およそ35年に及ぶ外交人生の殆どを「対中国外交」に捧げてきた人がいる。
外務省・片山和之さんは、2019年1月まで上海領事館の総領事を務めた。1980年代から5度に渡る中国勤務を経験し、中国社会を定点的に観測してきた外交官だ。
現在は外務省研修所の所長として後進の育成に当たっている。
国益に関わる交渉にも従事する外交官。経済成長を続けた中国と、停滞にあえいだ日本の間で、両国のパワーバランスに変化はあったのか。
さらに、片山さんは若い世代の日本人に中国に興味を持って欲しいと呼びかけている。その理由は何か。外務省を訪れ、話を聞いた。
■同期がペラペラで...偶然選んだ中国語
外務省内の中国の専門家集団「チャイナ・スクール」で過ごしてきた片山さんだが、1983年に入省した際は、専門とする言語に中国語を選んでいなかった。
英語が堪能な同期を目の当たりにし、「今更英語をやっても目立たないだろう」と、大学時代授業で取っていたフランス語を選んだ。しかし、そのフランス語にも強力なライバルがいた。
『入省する前に同期と遊びに行く機会があって。その時にいろいろ話をしたら、小さい頃にフランスで育った同期もいて、フランス語も結構上手な人がいるなと。ちょっと思案をして、人事課に志望変更できますか?って問い合わせて、中国語に志望を変えました』
巡り合わせでチャイナ・スクールに足を踏み入れたが、「専門性をもつ対象には申し分ない」と使命感を持っていた。
語学留学を終え、最初に大使館へ赴任したのは1987年の北京だった。当時の中国は海外へ市場を開放し、積極的に貿易や投資を受け入れる「改革開放」の真っ最中。バブル景気でこの世の春を謳歌していた日本との違いは大きかった。
『日中の経済格差が圧倒的でした。中国人にとってみると、まずお金とコネを使って固定電話を引くことが非常に大事な目標でしたし、外国人がホテルのレストランでちょっとした食事を食べると、彼らの平均月収くらいを使ってしまうような、そういう時代でもありました。
政府でいえば、政府開発援助やODA。それに円借款だったり、無償資金協力だったり、技術協力だったり。企業でいえば貿易技術援助だとか、或いは、現地に投資をするとかで、“垂直”(=日本が上で中国が下)の関係だったと言えます。
そういう意味では、色々な意味で日本側から上から目線で、中国に協力する、みたいな。やっぱりそういう視点が昔は強かった』
その中国が、1990年代から激変する。当時のリーダー・鄧小平の指示で市場開放が加速し、中国は「世界の工場」として急速な経済発展を遂げるようになる。
2010年代に入ると、人件費も徐々に上昇し生産拠点としての魅力が減った中国は、経済成長が徐々に鈍化していく。しかし、その中にあっても、人々の生活レベルは目まぐるしく変わっていったという。
『いわゆる“後発国の優位性”があります。日本のように既存のシステムを作り上げてしまうと、なかなか変えにくい。中国の場合は、いきなりその時点での最新のシステムを入れられます。
例えば携帯電話。固定電話すら殆どなかった時代から、スマホの市場は13億台を超える世界最大の市場になった。一気に前に行ってしまったんです。
高速道路にしろ、地下鉄網にしろ、高速鉄道にしろ、あっという間にここ10年、20年でもう日本の何倍にもなるという、ちょっと驚異的なスピードです』
気づけば、「上から目線」で資金援助をしていたはずの中国は日本を抜き去り、世界2位の経済大国に。今やアメリカの「一極支配」に戦いを挑む存在にまで成長した。
その中国を相手に渡り合う外交官。日本の交渉力は過去と比べて落ち込んでいないのだろうか。
「日中のパワーバランスはどの程度変化したのか」を聞いてみた。
『垂直の関係だったのが、水平の関係に移行しつつある。というか、かなりの部分で移行していると思います。
ただ、外交をやる上で、垂直から水平になったから、日本にとってやりにくくなったというのはちょっと次元が違うのかなと思いますね。
昔日本は、多い時には円借款で年間2000億円ぐらい供与していた時代がありました。けれども、そういう時代は日本のいうことを全て中国が聞き、今は全て聞かないか、という単純な関係ではないですよね。
今水平的な関係になったからといって、彼らが威丈高になって、高圧的な交渉をしてるかというと、それはそういうことでもないと思います。
彼らも日本とパートナーを組む時に、日本の技術だったり、ノウハウだったり、まだ組みたい理由があるからやっているわけです。
まさに、お互いに利益を生み出しながら交渉するわけです。経済関係の変化が日本にとってやりにくくなったか、やり易くなったということはないと思います』
一方で、気になる事もあるという。
『ただ、日本の存在が中国にとって相対的に小さくなっているという、客観的な事実はあると思うんです。
例えば、かつては政府要人だったりが日本からのお客さんにしょっちゅう会ってくれました。それが、日本だけが特別視されるような時代ではなくなったということです。
日本外務省にとっての上海総領事の地位は上がってると思います。明らかに。やっぱり中国が重要になり、上海が重要になってますから。
だけれども、上海に70ぐらい各国の総領事館がありますが、その中で日本総領事の地位が昔に比べて上がってるかというと、逆に下がってると思うんですよね』
片山さんの言葉からは、中国政府の中で日本が占める重要度が下がりつつあることを感じ取れる。その中で、中国にとって日本が「一目置かれる国」になることは死活的に重要だという。
『中国から見て、“この問題はアメリカと相談すればいいんだ”“この問題はヨーロッパと相談すればもう決まりだ”とか、“もう日本にはあとで通知すればいい”と思われるような国になっていいのでしょうか。
日本の技術を取り入れなきゃいけないとか、日本の企業とパートナー組まなきゃいけないとか、そういうふうに思わせるような日本であり続けなきゃいけないと思いますし、それは広い意味で安全保障の一部分を構成すると思います』
隣国から見ても、徐々に日本の存在感が低下しつつある現実。片山さんは、「内向き」と言われ続けた日本の若い世代にマインドを切り替える事が重要だと呼びかける。
『日本は、国土は多様で文化は豊か。食べ物もおいしいし、安全です。日本社会の成功物語の裏というか(内向きなのは)ある意味では仕方ないと思う面もあります。
ただ、日本は少子高齢化に向かっていますから、ほとんどの産業も日本国内だけを対象にしていたのでは、もうジリ貧が明確なわけですよね。そうすると、どんどん外に向けて出て行かなきゃいけないと思います』
とはいえ、留学などで中国へ行くのは簡単にできる決断ではない。日本人へのマイナスイメージを持っている中国人も少なくない。さらに、2019年の2月には、中国と関係の深い大手商社の社員が拘束されていた事が明らかになった。
『中国が好きか、嫌いかというのは個人の問題ですから、色々な考え方があっていいと思います。ただ、多くの人のコンセンサス(共通認識)として、あの国は日本にとってやっぱり重要な国です。中国にはこういう強み、こういう弱みがあって、今後の日中関係っていうのはどういうふうに構築していったらいいのか、というのをそれぞれの分野で考えてもらう必要があると思います。
(商社社員拘束については)具体的に承知する立場ではありません。
ただ、残念ながら国としての価値体系は共有していない部分があります。日本に比べて、情報保護だとか、個人の人権だとか、自由などの面で制限や制約があります。
写真を撮ってはいけない場所や、制限区域などは日本社会以上に注意をしておかなければいけません』
それでも、海外に出て他国の文化に触れる意識を持ち続けて欲しいと、片山さんは願っている。参考にして欲しいと名前を挙げたのは、長州藩士として倒幕運動の一翼を担った高杉晋作だ。
『明治維新の直前に高杉晋作が訪れたのが上海です。
そこで、表面的には繁栄していても、地元の中国人が召使として苦役させられてるシーンを見て、“日本がうかうかしてると、眼前に展開されているシーンは明日の日本だ”という強烈な危機感を持ったんだと思うんです。
当時の若い日本人の志というか、危機感が明治以降の急速な日本の近代化に繋がったんだと思います。
日本人はもう少し感度を高くして、中国のダイナミックな変化を見つめて、自らを変える1つの鏡として見て欲しい。
今の中国の現実というものを虚心坦懐に見た上で、日本にとってやるべきことは何なのか、ということを考えていく必要があると思います』