農場で生まれ育った高校生、ファッションデザイナーの才能が開花「馬を売ってショーに参加しました」(画像)

2015年3月に開催され大盛況のうちに幕を閉じた「バンクーバー・ファッション・ウィーク」には大勢の才能あふれたデザイナーたちが集まったが、その中でもひときわ輝いていたのが15歳のデザイナーのケイト・マイルズさんだ。
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2015年3月16日から22日にかけて開催され、大盛況のうちに幕を閉じた「バンクーバー・ファッション・ウィーク(VFW)」には、大勢の才能にあふれるデザイナーたちが集まった。

その多くの才能の中でもひときわ輝いていたのが、15歳のデザイナーのケイト・マイルズさんだ。

マイルズさんは、2014年8月に開催された「ポートランド・ファッション・ウィーク」の「新人デザイナー」コンテストで優勝し、今回のVFWに招待された。3月16日に開催されたオープニング・ガラでは人目を引くグリーンとホワイトアイボリーのオートクチュール・ドレスを披露。彼女のキャリアにとって重要な節目となった。

ケイトの素晴らしいドレスを着たモデルの@maddyacookとバックステージでカメラに向かってポーズ!


その後のショーでマイルズさんはオートクチュールのブライダル・コレクションも披露している

そのマイルズさんが、これまでの彼女の人生についてハフポスト・カナダ版のインタビューで語ってくれた。

彼女のデザイナーとしてのキャリアは、隣の市まで車で2時間かかるというアメリカ・オレゴン州の田舎の農場から始まったという。彼女が初めてドレスを作ったのはなんと6歳の時。インターネットもテレビもない環境で育ったため、工夫して自分でものを作るようになったそうだ。

マイルズさんは、地元の裁縫クラブのリーダーだった祖母の影響で裁縫を始めた。10歳の時に父親を農場の事故で亡くした後、彼女は母親とともにオレゴン州で最大の都市ポートランド近郊に引っ越した。移り住んだ先には生地を売っているお店がたくさんあったため、マイルズさんはますます裁縫に精を出すようになったという。そして12歳の時に、初めて自分で作ったウェディングドレスが売れた。

素晴らしい才能を秘めているマイルズさんだが、だからといって苦労せずに成功できたわけではない。VFWへの招待状には、モデルやメイクアップアーティスト、ヘアスタイリストの費用は含まれておらず、自分で支払わなければいけなかったのだ。

「VFWに招待された時はとても興奮しましたが、かかる費用を目にして驚きました。そこでバンクーバー・ファッション・ウィークの理事長に電話をして、他に何か参加する方法がないか相談したのです。電話を切ると、費用を25%割引してくれるというメールが理事長から届いていました」

しかしそれでもまだ費用が足りなかったマイルズさんは、いくつか大きな犠牲を払う決断をした。

「まず、断腸の思いで自分の馬を売る決断をしました。それから、他にもドレスを売ったお金がいくらか残っていたのでそれを使いました。本当は大学進学用に貯めていたお金だったんですけれど」

そこまでの犠牲を払って参加したVFWは、十分にその価値があるものだったと言う。

「本当に素晴らしい経験ができました。高校の子たちはいつも決まって『何かスポーツをしたら? ショッピング・モールでぶらぶらしたくないの? どうしていつも裁縫なんかして、時間を無駄にしているの?』と言いますが、VFWでは自分と同じような人たちに会うことができました。大好きなことを共有できる人たちに出会えたのです」

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3月16日、VFWでのデビューを前に母親とカメラに収まるマイルズさん(右)

「周りに何もない農場で生まれ育った私が、こんな大都市でこれほどたくさんのドレスに囲まれているなんて信じられないことです」とマイルズさんは話す。「本当にすごい体験だわ」

ファッションの仕事を離れると、マイルズさんは高校生だ。学校の制度を利用して地元の2年制大学でも勉強もしており、順調にいけば2年生が終わる時には準学士号と高校の卒業証書がもらえる見込みだ。卒業したらアートスクールに進むことを考えており、候補にはカナダの学校も含まれているようだ。

「バンクーバーが大好きになりました」とマイルズさんは話す。「ここに来るまではこの街のことをあまりよく知らなかったのですが、今ではここで生活することも考えているくらいです」

文末スライドショーでは、マイルズさんの2015年スプリング・コレクションの全ラインナップを紹介している。

この記事はハフポスト・カナダ版に掲載されたものを翻訳しました。

[日本語版:湯本牧子、合原弘子/ガリレオ]

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