間違いない、と。そこで報じられたのがKDDIによる買収だ。

■デジタルメディア・ビジネスデザインが優れている理由。

では、デジタルメディア・ビジネスデザインが優れている理由はどこにあるのか。

まずは知名度がある事はそれだけで経営上有利になる。経営で最初につまずくのが知名度だ。別の言葉に言い換えればブランド力と言える。これは決して高級ブランドに限らない。

例えば120円でコカコーラと無名企業のコーラが並んでいる。あるいは1000円でユニクロのTシャツと無名企業のTシャツが並んでいる。一般的にどちらが沢山売れるかは言うまでもないだろう。

スーパーや量販店では一本30円位のどこで作ったのかよくわからない缶コーラが売られている。すぐ横には安くても80円位でコカコーラが売られている。その50円の差がブランド価値ということだ。シンプルに言えばブランド力があればより高く、そしてより沢山売れる。

ブランドは過去に積み上げられてきた広告料や販売量、信頼、実績などに大きく左右される。一朝一夕では築く事が出来ないものがブランドであり、知名度だ。メディア運営によって知名度が上がりブランドを構築できれば、同業他社より自社の商品・サービスをより高い価格で、より沢山売る事が出来る。

広告収入も経営の障害を取り除いてくれる。資金調達は経営で特に重要なポイントだ。お金を稼ぐにはお金が必要、という身も蓋もない現実がある。しかしメディア運営による広告収入があれば借入金や出資を減らす、あるいは一切無くても資金を確保できる。

これは借入金の利息負担や出資による株主コスト(狭義には配当)という面からも有利な条件だ。加えて事業展開で必要な初期投資のコストや赤字を広告収入で穴埋めできる分だけ大きなリスクを取れるため、同業他社より有利に経営ができる事になる。

■メディアによる集客力がコストを下げる。

集客力についてはダイレクトにコスト、つまり利益へ響く。顧客獲得コストは特にビジネスでは重要なポイントだ。売上から原価と販管費を除いたものが利益となる。販管費では人件費と並んで顧客獲得コストの負担は大きい。業種によってはこの顧客獲得コスト、簡単に言えば広告費が重要なポイントとなる。

売上を増やすにはコストがかかる、でもコストをかけすぎれば赤字になる、というジレンマ・トレードオフから経営者が逃れる事は出来ない。しかしそんなトレードオフを壊すことが出来るのがメディア運営による集客だ。多数のアクセスはそれ自体が宣伝となり、知名度アップは当然集客へプラスに作用する。コーラの例で説明したように、人は「知らないもの」より「知っているもの」を手に取る。

例えば売り上げに対して広告費が5%、利益率が5%の企業は、広告費を1%削るだけで利益は20%も増加する(利益が5%から6%へ増える際の増加率)。

自社の広告をウェブメディア上に配置すれば無料で広告が出来る。記事やメールマガジンでの宣伝も通常はコストがかかるが、自社メディアならば無料だ。そもそもサイトを見てもらう事自体が最高の宣伝となる。結果的に顧客獲得コストが低くなる分、同業他社より高収益となる。

知名度・広告収入・集客コストと3つのポイントでメリットが発生するため、デジタルメディア・ビジネスデザインを採用する企業は同業他社より圧倒的に有利な条件でビジネスを展開できると言えるだろう。

※あくまでビジネス「モデル」なので、かなり単純化・簡略化して説明している。また、実際には資本コストを削減できるレベルのメディアはごく一部。

■メディア運営とビジネス展開という車の両輪。

買収の発表前に、ナタリーというウェブメディアと車の両輪になって進めていくビジネスはどんな物があるか?と考えた時、自分が思いついたものは例えばフジロックフェスティバルのような音楽フェスティバル、ライブハウス運営、レコードショップの運営など、平凡なものばかりだ。

KDDIによる子会社化は、ナタリーが自ら新しいビジネスを始めるのではなく、KDDIが自社のビジネスをより加速させるためにナタリーを選んだということになる。KDDIは年間売上が3兆円を超える国内でも有数の大企業だ。これ位の規模のビジネスでなければナタリーが展開するデジタルメディア・ビジネスデザインに吊り合わないと考えれば、買収にも納得感はある。

このように書くとナタリーがKDDIにとって都合の良い宣伝媒体になるかのような印象を与えかねないが、ナターシャの創業者で社長の大山卓也氏は自身のフェイスブックで「親会社ができても、当たり前だけどナタリーの姿勢は変わらない」とコメントした。ツイッターでも同様の趣旨で「個人的には、インディーズでがんばってたバンドがメジャー契約したみたいなイメージで。ナタリーの編集方針は変わらず、バックアップを受けてさらに飛躍の予定です」とコメントしている。KDDIもファンをがっかりさせることはしないと明確に表明しているようだ。

デジタルメディアはあくまで「メディア」であり、ビジネスへの利用も一定の節度が無ければただの宣伝媒体・御用メディアとなり読者の支持を失う。

今後はKDDIのビジネスをより加速させるための施策がナタリーでも当然見られると思うが、KDDIが株式を100%取得して完全子会社にしなかった理由は、経営陣に残って貰い、結果的にナタリーの熱心なファンを安心させたいと考えていたからではないかと思う。少なくとも創業者や現在の役員、編集長が残っている限りにおいては全く心配はいらないだろう。

■5年後、メディアは稼げるか?

佐々木紀彦氏という人が居る。東洋経済オンラインを立てなおしてPVを10倍に増やし、現在はキュレーションアプリ・NEWSPICSの編集長となった話題の人物だ。

佐々木氏が書いた「5年後、メディアは稼げるか?」という書籍では、メディア運営とビジネス展開の関係が説明されており、そのビジネス展開は8つに分けられている。

1.広告

2.有料課金

3.イベント

4.ゲーム

5.物販

6.データ販売

7.教育

8.マーケティング支援

これをさらにざっくり3つに分類すると以下のようになる。

1+2=メディア運営(メディアにとっては本業)

4.+5+6=何かを売る(モノかデータかは問わず)

3+7+8=サービスを提供する(セミナーやイベント、コンサルティング。個人向け・企業向けを問わず)

さらに大雑把に分けるなら「メディア運営」と「メディア運営以外のビジネス」という事になる。インターネット普及の影響もあって新聞や雑誌の販売は減少傾向にある。かといって収益力の低いウェブメディアでは出版社で働く給料の高い記者や編集者を雇っていくことは難しい。そこでメディア運営以外の収益も重要、という事になる。

この書籍はあくまでメディアに関する本であるため、1+2のメディア運営による稼ぎ方の話題が中心となっていたが、デジタルメディア・ビジネスデザインはメディア運営とそれ以外のビジネスを車の両輪としてセットで考える。

また、書籍で言及していたのはメディア運営を本業とする新聞社や雑誌社が凋落の激しい出版業界で生き残っていくためにはどうすればいいか?といった話だが、自分が面白いと思うのは出版を主なビジネスとしない企業がウェブメディアを手がける場合や、はじめからウェブメディアとビジネスを車の両輪として考えているケースだ。

企業分析・経済関連の記事は以下も参考にされたい。

ではKDDIとナタリーの組み合わせ以外にデジタルメディア・ビジネスデザインはあるのだろうか。実はすでに多数の成功例が企業はもちろん個人でもある。これは次回の記事で書いてみたい。