厚生労働省が行った「過労死等防止対策に関する調査研究」で、「過労死ライン」と呼ばれる月80時間を超えて残業をした従業員がいる企業は、全体の2割余りに上り、なかでも従業員が1000人以上の企業では6割近くに上っていることが明かになった。
日本では年間少なくとも1000人以上の人が、仕事上のことが原因で自殺している。過労自殺のほとんどは、長時間労働と密接に関連し、過労死と同様、ここ数年、問題は深刻化している。
たとえ、長時間労働の事実があっても、自殺の場合、「ほかにも似たような環境の中で働いている人はいる。個人の資質だ」と、自殺を"個人の問題"として片付ける企業は多い。加えて、自殺した人たちのほとんどが、「会社に迷惑をかけて申し訳ない」「期待に応えられず、すみません」といった遺書を会社や上司に残すことが多いため、それを逆手にとった企業が責任を回避するのだ。
また、自殺という"死"に対する世間の偏見が、残された家族の訴えたい気持ちを封じてしまうケースも少なくない。
子どもの進学や就職、結婚に悪影響が出ることを心配するのだ。
つまり、数字には反映されない、闇に葬られた"過労自殺"が、現実には存在している、というわけだ。
過労死する人のほとんどがその直前までストレスを感じていない。
死に至るほど「疲れている」という自覚症状がないまま、過酷な状況に慣れてしまっているケースが多いということをほとんどの人はわかっていない。
「自分が過労死するとは思わずに、過労死するまで働き続けてしまう」人間の謎は、ネズミを使った実験により解明されている。
"ネズミの過労死実験"は、「疲労研究班」(20以上の大学や機関の研究者で構成された文部科学省主導の研究会。平成11~16年にわたって様々な研究を行っている)が行った実験で明らかになった。
この実験では、ネズミを10日間、毎日水槽で30分間泳がせることで、「働き続けるメカニズム」を検討したのだ。ちなみに、ネズミは泳げる動物なので、おぼれることなく必死で30分間泳ぎ続けることが可能だそうだ。
強制的に水槽遊泳を強いられたネズミは、どうなったのか?
1日目。仕事=水槽で30分泳ぎ続けると、その後、ネズミは疲れ果てた様子で、ぐったり寝てしまい1時間ほど起きてこなかった。
そして2日目。この日も初日同様、仕事のあとは1時間程度、寝入ってしまった。
ところが3日目、ネズミの行動に変化が起きる。仕事後は初日、2日目と同じように寝てしまうのだが、40分程度で起き上がり、1週間たつと、寝るには寝るが睡眠時間はわずか5分と急激に減少したのだ。
さらに10日目に、劇的な変化が起きた。
30分泳ぎ続けるという過酷な"労働"を終えたネズミは、寝ることもなく平然と動き始めたのである。10日間過重労働を経験することで、過酷な労働に耐えられる"スーパーネズミ"が誕生してしまったのである。
だからといって、「やっぱりね! ネズミも鍛えられるんだね」などと解釈しては大間違い。
"スーパーネズミ"は、何も泳ぎ続けたことで筋力がついたとか、体力がついたことで誕生したのではなかった。そうではなく、脳の中にある「疲れの見張り番」と呼ばれる、危険な状態になることを防いで安全装置の働きをする部分が機能しなくなった結果、誕生したのである。
動物の前頭葉の下の部分には、疲れを感知すると脳幹に「疲れているので、休んでください」という信号を送る「疲れの見張り番」のようなセンサーがある。ここから指示が出されると、指示を受けた脳幹は神経細胞を通してセロトニンを分泌する。セロトニンが分泌されると、脳は休ませるために活動を抑える。その結果、元気な状態を取り戻す。
ところが、見張り番から「休んでください!」という指令が送られても、無視して活動をし続けると、見張り番自体が疲弊してしまい「休んでください」という指令を送れなくなる。指示が出ないわけだから、「疲れている」と自覚できない。その結果、疲れを感じることなく働き続ける、"スーパーネズミ"が出来上がるのだ。
よく過酷な労働状態に置かれているにもかかわらず、「忙しいのにも慣れちゃったよ」などと言う人がいるが、これは慣れているのではなく、感じなくなっているだけで、慣れたと思っている時ほど、危険な状態と考えたほうがいい。
長時間労働問題は、生産性だの、残業手当だの、関係ない。人が人として、すべての人がより良く生きられるために、人の尊厳を守るために、問題にしなくてはならないし、長時間労働はそれ自体が問題なのだ。
長時間労働をなくすには、労働時間の規制だけではなく、休暇日数の下限、休息時間の下限を設定することが必要。強制的に休みを作る。長時間労働は、人権問題。こういう時こそ欧州を見習って、グローバルスタンダードを持ち出すべきなんじゃないだろうか。
(yahoo news 「河合薫の健康社会学」から転載)